第九話 俺は桂小五郎と試合してマジでムカつく
歴史MEMO
嘉永六年六月 十二代将軍徳川家慶死去。
嘉永六年十月 徳川家定、十三代将軍に就任。
俺は練兵館に桂小五郎を訪ねた。
いなかった。
塾頭のくせにどこ行ってるんだよー。
「オレ、オレ、桂小五郎の親友なんだけどさ、練兵館で稽古していい?」
てな感じで、桂のいない間に練兵館で出稽古だけしておく。練兵館の奴とも何人か仲良くなり、桂の最近の話を聞いた。どうやら黒船来航以来、練兵館に顔を滅多に出さず、藩の仕事とか志士たちとの会合とかで忙しいらしい。
桂と剣の稽古したいのにな。間の悪い奴め。
俺が桂小五郎に会えたのは練兵館に四度目に足を運んだ時だった。
「龍馬、今日は桂さん来てるぞ」
「やっと来たか。ノボさんありがとな」
練兵館に通ってる内にマブダチになった渡辺昇に挨拶をすると、俺は桂に声をかけた。
「桂さん、稽古つけていただけませんか?」
「私は忙しいので、勘弁していただけませんか」
なんか道場に来ても竹刀を持つわけでもなく、皆と話をしているだけだ。異国だの攘夷だの幕府だのと聞こえてくるがそんなものはどうでもいい。
どうでもいいが・・・。
「剣の天才と言われた桂さんと立ち会ってみたいがです。確かに異国の侵略に備えんといかんとは思うけんど、侍としてはまず剣の道を極めたいがです。剣の道を極めて己を高めることが、攘夷の道につながるぜよ。頼む桂さん」
俺の熱弁に桂は折れた。ちょくちょく異国の脅威だの侍の道だのという言葉を混ぜたのが利いたと思う。桂がそういうことに傾倒していることは調査ずみだ。攘夷のためとか言われたら断れまい。交渉の極意とはこういうことだ。攘夷とか良く知らんけどな。
桂が防具をつけて竹刀を構える。
数ヶ月に及ぶ練兵館通いがついに身を結ぶ。
天才と呼ばれる男の剣を見てやるのだ。
実力が違いすぎて参考にならなかった。
俺の剣はかすりもせず一方的にやられまくった。佐那の柔の剣に似ている。しかし、似て異なるものである。佐那の剣は技である。体捌きと剣捌きで相手の攻撃をいなしてかわす。桂の剣は分からない。こちらの動きにあわせるのではなく動こうとした瞬間に先を読まれて既に封じられているのである。細かい技ではない。技を出す前に終わっている。
天才過ぎて理解不能だ。
これが俺の感想である。正直、剣術に対するやる気をそがれた。こんな人間がいるのなら凡人が剣を学ぶのには意味がないのではないかと。
なんかもうかなりムカついて来た。こいつは嫌いかもしれん。
「これだけの才を持ちながら道場にあまり顔出さないとはもったいないぜよ」
こいつは自分の剣の才能をなんだと思っているのだろう。
腹が立つ。
「剣だけでは異国の脅威に対することは出来ないのです。攘夷を実行するためには仕方の無いことです」
また、攘夷か。攘夷攘夷攘夷。お前は攘夷村の住民か。
「坂本さんも我らの会合に一度参加してみてはどうですか。高名な学者先生たちもいらっしゃいます」
「それは面白そうじゃき。頼むぜよ」
桂の提案を簡単に了承した。
面白そう? 面白そうなわけがない。
自慢じゃないが俺は馬鹿だ。子供の頃に塾に通ったが馬鹿過ぎて辞めさせられた。俺の馬鹿はそんじょそこらの馬鹿じゃないぞ。
そんな立派な侍とか学者ばかりのところに行けば恥をかくのは間違いない。俺は馬鹿で恥をかくのに慣れているが、俺みたいな奴を紹介した桂も大恥をかくに違いない。
どうだ、赤っ恥の自爆テロ計画!
これで桂に恥をかかせてやる!
