第二話 俺は初恋に破れ姉ちゃんに勝利する
母・幸が死んでから一年ほど過ぎた頃に親父が後妻を娶った。伊与さんである。
俺はこの新しい母親に乙女姉ちゃんの殺人シゴキを止めてもらえないものかと頼みに行く。
さすがに可哀想かと思ったのか姉ちゃんに意見するが………。
「龍馬を武士として一人前に育て上げるのは私の使命ですきに。全ては龍馬のためです」
「分かりました」
あっさり乙女姉ちゃんに説得されてんじゃねー!
親父助けてー。
「乙女、やりすぎだぞ」
「元はと言えば父上が甘やかしすぎたのが悪いのです!」
「あ、うん………」
親父弱ぇー!
そうだ、権平兄ちゃんは……目そらしやがった。見ない振りすんな!
家庭内虐待に反対!
千鶴姉ちゃんと栄姉ちゃんは嫁に行っていないし、兄貴の嫁の千野さんは乙女姉ちゃんの味方だし、俺の味方はいないのかー。
「そうだ! 春猪助けて!」
「五歳の姪に泣きつくな!」
乙女姉ちゃんに蹴られた。
坂本家は今日も騒がしい。
「今日は上手く逃げてこれたか」
乙女姉ちゃんから何とか逃げて来た俺がよく訪ねたのは遠縁の武市さん(武市半平太)のところだった。
六歳年上であるこの気のいい兄ちゃんとは馬があい、「アゴ野郎」という酷いあだ名をつけた時も苦笑いしながら怒らなかった。まあ、その後で「アザ小僧」というあだ名をつけ返されたが。
「武市さんからも乙女姉ちゃんに言ってくれよ。俺はこのままじゃあ死んでしまうぜよ」
武市さんは困ったかのように言う。
「武士というのは苦難の中で自分を磨くものだからな。龍馬もそのうち分かるぜよ」
「分かる前に死ぬと言っておるんじゃ」
俺は愚痴をこぼす。
武市さんは生真面目な武士らしく自分に厳しい。だからといってみんなが自分に厳しくなんか出来ないのを分かってない。というか、乙女姉ちゃんのシゴキは厳しいとかいう次元超えてるんだって。
あれは稽古とかシゴキとかいう甘いもんじゃない。もっとおぞましいナニカだっ……!
俺は武市さんに懐いていた。武士の世界で六歳年が違うと上下関係がきっちりとしてしまうものだ。それに同じ郷士とは言っても武市家は白札という郷士では一番上の身分である。それなのに武市さんは同等の友として扱ってくれていた。子供の俺にはそれが気分良かった。
生真面目で武士らしく文武両道で優しく気さくな武市さんを俺は尊敬していた。
アゴがでかい以外はパーフェクトだ。
「武市さん、龍馬はきとらんかの」
乙女姉ちゃんの声が聞こえる。俺は焦って隠れようとあたふたする。
「乙女さん、龍馬はここにおりますき」
前言撤回。
この裏切り者!
「アゴ野郎、俺を売りやがったな!」
「しっかりしごかれて来いよ、アザ小僧」
「こらっ、龍馬! 武市さんになんてことを! 武市さんすいません。龍馬、今日の特訓はいつもの倍だからね」
「うわぁー殺されるー。武市大先生助けてー!」
このやりとりもある種の名物になっていた。
この地獄のシゴキから逃げ出せる機会も全くないわけではない。
継母である伊与さんの実家へお使いに行くときである。乙女姉ちゃんと二人で下田屋に向かう。
下田屋は藩の御用廻船商人、要は藩の貿易の取り仕切る大商人だった。そこでは長崎で手に入れた変った品物とかを見ることが出来る。俺はここがとても気に入った。お使いの時はシゴキがないのも気に入った。そしてそこで出会った女の子が気に入った。
十三の俺に下田屋で運命の出会いが待っていたのだ。
相手は藩の貿易を取り仕切る家老の娘、田鶴さまである。
相手も同じ年の十三歳。身分違いがあるとはいえ子供のことである。田鶴ちゃんも下田屋に遊びに来ていたわけで、長崎より持って来られた地図やらガラス瓶やらを二人して目を丸くしながら眺めていた。
坂本家の本業は商売である。建前は武士であるが、武士としての俸禄はスズメの涙。坂本商店という質屋の商売で稼いだお金で生活してるのだ。よって、俺が下田屋に遊びに行き話を聞いてくるのは将来役に立つかもしれぬと歓迎されていた。乙女姉ちゃんを除いてだが。
そういう家族の理解をうまく利用して俺は田鶴ちゃんに会う為に下田屋に幾度となく遊びに行くことにした。
地獄の稽古を休める。面白い舶来品が見れる。初恋の女の子とデートできる。
良いこと尽くめだ!
