第四十七話 俺は破産する
四境戦争は長州軍有利のままに進んだ。
地の利がある。幕府軍の士気が低い。幕府軍の連携が取れていない。
そのような様々な理由があるのだろうが、やはり一番の理由は高杉晋作という男だろう。こいつは戦の才能があるようである。
高杉によると大村益次郎という奴が軍全体の戦略を練っていてその運用がはまっているという話もある。
政治の木戸、戦略の大村、戦術の高杉。彼らが同時代に長州に生まれたことが奇跡かもしれない。
「………まるっと」
俺は手紙を書き終えた。
「何をしてるのでござるか?」
「実家に手紙を書いてるぜよ。たまには他人を褒める手紙というのもええな」
「どれどれ。四境戦争は私、坂本龍馬の獅子奮迅の活躍により優位に進んでいて………」
「勝手に読むな!」
戦争中に三吉と二人で暇をつぶしていた。
四境戦争は本当に長州優位に進んでいた。
不利を感じたのか幕府軍は一旦兵を引いてしまう。
それで俺たち亀山社中の面々はユニオン号を置いて帰ってもいいということになった。水兵として役にたつので沢村たちはもう少し残るそうだが。
「坂本さん、助かりました」
高杉が言う。
「なんの。おんしには世話になったからの。銃と三吉のお陰で死なんですんだぜよ」
「そういえば死相はもう見えませんね。一年以内に死ぬことはないと思いますよ」
そういえば前に会った時に死相が見えるとか言ってたんだっけ。病気でそういうのが見えるようになったとか。
「おんしは労咳じゃったの。大丈夫か?」
「ああ、僕は八ヶ月後に死にます」
「はぁ?」
「僕が死んだ後の長州を頼みますね」
「長州のことは木戸に頼め。それから軽々しく死ぬとか言ったらいかんぜよ」
飄々としておかしなことを言いやがる。
そもそも長州のことを頼まれる義理とかないんだってーの。
妙に馬があって面白い奴なんだけど。
俺は高杉に挨拶をして長崎に帰ることになった。
これが高杉晋作と会った最後となる。
それから八ヵ月後の慶応三年四月、高杉晋作病没。
長崎についた俺は幕府軍が退却した理由を聞く。
将軍徳川家茂が亡くなったというのだ。総大将が死んでしまえば戦争どころではない。
そういえば勝先生は将軍にほれ込んでいたな。幕府を見限っていて好き放題批判していたくせに将軍に忠誠を誓って幕府を見捨てられない。勝先生も難儀な人だ。
しかし将軍が死んだとなると後継者の問題が出てくる。おそらくは将軍後見職の一橋慶喜公が後を継ぐだろう。慶喜公は幕府権威主義だからますます薩長との溝が深まるな。
土佐の容堂公や越前の春嶽公は雄藩連合派だからそっちとも溝が出来そうだ。つまりは幕府はますます孤立していく可能性が高い。
そんな時に各地にコネがある俺が動いて反幕府勢力につなぎをつけていくという仕事が出きる。
亀山社中の大仕事はこれからだ。
………のはずだったんだけど。
「龍馬さん。長崎の商人や志士派の豪商から金を借りることが出来ません」
長岡謙吉が申し訳なさそうに言う。
俺が長州で戦争している間のことを聞いた。長岡は財務能力、事務能力がずば抜けていて亀山社中の経営の無駄をあっというまに整理した。頭の良さでは群を抜いていた陸奥や生粋の商人である長次郎よりも実務能力は確かだった。
まあ、頭でっかちで皮肉屋の陸奥や侍の矜持を馬鹿にしてた長次郎では亀山社中のメンバーに対する調整能力が低すぎたんだけどね。その点でいうと長岡はバランスが取れている。
しかし、その長岡でも亀山社中の借金はどうにも出来なかった。
「小金なら貸していただけるのですが、まとまったお金は無理です。このままでは給料も払えません」
「それは困るぜよ」
「薩摩の方から打診はありましたが、これ以上薩摩からの借金が増えるのは………」
亀山社中が薩摩の私兵となるか。
くそっ、今が働き時だっていうのに亀山社中に投資してくれる商人はいないのか!
