最終話 俺は殺される
死ぬかと思った。
冬の北陸に旅をして来て帰ったら風邪を引いてしまった。それなのに忙しくて治らない内に仕事で走り回ることなった。その上で冬の川に落ちて冷たい水に浸かってしまったのだ。
風邪がぶりかえして高熱が出て倒れたしまった。
本当に死ぬかと思った。
数日ほど寝込んでなんとか起きあがれるようになった。
まだ熱は下がってないし鼻水は出るしで体がだるい。
しばらくは外に出ることも出来ないな。こりゃ。
「お客様でふ」
このタイミングでか。
追い返せよ。気がきかねぇな。
そう言おうと思っていると襖がいきなり開けられた。
「おう、龍馬。本当に風邪ひいちょるな」
無遠慮に声をかけてきたのは中岡だった。
中岡慎太郎。陸援隊の隊長で土佐の軍事を上士の乾と一緒にまとめている。薩摩や長州の連絡役にもなっていて土佐の武力討伐派のトップという立場だ。
「今日はきついから明日にしてくれんかの」
「まあまあ、いいじゃないか。そこの下男、鴨でも買っちょいて来てくれ。二人で鴨鍋でも食べてゆるりと話をするぜよ」
強引に上がりこんで座った。
こうくると追い返すのも面倒だ。無駄に押しが強いな。
「しょうがねぇ、藤吉、買出しに行って来い」
こうして中岡は部屋に上がりこんだ。
どうせ面倒くさい話なんだろうな。
「龍馬が新政府のために走り間わっ取るのは知っちょうぜよ。しかし、ずいぶんと徳川に優しいんじゃないかと乾さんらが危惧しておっての」
「西郷が文句言ってたか?」
「西郷の腹のうちは見えん。どちらかというと公家がうるさい。岩倉とかな」
中岡が新政府の内情を語る。
薩摩と朝廷が中心となって新政府を作りたいが、徳川は依然として大大名であり佐幕派の大名も多い。
しかも土佐は大殿の容堂公が徳川を中心とした新政府を作ろうとしているのだ。越前の松平春嶽もそのうちの一人である。
徳川・土佐・越前の考える徳川を中心とした雄藩連合では長州の復権は難しい。
そして朝廷と帝はお飾りとしかならないだろう。薩摩としてはそれなりの地位は得るだろうが権力を握るとまではいえない。
長州に対して思い入れがある中岡は陸援隊を倒幕の兵としたい。それには上士の乾も協力しているらしい。尊皇主義の志士はこれを機に朝廷に権力を持たせようという者も少なくは無い。
まあ、徳川幕府からすればテロリストでしかない志士たちは長州と朝廷が権力を握れば無罪放免な上に出世が望めるのだから徳川潰すしかないのだが。
「徳川は強大ぜよ。大政奉還したとはいえ日本で最大の武力と権力を持ってる。徳川と反徳川で内戦が起きれば諸外国に付け込まれる。今は徳川をうまく新政府に取り込むのが得策じゃと思うが」
「幕府が大掛かりな改革が出来ると思うか? どうせ昔に戻るだけぜよ。それに今のままでは志士らが暴徒になりかねん。民衆も我慢の限界やき」
「確かにええじゃないかとかで騒がしいの」
今年の夏くらいからええじゃないかが流行っている。
これはインフレとか貧富の差の広がりとかでいよいよ暮らせなくなった民衆の政治行動でもある。
とはいえ一揆をしたりお上に逆らうと命がない。だからお祭りということで騒いでいるのだ。一部の暴徒が米蔵を襲ったりしているが、全体的にはただのお祭り。
この騒動を裏で攘夷派がけしかけているとも言われているが、おいつめられた庶民の叫びともいえるだろう。
「じゃからな。徳川慶喜を新政府から追い出なければならんのじゃ」
ぐいっと中岡が顔をよせてくる。
近い近い。
