第八話 俺は品川を警備し佐那と稽古する
浦賀から戻ると先に小千葉道場へ向かった。四日ほど休んだからな。佐那の顔がみたいし。
「坂本さまは御旅行の垢を落としてから来たらいかがでしょうか」
逃げられた。
そういや、俺、旅帰りで汚い。くさい。
どうして、こう裏目。
「坂本くん、黒船はどうだった?」
重太郎は興味津々のようだ。
こいつには懐かれてるのになぁ。
「大きくて凄かったぜよ。それからこれはお土産やき」
俺は品川で買って来た饅頭を渡す。
「黒船饅頭………なにか凄そうですね」
「いや、普通の饅頭の包み紙に黒船饅頭と書いただけやき。記念だから買ってしもうた。まあ、それが商売というものぜよ」
浦賀は黒船景気に沸いていた。お祭り騒ぎだ。
年に一度のペースで黒船来たら景気がよくなるかもしれんな。
幕府は大変だろうが。
「それにしても黒船はまだ帰らないようですね」
重太郎が少し心配そうに言う。
浦賀沖に停泊している黒船は六日たっても帰る様子はなく、江戸城と浦賀を早馬が何度も往復している。江戸庶民や江戸詰めの武士の中からも不安の声が聞こえ始めているようだ。
土佐藩中屋敷に帰ると溝渕が声をかけてきた。
「おい、龍馬、どこ行っておったんじゃ。藩命じゃ藩命!」
「なんですかの。溝渕さん」
「品川を土佐藩で警備するんじゃ。黒船との戦じゃ!」
戦と聞いて驚いた。少しばかり冷静さを欠いた。
なんだと、桂の言ってたことは事実だったのか!
てっきり心配性の妄想癖だと思ってたぜ!
急いで準備する。が、何を準備するんだ。戦道具なんか持ってないぞ!
俺を含め土佐藩士たちは、まずは質屋やら古物商を巡り急いで鎧兜を買い揃えることになった。戦道具など常備してる奴なんかいるわけがない。慌てて身支度をすませると皆で品川へ向かった。
品川についても興奮は収まらない。整列をし目を凝らして海をにらむ。浦賀方面の黒船は品川から見えるわけはないのだが。
二日で飽きた。
来ないじゃねーか。
やっぱり取り越し苦労。
「龍馬、欠伸するなや」
いや、退屈だもの。
「黒船は四隻だけだったぜよ。戦になっても浦賀でやつけて終わりぜよ」
品川を通って江戸に攻め込むなんかできるわけがない。
結局は何も起こらなかった。
品川でひたすら立っているだけの警備は五日ほどで終わった。
黒船の艦隊は去っていったらしい。
「なんや、取り越し苦労だったかの」
溝渕がつぶやく。
幕府は黒船の艦長のペリーの言うとおりに交渉して、ペリーは納得して帰ったらしい。
なんかヘタレだな。確かに黒船でかくて強そうだったけど、多勢に無勢じゃん。
まあ、幕府のやることにケチなんかつけられないけどな。
政道批判は下手すりゃ投獄だ。
「この鎧兜も高かったのにのぉ」
「質屋とか大儲けしてたようじゃの」
商売の道理である。必要なものは高く売れる。鎧兜は黒船が来ている間、値段が高騰していた。黒船が去った今となっては値が下がった。
桂はこれから異国との戦が始まるかもしれんと言っておった。
もしかするともしかするかもしれんな。
今のうちに鎧兜を仕入れて置くように権平兄貴に提案でもしてみるか。大儲けのチャンスかもしれん。
このしばらく後、土佐藩中屋敷で黒船が一年後に再び来るとの情報を聞いた。
黒船の脅威は始まったばかりだった。
嘉永六年の七月の俺は忙しかった。いろんな意味で。
俺には二つの大きな目標があった。一つは剣術を極めることである。
「いやー、佐那子さまはお強い。全然かなわんぜよ」
今日も佐那に稽古をつけてもらっている。佐那の剣は技のキレが凄い。非常にためになる。
剣術を極めるにはこの技を会得することが重要だ。
「鬼小町ですから」
少し拗ねたような感じで答える。
最近はうちとけてきたかな。好意はそれほど持たれては無いようだが、稽古をする機会も多いし、俺と重太郎が仲良いこともあって、佐那と俺の他愛のない会話も増えている。
二つ目の目標の佐那をくどく作戦も進行中である。
「鬼小町というのは案外あってますぜよ。佐那子さまは剣の腕が凄いだけでなく、美しさも人では思えませんですきに」
俺の軽口に佐那は眉をひそめた。
「そういう軽重な言葉は慎んだ方が良いと思われます」
なにやら少し怒ったようだ。軽口の加減が難しい。重太郎の妹とは思えないくらい堅物だからな。
とにかく俺は本気で剣の稽古をしていた。
佐那の気をひくには剣が強くなることも重要である。
それに本当に楽しかったのだ。小千葉道場で習う剣術は。
他の道場ではどうなのだろうか。
俺は桂小五郎を思い出した。
江戸でも有数の剣術家はどんな剣なのだろうか。試合を見てみたいな。
練兵館に行ってみるか。