「商人たちの意見は合致しています。亀山社中は薩長同盟と四境戦争で役目を終えた。というものです。下手にお金を融通すると薩摩に対する莫大な借金も請け負わされるのではないかと警戒されてるのもあります」
全てはワイルウェフ号が沈んだのが原因か。
あれがケチのつき始めだった。多くの商人や藩から金を集めて商売や戦をするカンパニー設立。そんな夢がワイルウェフ号と共に沈んだのか………。
俺は大きくため息をつく。
「まだ完全に手詰まりになったわけではありません。龍馬さんが直接出向けばなんとかなるかもしれません」
長岡の言葉に俺は力なく頷く。
商売人の考えはよく分かる。長岡の言葉は気休めにしかならないだろう。
それからしばらくの間、俺は多くの商人のところを回った。
お慶さんとか小曾根さんとかグラバーとか今まで多くの縁を結んでいた商人たちからも支援は断られる。やはり薩摩に対する借金がネックだそうだ。
肩を落として歩いていると能天気な声と共に肩を叩かれた。
「おおっ、龍馬じゃないかっ。久しぶりやのう」
もの凄く能天気そうで平和そうなその男の表情にさらに力が抜ける。
世間はいろいろと動いているのに彼は時間が止まっていたかのようだ。
「やあ、溝渕さん。久しぶりやき」
「脱藩していろいろ働いてるちゅう噂は聞いとるぜよ」
溝淵広之丞、俺が始めて江戸に剣術修行に行った時に共に旅をした人だ。その後も江戸や土佐で世話になった。あんまり志士活動や時代の変化に興味がない人物でそのうちに疎遠になったんだが。
「なんで長崎にいるぜよ」
「藩の仕事でな………。そうそう、そう言えば前におんしが言ってたやろう」
急に話を変える溝渕。
まあ、土佐藩の仕事を脱藩浪士に漏らすわけにはいかんからな。そういうサラリーマン気質な人だし。
溝渕は腰にある小太刀を俺にみせた。
「実戦では長刀より小太刀の方が小回りが利いて役に立つ。わしゃそれを実践してるやき」
そんなこと言ったっけ?
間合いの長い刀の方がいいと思うけどな。小太刀なら懐に入らないといけないし。
少し考えて思い出した。
小太刀は佐那の得意の武器だったんだ。確か小太刀の免許皆伝を持っている。俺も佐那と仲良くなるために小太刀にはまっていて目録貰ったんだっけ。その時に小太刀を習っている理由を女目当てというのはなんだから実戦で役に立つとか法螺吹いてたわ。
さすがに嘘を信じ込ませているのも悪い気がする。
といっても今更嘘だというのもバツが悪いな。違う話で上書きしておくか。
「それは古いぜよ」
俺は懐から拳銃を取り出す。高杉から貰った寺田屋で俺の命を救った銃だ。
「実戦で一番役に立つのは銃ぜよ」
溝渕とはその場で別れた。
偶然の出会いだったがもう会うこともないだろう。
そんなことより借金どうしよう。
結局のところ借金はどうしようにもなくなった。
長州から帰って来た沢村らに給料の払いを待ってもらったのだが、それも限界だ。亀山社中には金がもうない。
破産だ。
俺は最後の手段として薩摩に連絡を入れる。
薩摩から亀山社中の面々に給料が支払われた。
そして新しい船の購入の打診を受ける。
まるで蜘蛛の糸に絡め取られているみたいだ。借金で身動きが取れない。
新しい船は「大極丸」。この船を使って借金地獄から抜け出せないだろうか。まるで負けの込んだギャンブラーが倍プッシュで更に借金を増やしているようである。
しかし、手は無い。俺は「対極丸」の購入を決めた。薩摩が保証人となった。
慶応二年の秋から冬にかけて。
亀山社中は薩摩の手に落ちた。