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第五話 俺は江戸で女剣士に惨敗する

 土佐から江戸までの旅路は一月弱である。溝渕との男二人の旅なので道中すっかり打ち解けた。

「俺は江戸に学問をしに行くんじゃ。お前は剣術か。いや、女か」

 龍馬の土佐での噂を聞き及んでたらしい。

「女は既に学び尽くして免許皆伝じゃき」

 俺の言葉に溝渕は笑う。

「では、皆伝の腕前が江戸の女に通用するか試さないとのぉ」

 軽口が飛び交う仲になった。溝渕は気安くて面白い男だった。

 

 江戸についたのは嘉永六年の春のことだ。

 

 土佐藩中屋敷についた俺は翌日には千葉定吉の小千葉道場へ向かうことにした。

 江戸でいろいろ遊ぶ予定も立ててはいたが、本来の目的は剣術修行の留学だ。最初くらいは真面目にやらなければならないだろう。それに結構、燃えていた。

 ドサクサ紛れにやってきた江戸であったが、剣術を学ぶものなら江戸での剣術修行は憧れだ。自分の剣術がどれだけ通用するか、江戸の剣術はどれだけのものか、わくわくが止まらない。

 

 小千葉道場の門を叩き、中に入る。

 俺を案内してくれたのは人の良さそうなどこか品のある青年だった。下男にしては身なりが良いので侍の内弟子か何かかなと思い聞いてみる。

「私は師範定吉の息子の重太郎(じゅうたろう)です。今は道場で師範代をやっております」

 驚いて恐縮する。まさか、いきなりの大物サプライズ!

「坂本くん遠慮はいりません。君は今日から我が道場の仲間ですから」

 気さくそうな笑みを浮かべる。正直、あまり強そうではない。

 北辰一刀流といえども、分家の小千葉はたいしたことはないのかな?

 そう思った。今考えると天狗になりすぎである。たかが日根野道場の目録くらいで。(というのも日根野道場に悪いか?)ああ、穴があったら入りたい。

 もちろんすぐに天狗の鼻はへし折られるのではあるが。この時には全く予想もしていなかった人物の登場によって。

 

 重太郎に連れられて稽古で活気のある道場に案内された。激しい気合の声と竹刀の叩く音が響いている。まずはその広さと人数に驚く。

 日根野道場の三倍………いや五倍の人数がいた。しかも、彼らは各藩よりすぐりの剣術家のはずである。何か腹の底から燃え上がる気合が沸いて来た。

 

「稽古止めい!」

 上座で稽古を眺めていた初老の武士が一喝した。千葉定吉である。

 今まで各自で乱捕り稽古をやっていた者たちがたちまち動きを止め、道場の端の方に並んで正座をする。その規律の高さにも驚く。

 俺は促されて道場の中央へ進むと正座して一礼する。

「土佐藩より参りました。この度は千葉道場へと入門させていただきます、坂本龍馬と申します」

「坂本くん。今日から君も道場の一員だ。励むがよかろう」

 定吉先生の言葉に緊張する。

 カッコいいな。俺も四十年ほど経てばこんな渋い剣豪になれるだろうか。

 

「それでは、君の実力を少し見せてもらうとしよう。さな、行きなさい」

「はいっ!」

 俺は驚いた。その声は明らかに女性のものであった。そして、俺は少しムッとした。土佐の田舎の出身だからといってなめられているのではないかと。

 

 俺は防具を装着しながら、”さな”と呼ばれた女剣士を観察する。

 女とは言っても乙女姉ちゃんみたいのもいるからな。

 と、油断しそうな心を引き締める。

 だが、百七十㎝をゆうに超え、単純な力では男たちを凌ぐ乙女姉ちゃんと比べると、目前の女剣士は華奢でとても強そうには見えない。

 

「準備は出来ました。お願いします」

 俺は立ち上がり竹刀を構えた。相手も俺の動きに呼応して構える。

 

「はじめ!」

 審判役の重太郎が合図をかけた。

 様子見でまずは軽く面を狙う。当然のようにあっさりと竹刀で弾かれる。だが、その力は大したものではない。

 次は力を入れて面を打つ。振り下ろす竹刀の軌道を変えるが如く軽く竹刀を合わせられるが、力づくで押し込む。小手先の技ならば力で押し込められる。と、そのまま竹刀を振り下ろした。が、そこには女剣士の姿は無い。俺の竹刀は道場の床を思いっきり叩いていた。


 いつ移動した!?

 見えなかった。

 少し混乱する。そこへ女剣士がすっと音も無く近づく。慌てた俺は体当たりを仕掛けた。

 しょせん体格が違いすぎる。まともに当たれば弾き飛ばせる。そう思ったのだが、気が付くと俺の体は道場に横たわっていた。突進をいなされて転ばされたのだ。

 柔術か!

 この頃の剣術と柔術は一体である。いや、打撃も蹴りもある。竹刀を持って防具をつけたなんでもありの勝負なのである。

 とにかく体裁きが素晴らしい。相手の力に逆らわずに利用しているのか。

 俺は少し無様ではあるが、床に倒れたまま転がりながら女剣士の間合いから逃げて、立ち上がった。再び構える。もう油断は微塵もない。


 今度は相手をよく観察することにした。小さく鋭い一撃を当てることに集中するのだ。

 ふいに女剣士の攻撃が籠手に命中した。間合いが読めない。更に面にも一発。

 やられ続けるわけにもいかないので、反撃すると避けられて面に三発。

 全く勝負にならない。


「参りました」

 息を切らせて降参する俺の声に重太郎が「それまで!」の号令をかけた。

 完敗である。ここまで完敗だと清清しいくらいだ。


 道場の隅に移動して面を取った。

 他の門人たちも稽古を再開して、道場は活気のある様相を再び見せ始めた。

 今の立会いを思い返す。

 土佐では見たことのない名人芸だった。

 凄い。感動した。あの技を手に入れたい!


 俺は道場の反対側で座っている女剣士を見た。

 ちょうど面を取り外したところだった。

 その姿を見て更に驚く。

 凄い。可愛い。あの娘を手に入れたい!


 どんなに痛い目にあっても女好きは一生治らないのだ。

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