第五十五話 俺は冤罪を晴らす
海援隊の隊士がイギリス人の水兵を殺した。
そんなことが―――――あるかもしれんな。うん。無いとは言い切れない。
こんな時期に問題を起こして俺の足を引っ張るとは許せん!
後藤に詳しく話を聞くことにした。
「イギリスのイカルス号ちゅう船の水夫二人が、花街で泥酔して道に寝転んでいたとらしい。そしたら何者かに惨殺されたちゅう話じゃ」
「なんじゃ、それは攘夷派の浪士じゃないんか?」
「目撃者によると。犯人は白木綿、筒袖姿の男で現地近くで海援隊士が飲んでいたそうだ。翌日に海援隊の船が長崎を出港したということで状況証拠があがっとる」
うーん。これだけで犯人呼ばわりされるのは面白くない。
かといって無実とは言い切れないな。早急に調査しなければ。
「犯人が海援隊におったら切腹させる。とりあえず調べておくきに、後藤さんは大政奉還のことをなんとかしてくれんか」
仕方がないから大政奉還については後藤に丸投げだ。
つっても土佐藩内部の工作は俺には出来ないからな。他藩との協調のための使いっぱしりが俺の仕事だし。後藤に使われてると思われるかもしれんがフットワークの軽いのが俺の強みだ。いざとなれば後藤に責任かぶせて雲隠れも出来るしな!
そういうことで俺は海援隊本部へと戻った。
犯人を捜さないといけないから長岡と沢村を呼ぶ。
隊を把握しているのはこの2人だからな。2人に調査させれば漏れはないだろう。
沢村は海援隊の兄貴的存在として血の気の多い若者からの信頼が厚い。長岡は有能な経理として隊の隅々まで目を光らせている。
この2人が調べれば犯人はすぐに判明する。
俺は事件のことを説明した。
「分かりました。こちらで調べておきます」
「海援隊にそんな奴はいないと思うがな」
2人は事件の解決に奔走することになった。
後は報告を待つだけだ。
「どうにも犯人は海援隊にはいないようだ」
沢村が言う。うーん、こいつは信頼できるけれど絆されて犯人をかばっているとかないか。いや、馬鹿だから騙されているとか。
「海援隊には犯人はいません」
長岡が言う。うん、犯人は海援隊にはいないな。
亀山社中から海援隊になり隊の内容は様変わりした。
これは隊のメンバーが変化したのと隊の意識が変化したということがある。
亀山社中は攘夷志士のあぶれものが入ったりしていた。職の無い志士が舟を動かす技術を学びながら倒幕活動をするという性質だ。
海援隊は土佐藩がケツ持ちをしていて大政奉還を目指している。佐幕派ではないが幕府を生き残らせつつ公武合体の末の雄藩連合といったところだ。
さらには時代の変化があった。幕府は通商条約を勅許なしで結んでいたのだが、その勅許を朝廷が出したのだ。つまりは朝廷が開国を認めたことになる。
そうなると尊皇攘夷派としての大義名分がなくなる。薩摩と長州も攘夷はいったんおいといての開国による富国強兵を目指していた。攘夷はその後でという大攘夷だな。
そういう時代になったので外国人を斬り殺すという単純攘夷の志士は少なくなった。それでも巷にはあふれているのだが、海援隊という組織が上記の通りに単なる浪士の集まりでなく政治結社のような存在になったので単純攘夷の志士というものが入隊することはない。
やっと世間が俺や勝先生においついたということだ。
「2人の意見が一致したということは海援隊にイギリス人を殺した犯人はいないということぜよ。イギリスの野郎にそう言って来てやるぜよ」
とりあえず後藤にそう報告して丸投げだな。
「うがぁぁぁ! 薩摩が大政奉還の策を取りやめて武力倒幕路線に移行しやがった! 薩土盟約は事実上破棄されたようなもんじゃ! 薩摩・長州・芸州で兵を集めちょる!」
「な、なんだってぇーーー!」
「わしは忙しいんじゃ! イカルス号の水夫殺人事件はおんしでなんとかしろ! イギリス側の責任者のサトウに弁明しに言って来い!」
なんか大変なことになってる。
後藤の奴が容堂公の説得に手間取ってるからじゃねえのか。
それで薩摩が痺れを切らしてというこころか。まあ、大政奉還なんて長州が認めるわけがないから最初から武力討伐と平行した案なんだろうけれど、薩土盟約を解消してまで武力討伐一本化するほどじゃないよな。
仕方がない。イカルス号水夫殺人事件の方は俺のほうがなんとかするか。
確か佐藤さんだっけ? イギリス側の責任者。日本人通訳かな?
佐藤さんとアポをとって会うことにした。
現場には佐藤さんは来てないようだ。イギリス人の男が待っていた。
「坂本龍馬ぜよ。佐藤さんは来てないのかの」
「サトウは私です。アーネスト・サトウと言います。イギリスの外交官をやってます」
なんと! ジョン万次郎と同じくイギリス帰りのアーネスト・佐藤さんか!
イギリスにいって帰国すると顔も異人っぽくなるのか!
日本語も忘れたのかカタコトだしな。
「失礼、佐藤さん。イカルス号の水夫殺人についてじゃが、調査したところ海援隊の仕業じゃないぜよ」
ここで俺と佐藤の交渉というか言い合いが始まった。
イギリスは犯人が土佐藩士だと信じ込んでいるらしくこっちの言い分は聞いてくれない。
イギリス公使のパークスが絶対に犯人を見つけると意気込んでいて土佐まで行くという。イギリスは反幕府勢力に肩入れしてることもあり、この事件で薩摩とか長州は土佐藩から距離置こうとしているからな。薩土盟約の破棄もこれのせいかもしれん。
なんとしても冤罪を晴らさないといかん。
ここからは俺の口八丁だ。なんとか佐藤を丸め込んだ。
疑いははっきりと晴れてはいないがグレー状態には持ち込めたはずだ。
引き続き協議を行い関係者への調査を行うらしい。
ここから俺と佐藤の調査が始まった。
その結果として犯人が土佐藩でないということを納得してもらうことになった。
疑いが晴れたことで薩摩との関係改善や大政奉還の政治工作の再開の目処が立つことになる。
それにしても真犯人はどこのどいつだ!
(1年後に筑前福岡藩士だということが判明したそうだ。すげぇ迷惑だったぜ!)