第二十三話 俺は土佐勤皇党に入る
寅之進の事件から数ヶ月がたった。
俺はあれ以来やけに冷めていた。むしろ、あの事件の前が熱病にかかっていたかのようだ。
国の行く末を思うのも攘夷に狂うのにも身を削り命を燃やしたところで何ともならない。寅之進の死が俺に現実を教えてくれたようだ。
日本を守り、夷敵を討ち、土佐を変える。俺には出来ない。やるのは武市である。
人任せだ。
武市ファイト!
かと言って無気力になったわけではない。自分の分相応なことをやるだけだ。
継母の伊与の実家である下田屋で商売や船の勉強をしていたのだ。
子供の頃から桂浜で海を見て育ったからだろうか。それとも浦賀で見た黒船の衝撃が大きかったのか。小龍先生から聞いたジョン万次郎の冒険譚に心躍ったのもあるだろうか。俺は大海原と船が大好きである。そして、坂本家は商人の家系である。商売は得意分野に入る。
自分の趣味と特技を生かした攘夷活動。それが今のテーマだ。
今の世の中は困窮している。攘夷活動をするにも金がいる。その金を稼ぐ商人の気質を持った侍が必要になる時が来るだろう。俺はそれになるのだ。
そして、将来的に夷敵と戦うには海軍が必要だ。まずは廻船問屋の千石船を操れるようになり、それで貿易事業、ついで海での戦闘訓練、いずれは海軍。
かなり絵に描いた餅ではあるが、自分の方向性を見出した。
安政六.七年の頃のようにがむしゃらに攘夷を唱えて熱くなってるより、ずいぶんと俺らしい。
そんなおり、武市が藩の用事で江戸に出立することになった。
「俺も行く!千葉道場に挨拶したい!」
佐那に会いたい!
「龍馬には後でやって欲しいことがある。今回は留守番しておいてくれ」
武市のイケズ!
「武市さん、俺を江戸のお供に連れて行ってくれてもいいにな」
俺はふてくされる。
ここは坂本家の奥の部屋だ。ちょうど俺と姉三姉妹が揃ってる。
「武市さんには武市さんの考えがあるぜよ」
乙女姉ちゃんが嗜める。
「乙女姉ちゃんが旦那置いて実家に帰ってきてるのも、深い考えのあってのことやき」
うわ、やめろ乙女姉ちゃん、ダメ、目潰しはダメ!
「千鶴姉、助けて」
「龍馬が悪いきに。ほら、栄も笑っとるがよ」
栄姉ちゃんは布団で横になったまま俺たちの見てニコニコ笑ってる。
重い病を患い、心と体を壊してしまった。そのせいで嫁ぎ先から実家の坂本家に帰ってきていたのだ。
千鶴姉ちゃんはお見舞い。
乙女姉ちゃんは一月前より嫁ぎ先から家出して実家に居座っている。はよ帰れ!
「龍馬と乙女は仲良しやねぇ。でも乙女、龍馬を泣かしたらいかんぜよ」
無邪気な声で栄姉ちゃんが言う。
栄姉ちゃんの中では俺は泣き虫龍馬らしい。苦笑する。
医者の話だと記憶が混乱して自分が何歳で兄弟が何歳なのか分からず、子供返りみたいなことになってるらしい。
まあ、どこの家にもいろいろあるのだ。
でも、栄姉ちゃんはどこか幸せそうで、そんなに悪いことでもないような気がする。
どっかの三女が離縁して出戻られでもしたら、そっちのほうが問題だ。
ジト目で乙女姉ちゃんを見る。
のどを抜き手で突かれた。
武市が江戸から土佐に戻って来ると、道場に武市門下生を集合させた。
俺もその中に混ざって武市の帰国を待ち受ける。
武市は道場の前に立つと演説を始めた。江戸で尊王攘夷を掲げる組織を結成したというのだ。その組織は長州藩とも連携して朝廷工作や攘夷活動を行っていくという。
「土佐勤皇党、と名付けた。我等は尊王を超えた勤皇の志士である!」
武市の仰々しい宣言に場が沸き立つ。そして、一枚の巻物を広げる。血判状である。
「これより土佐勤皇党の党員を募る。江戸の仲間は既に捺印している。土佐では一番手に龍馬がやってもらいたい」
「もちろんぜよ」
俺はあっさりと血判状に捺印する。
これが武市が江戸へ行く前に俺に言った役割である。
剣術の達人で面倒見が良く金のある俺は武市道場で顔役であり、慕われているほうだ。井口村事件での暴走は逆に評価を上げたりもした。その俺が最初にあっさりと勤皇党へ賛意を示すことで若い奴らを引き入れようというパフォーマンスだ。
俺が血判状に捺印すると歓声が上がった。
一応は効果あったのか。
翌日の晩、武市邸。
武市に呼ばれた俺は酒を酌み交わしながら(下戸の武市はお茶で)、話をしていた。
「勤王党とは順調だな」
「以前から政治組織を作ろうという考えはあったのだ。長州と連携したり、藩に圧力をかけるには必要だからな。それにしても一日で百名を超える仲間が集まったのは龍馬のおかげぜよ」
「今は土佐の下士を一つにして攘夷運動をもりたてんといかんからな」
二人だけの時はこんな感じだ。
「龍馬は若い連中に人気があるからな。お前が勤王党を引っ張ってくれると助かる」
「何を言う、みんなこのアゴを尊敬して集まったぜよ。ホンマに立派なアゴぜよ」
「アゴアゴ言うなや。このアザ小僧が」
一仕事終えて気負いがなくなったか、久々に楽しそうな武市。
妻の富さんが、酒とつまみを持って来る。
「この人がこれほど楽しそうなのは龍馬さんが来たときくらいですわ。いつまでも懇意にして下さいね」
いい奥さんだ。武市の愛妻家は有名だしな。
「いえ、富さんといる時が一番楽しそうじゃ」
「そうですか。家ではあまり笑いませんけれど。龍馬さんが来たときくらいですきに」
「いかにムッツリアゴと言えども、富さんとの寝所では笑いますやろ?」
武市が茶を吹く。
「おい、龍馬!」
「いえ、あの人は夜もムッツリでして」
「こら、冨!」
土佐勤王党の勢力は日に日に増していた。党員は百五十名を超えて知らない奴も土佐中から集まってきている。その勤王党の一部と俺はよくつるんでいた。
岡田以蔵、望月清平、望月亀弥太、高松太郎、北添佶摩、中岡慎太郎、沢村惣之丞、昔からの知り合いや新しい仲間と日々酒を飲んで語り合っていた。
やはり俺は人望があるな。
日々語り合ってた。
俺って人気者だな。毎日だぜ。
毎日。
「ゴチになります。坂本さん!」
「いつもありがとうございます!」
「おいしかったです、龍馬さん!」
こいつらタカリだ!
確かにここ数年の大不況で日々の食事にことかくような貧乏下士が勤王党に集まってきてるのは分かってたが。俺によってくるのは飯目当てか!
勤王党の集会に行くのは少し自重。
財布が持たねぇ。