少々なさけないことを思いながら俺は練兵館を後にした。
江戸の三大道場といえば、千葉、斉藤、桃井の玄武館、練兵館、士学館である。
この三大道場には日本中から剣の強い侍が集まり修行している。練兵館に出稽古に行った時はレベルの高さに舌を巻いたものだ。
だが、小千葉道場も負けては無い。千葉の玄武館の主である千葉周作の弟でもある我らが師千葉定吉の開いた小千葉道場は強い。
全体的なレベルでは三大道場に一歩劣るにしろ、定吉先生、重太郎の実力は高く本物の剣豪だ。
いや、重太郎は微妙か。強いんだけどさ。強いけど、桂を見た後じゃあな。
それ以外にも小千葉で実力上位の剣士たちは江戸三大道場で通用するだけの力を持っている。
そして、千葉佐那子である。
佐那は小千葉で最強ではない、定吉、重太郎以外でも佐那より強いか同等の剣士は四.五名ほどはいる。だが、もっとも技が華麗なのは間違いなく佐那だった。それこそ定吉先生より上である。定吉先生の技は剛柔気全て揃ったものであるが、佐那は柔の技が突き抜けていた。さすがに男に力や体格、持久力で劣るために技だけでは勝てないこともあるのだが。
その佐那ともっとも良く稽古しているのは俺であった。もちろん下心満載である。
だが、一応の建前として俺は技を極めようとしていた。日根野道場では直線的で単純な一撃であった剣術が佐那の影響でずいぶんと柔軟になってきたのは自覚している。
「坂本さまは私の技ばかり真似をしても女の剣術のようだと言われてしまいますよ」
佐那の言葉に俺は笑う。
「剛の剣術は土佐でも学べますけんど、佐那さまほどの柔の技はここでしか学べませんきに」
「そうですか」
つれない態度は相変わらずである。でも、会話の回数は着実に増えてるもんね。龍馬がんばる。
俺は桂のことを佐那に聞いてみることにした。
あれだけの剣の天才なら知らないこともあるまい。
「桂小五郎・・・殿ですか?」
「はい、もの凄い剣の達人ですき。佐那さまは桂さんをご存知でしょうか?」
「はい、練兵館へ幾度か行ったことがあります。その時に桂さまをお見かけしました。剣筋は見てませんが、堂々とした好男子という印象です」
少しムッ、やはり桂はムカつく。マジでムカつく、略してマジムカ。
こんど凹ましてやる。剣以外で。
「佐那さんもああいう男前が好みなんですかねぇ。悔しいなぁ」
「べ、別にそういう目で殿方を見たことはありません。坂本さまが悔しがるのも筋違いです!」
佐那は怒って向こうへ行ってしまっていた。
おっ、今少し顔が赤かったぞ。
怒りというより照れみたいなのを感じる。
ふふふ、俺を意識し始めたかな。
これはいわゆるツンデレ!
ニヤニヤ
「坂本くん、何をニヤニヤしてるのだね」
「じゅ、重太郎先生。いえ、思い出し稽古で剣技のヒントを思いついたので・・・」
「そうか、最近は君が練兵館へ通ってると聞いたので、うちの道場に飽きたのかと心配してたところだよ」
「とんでもありませんよ。ここは江戸で一番の道場ですきに」
本心である。半分は佐那がいるからという理由であるが。
「練兵館に良く行くのは君も憂国の士というわけか」
「憂国の士・・・?」
「国を憂う侍、と書く。黒船以来、侍たちがこぞって政治について議論している。幕府も下級武士・町民にまで意見を集め始めたしね。皆が浮き足立つのは仕方がない」
「私は難しいことはよく分からんぜよ。国を憂う気持ちはありますけんど。練兵館に行くのは桂さんと親友ですきに」
自称、桂の親友。
あいつは有名人だから名を借りると便利だもの。役にたつもの。人間だもの。
この次期、黒船の脅威にざわつき憂国の士が増え、不穏な空気が現れ始めてはいた。
それでも全体的には平和なものである。皆がまだ世の中が変貌しつつあることに気づいていない。俺、坂本龍馬も気づいていない方の一人であった。