「ぶへっくしょん!」
あっ、鼻水が中岡の顔についた。
「汚ねぇ!」
中岡が顔を手拭いで拭く。
「すまんの。風邪を引いてての」
謝ったところで藤吉が買い物から帰ってきた。
部屋に入るとグフフと気持ち悪い笑い声を出しながら鴨鍋を用意した。
元相撲取りだけあって鍋を作るのは得意なんだよな。
うまそうだ。
「食いながらゆっくり話をしようぜ。腹が減っては議論もできぬ」
良く煮えた鴨をつまむ。
うまい。
良く煮えた野菜を食べる。
いける。
議論も白熱した。
「鍋と言えばやっぱり鴨鍋だな!」
「何を言う今は牛鍋が流行りじゃ」
議論も白熱した。
その時に階下で大きな音がした。
また、藤吉が部屋で四股踏んでやがるな。
うるさいんだよ。
「うるせぇ!」
俺は藤吉に注意する。
すると階段を上る足音がした。
襖の向こうに誰かいる。
「坂本さんはいらっしゃいますか。拙者は十津川藩の藩士で今井と申すものです。ぜひお目通りを」
怪しい。俺は刀の鞘を手繰り寄せる。
「俺が坂本だ。入っていいぞ」
中岡と目配せした。中岡は分ったという風に頷く。
そして襖が開いた。
その瞬間に2人の男が一斉に部屋になだれ込んできた。
中岡は素早く立ち上がり刀を構えて敵の斬撃を防いだ。
やはり賊か!
この様子なら藤吉はやられてしまった可能性が高い。
キモイ奴だったが残念だ。
俺は手に持っていた鞘から刀を抜――――けない。
刀が無い。鞘だけしかない。
これはこの前拾った新選組の左之助とかいう奴の刀の鞘だわ。
やべぇ。
鞘を賊に投げつける。
賊はその鞘を払いのけた。
俺は慌てて畳の上に置いていた自分の刀を拾いに行く。
背中を斬られた。
「うぐぁ!」
「龍馬!」
悲鳴をあげると中岡が俺を呼ぶ声が聞こえた。
畳の上を転がりながらふと思い出す。
銃だ!
なんで忘れてたんだ。酒のせいか。
痛みをこらえながら懐から銃を取り出す。
銃を向けられて一瞬賊が怯んだ。
「死ねぇ!」
引き金を引く。
カチン。
弾切れだった。
ああああっ。だから銃はないものとして意識になかったんだ。
忙しくて補充するの忘れてたぁぁぁ!
賊はそれを見て俺に斬りかかる。
この後。めちゃくちゃ斬られた。
賊が帰る。
俺が斬られたのを見た中岡は助けようとして目前の賊から目を離した隙に斬られた。
そして4人の賊に滅多切りにされた。
畳が血に染まっている。
お互いにまだ意識はあった。だが、時間の問題だろう。
「…………龍馬、生きちょるか………」
中岡が声を絞り出す。
俺も気力を振り絞り声を出した。
「脳が………やられちょる」
人は脳をやられたら死ぬ。
意識が朦朧としてきた。これが最後だ。
最後の力を振り絞り辞世の言葉を叫んだ。
「OH! NO!」
俺の名前は坂本龍馬。どうやら俺は死んだらしい。
生きている間の俺はそれなりに波乱万丈な人生だった。
死んだ後はみんなが好きなことを言っている。
薩長同盟も大政奉還も明治維新も坂本龍馬が一人でやったことだ。
坂本龍馬は時代の変革期に現れて時代を変革して去っていった時代の申し子だ。
坂本は近世史上の最大の傑物だ。
いや、坂本龍馬は単なるパシリで何もやっていない。
あいつはフリーメーソンでイギリスの手先の売国奴だ。
人の評価なんてどうでもいい。
俺はこの時代の中で好きに生きて好きに死んだ。後は好き勝手に言ってくれ。
さて、俺の語りもここまでだ。
もっと詳しく聞きたければあの世で続きを聞かせてやるよ。
その時まで――――あばよ!