「この地球儀の小さい国が日本で土佐は更に小さいここにあるぜよ」
「そうなんですか。龍馬くん物知りですね」
ニヤニヤ。
一夜漬けの知識で田鶴ちゃんの心を釘付けにするぜ。
しかし、一年後にあっさりと田鶴ちゃんは嫁に行くことになってしまった。
俺と田鶴ちゃんの逢瀬は終わった。いや、子供の遊びで逢瀬ってほど色気のある話はなかったのだが………。
それにしても十四歳で嫁に行く武士の政略結婚反対!
せっかく長崎の舶来品の説明とか貿易のイロハとか覚えて田鶴ちゃんに得意げに語っていたのが無駄になったじゃないか!
絶対に田鶴ちゃんも俺に気があったはず。
多分。おそらく。だったらいいな。
意気消沈の俺はヤケクソで剣の稽古に打ち込んだ。
乙女姉ちゃんは俺のヤケクソをやる気と勘違いしたのか意気揚々とシゴキ始める。
少し冷静になった時には時遅し。
過激な特訓がどんどん酷くなっていく。
ヤバイ。死ぬ。
十四歳の時に俺は剣術の道場に入った。土佐では名門の日根野道場である。
厳しい練習で有名だったが、乙女姉ちゃんの殺人シゴキに比べるとナンボかマシと考えて志願して入門することにしたのだ。俺の計画通りに道場優先となり乙女姉ちゃんからのシゴキは減った。
十七歳を超えた乙女姉ちゃんは結婚適齢期に入り、俺にばかり構っていられなくなったことも関係あるかもしれない。
「今日は道場で酷くやられたようやね」
ある日の食事中に乙女姉ちゃんが口を開いた。
「五つも年上の先輩が相手ですからやき」
俺は嫌な予感がした。
「年は関係ありゃせん。このままでは坂本龍馬は弱いという評判がたってしまうきに」
乙女姉ちゃんは静かに宣言する。
「明日はうちの庭で剣術の特訓をするから心得ておくように」
頻度は激減したとはいえ特訓が無くなったわけではない。
食欲がなくなった。
あまり認めたくはないのだが、幼年期に虚弱とか泣き虫だとか言われた俺が、青年期になって剣の達人と呼ばれるほどになったのには、乙女姉ちゃんから受けた死の特訓のお陰であるのは疑いようが無い。
ああ、でも認めたくはない。水練特訓とか本当に死にかけたんだから。
日根野道場に通い始めた最初の頃の俺はまだ劣等生だった。
それが二年もすると道場の中でも様になるようになって来る。
乙女姉ちゃんの死のシゴキが四年かけて実を結んだ形であろう。
認めたくはないが……認めたくはないが……。
十六歳となり体格も大人に近くなった。事実、この二年間で三十㎝も身長が伸びた。剣術をする者にとって体格が良いというのは武器になる。この頃になると道場内で同年代の仲間には負けなくなった。
でも乙女姉ちゃんにはかなわない。
坂本のお仁王様という通称は伊達ではない。平均身長が百五十㎝弱であった女性たちの中で乙女姉ちゃんは百八十㎝近かった。百七十㎝を超え男の中でも大きい方の俺より体格も力でも上で、俺は剣の稽古で負け続けだった。
初めて勝ったのは十七歳の時だった。
上段から激しい連撃を繰り出す乙女姉ちゃんの攻撃をいなし、まわりこんでの籠手一本だった。日根野道場での稽古でつちかった技がどうにか通用した瞬間だった。
「侍の癖に小技に頼るとは男が小さいやき」
全く豪傑だとしか言いようがない。
この激烈な姉に鍛えられて少年期の俺・・・坂本龍馬は剣の腕を磨いてた。
剣術が楽しくて仕方が無く、何事もなければ剣によって身を立てていただろう。
時代はそんな人生を送ることを俺に許さなかったのである。