第五十一話 俺はいろは丸を手に入れる
いろは丸。この船は長州から借り受けていたユニオン号と同じようなものだ。
実際の所有権は俺達にはない。しかし運用は任されている。
後藤の話によると船は買ったが運用する水夫がいないとのマヌケな話だったんだが――――。
「蒸気船を買った大洲藩の家老が切腹したらしいな」
「そうだな。国島殿は残念なことだ。国許の許可を得てなかったとのことだ」
「国島っちゅう家老に蒸気船を売った異人を紹介したのが土佐藩だという噂を聞いたが――――」
「それは初耳だな。国島殿とは旧知ではあったが」
後藤が白々しく言う。
こいつは蒸気船手に入れるために知り合いを一人切腹に追い込むくらいやりかねん。
土佐勤皇党を弾圧したのも後藤であるし油断出来ないやつだ。
「まあ、くれるちゅうならもらっとくぜよ」
「借りるだけだ」
なんとなくすっきりしない話であるが船が手に入るというのは助かる。
国島さんよ。化けて出るではないぞ。
大洲藩でも蒸気船を持て余していたらしい。操舵に必要な人材をひとまずは海援隊から送り出しておいた。
新型蒸気船は「いろは丸」というらしい。それほど大型ではないが自由に使える船となると助かる。
契約で1度の航海で500両の賃貸契約を結んだそうだ。
細かい契約の全ては土佐商会の弥太郎がやっていた。
あいつは役に立つねぇ。
俺の今の仕事は海運業というよりは大政奉還のための暗躍が中心だ。
それには後藤の土佐藩での立場を固めなければないらい。そのために海援隊の自力をつけないとな。
後藤のお膳立てを利用していろは丸で稼ぐというのも重要な仕事だ。
もちろん後藤に利用されるだけではすまさない。
時代は凄い勢いで変わっている。情勢が変わったらすぐに動けるようにしたい。
まあ、そのためにもいつでも独立できるだけの力がないと。
土佐藩と薩摩藩のヒモ付きじゃ自由に政治工作出来ないからな。
どちらにしてもいろは丸は必要だ。
俺は長崎でいろは丸を見に行った。
感慨深い。
借り物とはいえようやく船を手にしたという思いがある。
やはりワクワクするな。
ユニオン号は借り物のまま長州に返した。
ワイル・ウェフ号は海に沈んだ。
大極丸はまだ買ってない。
借り物のいろは丸だが今度こそは俺のものにしてやる!
慶応3年4月19日。
いろは丸は長崎港を出港して大阪へと向かった。海援隊所属になってからの初航海である。
俺はその船影を見送った。
慶応3年4月23日。
いろは丸沈没。
ここまでフラグかよ!
どうしてこうなった!
えらいこっちゃ!
「弥太郎! なんで沈んだんじゃ!」
「紀州の船と衝突したと聞いたぜよ」
「………」
あかん。終わった。御三家の船と衝突だと。
俺は青ざめて立ちすくんだ。
「何を突っ立てる」
背後から後藤の声が聞こえてくる。
チッ! タイミングが悪いな。
俺はなるだけ平静を取り戻すようにして振り返る。多少は顔が引きつっていたかもしれない。
「なぁに、紀州藩にどうやってケジメ取らせようかと考えとったんじゃ」
「ほう―――。紀州にケンカを売るか」
「当たり前ぜよ。坂本龍馬は幕府にケンカ売ってる志士ぜよ。ここで引いてなどいられるわけがない」
この男の前で弱みは見せたくない。
どうせ土佐藩が仲裁するだろうしな。後藤には骨を折ってもらうとするか。
「なるほど。俺も協力しよう―――とはいえ土佐藩の家老が表に出るのもまずいな。弥太郎、―――龍馬と協力して紀州藩から賠償金をもぎとれ」
「へっ?」
弥太郎が目を丸くする。
俺もびっくりだぜ。
「幕府の権威は落ちている。紀州藩も御三家だからといってでかい顔をしてはいられん。ここで土佐紹介と海援隊が紀州藩を痛い目にあわせたとなると大殿も興味もってくださるだろう。膠着状態の今となっては荒療治もいい。もちろん失敗したら首な」
後藤がにこやかに右手を首元に当てて横に引いた。
首とは物理的に首と胴体が離れることだ。
「がはははは。せいぜい頑張れよ」
後藤が笑いながら土佐商会を出て行く。
なんかはめられた気がする。
「ど、どないしたらいいぜよ」
か細い声で弥太郎が俺に助けを求めて来た。
くそっ、勢いだけだったから細かいことなんか考えてない。
「とにかく情報が命だ。事故の詳細を調べるぜよ」
「分かった」
俺と弥太郎は急いで情報を集める。
海援隊と土佐商会のメンバーを総動員してだ。
それにより状況が大体把握できてきた。
「紀州藩の船はいろは丸の6倍もの大きさであちらの船の損傷は軽微だということです。衝突は2回、それによりいろは丸は航行不能となり船員は逃げ出しました。逃げ出した水夫の話によると紀州藩側がぶつかってきたとのことですが、紀州藩側はいろは丸がぶつかってきたと言ってるようです」
情報をまとめて来た土佐商会の下っ端が俺と弥太郎に報告する。
弥太郎は頭をかかえていた。
「双方の意見が食いちがっとる。どうすればいいんじゃ」
「なぁに。これで光明が見えてきたぜよ。少なくともいろは丸の水夫は自分らに落ち度はないと信じとるんじゃ。攻める口実はある」
「じゃが、相手は紀州藩やぞ。こっちの言い分を信じるわけはないじゃろ」
だが、やらないとどうにもならん。
「ぐだぐだ言うな。こっちで賠償の書類を準備しておいた。おんしはそれを読んで細かいところを調整しておけ。それ以外は任せろ」
俺は用意していた書類を弥太郎に投げる。
弥太郎は覇気の無い顔でそれを受け取ると読み始めた。
読み始めるとだんだんと顔が青くなり最後には赤くなった。
「なんじゃこりゃー!!」
「いろは丸の積荷やき。賠償額の算定に使えるだろう」
「いやいやいや。いろは丸に小判とか新式銃とか積んどらん。どこから出てきたんじゃ。こんな嘘がばれたらわしらは切腹やぞ!」
弥太郎は顔を真っ赤にして怒鳴る。
うるせーな。
「ばれなくても交渉失敗したら切腹じゃ。後藤が俺らに任せると言っとったのは成功すれば土佐藩の手柄でわしらを引き上げるということじゃが、失敗したら海援隊とおんしの暴走ということで切り捨てるっちゅーこっちゃ」
「し、しかし、後藤様は土佐商会を仕切っておるし、海援隊に援助もしておる。なくなったら困るじゃないか!」
「困りはするが切り捨てた後で逃げて閉職にでも逃げれば責は追うまい。成功すれば土佐藩の名声は上がり容堂公は後藤を頼りにする。失敗しても自分の保身だけは確保する。あの野郎のやりそうなことぜよ」
俺の説明に弥太郎の真っ赤な顔がだんだんと青くなる。
そして肩を落としてため息を吐いた。
「分かったぜよ。龍馬、おんしとは一蓮托生ぜよ。なんでもやるから交渉は絶対に成功させろ」
弥太郎の言葉に俺は頷く。
失敗は出来ないミッションだ。何がなんでもやってやる。
まず最初の作戦として――――。
「そうだな。まずは必要経費として100両用意してくれ。その金で――――長崎の繁華街で前祝じゃ!!」