第十四話 俺はストーカーと婚約する
坂本龍馬は開国派になったという噂が流れた。海外通の河田小龍の元に通っているからだ。
「敵を知り己を知らば百戦危うからず。敵であるアメリカの情報に通ずることこそが攘夷につながるやき。あの松蔭先生もそのために黒船に密航しようとしたぜよ。俺は松蔭先生の意思をついでアメリカを学んでるぜよ」
口からでまかせである。
まあ、武市道場の奴らは騙しやすい。武市は俺の思惑くらいはお見通しのようだけど。
一応、二人の時に単なる興味本位で開国派になったわけじゃないし、道場のみんなに言ったことは半分くらいは本音だと弁解しておいた。
「それが龍馬らしいな。それに道場での話には一理があるし、龍馬には私に見えないものを学んでもらいたい。やる気になって良かったぜよ」
苦笑しつつも小龍先生の元で学ぶことを後押ししてくれた。
うーん、さすがに心が広い。人間が出来てていいな。
同じことを桂が言ってたら殴りたくなるけどな。人徳の差という奴だ。
小龍先生のところで海外事情やら海外の科学とかを学んでいた俺は少し勉学の楽しさというものに目覚めて、オランダ語と砲術も習い始めた。本当は英語が良かったが土佐に英語を教えてくれるところなどあるわけがない。仕方なくオランダ語。砲術は前に佐久間塾で中途半端だったので本格的に習ってみようかと。
そんな感じで子供の頃に馬鹿すぎて塾を退学になったという逸話を持つ俺は勉学青年になっていた。
人は変われば変わるものだ。
そんなおり、町中で草履の紐が切れて困ってる武家の娘がいたから助けてあげた。遠めにも清楚で可愛い感じの娘だったからな。
その娘は驚いたように目を見開くとうつむいて黙ってしまっている。顔も少し赤くてなんか可愛い。
「これで大丈夫ぜよ。気をつけて帰りや」
うむ、可愛いけど、こういうタイプに手を出すと面倒だからな。もったいないけど。
「あ、ありがとうございます。龍馬さま」
ん? 俺って名前を言ったっけ?
「加尾は感激でございます。これは運命なのでしょうか」
なんか目がいっちゃってるぞ。どうした、なんだ。この女。
「覚えていらっしゃらないでしょうか。平井加尾でございます」
平井・・・平井・・・収二郎の妹か!
平井収二郎は上士の子供のくせに下士の子供とよくつるんでた奴だ。ガキ大将で十歳頃の俺を苛めてた嫌な奴だ。乙女姉ちゃんも上士の子だから手を出せなかったし、子分を叩きのめして脅かしてたけど。そして、その収二郎の横に度々いた目立たなくて大人しかった女の子が妹の加尾とかいう名前だった。
「覚えてるぜよ。懐かしいなあ、加尾」
「龍馬さまも江戸留学したり河田先生のところで学んだり頑張っていますようでなによりです」
ほう、俺のこともいろいろ知っているようだ。
「昨日はオランダ語の塾で大変でしたようで。一昨日は日根野道場で大活躍だったようで」
ストーカーだー。
「加尾は龍馬さまをお慕い申し上げておりました」
いやいやいや。これはまずい。一番まずいタイプの女だ。
こういう時は速やかに退散してかかわらないようにしないと。
無視しないと。
逃げないと。
・・・逃げられませんでした。
自重しろ俺の下半身!
武家の生娘。最悪の相手である。
平井家は上士とはいえそこまで身分は高くない。下士とはいえ金持ちの坂本家とは良縁とも言える。なんかもう俺の人生詰んでいる!
「龍馬さま輿入れはいつにいたしましょう」
誰か助けて~!
それはすぐにばれた。むしろ加尾が積極的にばらしてた。
平井家は大騒動である。坂本家は盛大にため息である。
「龍馬、お前は平井の加尾様を嫁にもらう気があるのか」
権平兄ちゃんの叱責のような質問があびせられる。
「あるようなないような、加尾のことは嫌いではないですが、結婚という制度に縛られるのは坂本龍馬という男にとっては難しいのではないかと、愚考いたしまして、平井家にバレてしまっては苦しいなれど、どうしましょう?」
俺、半泣き。
「龍馬さん、いい加減に覚悟を決めなさい。平井家であれば悪い縁談ではありませんし」
母・・・親父の後妻である伊与さんの言である。
「それにお父様もいつまでも元気というわけではありませんし」
親父は安政二年になって体調を崩した。佐那に言った方便がくしくも本当になってしまったのである。
自業自得である。身動きが取れない。人生の墓場へLet'sGo!
ところでこの結婚に激しい待ったがかけられた。
加尾の兄の収二郎である。
「この婚姻が成立したら、俺は坂本を切って切腹する!」
俺が土佐で女癖の悪さという悪名を轟かせたのはわずか二年前である。そんな奴に可愛い妹はやれないというわけだろう。
正直、ムカつくが、今は応援。
そうだ! そんな女癖の悪いクズ野郎に妹を嫁に出すんじゃない!
そいつは女の敵だ! 人として間違っているぞ!
・・・自分で言ってへこんだ。
結局は破談になった。まあ、もともと正式なところまで進んでいたわけではないのだ。平井家が家族総出で加尾を説得してあきらめさせたらしい。
俺はホッとする。
今回だけは感謝するぜ、収二郎。
「いやぁ酷い目にあったぜよ。武市さん」
ことが解決した俺は久々に武市道場に顔を出した。
「酷い目にあったのはこっちだ、龍馬!」
収二郎がいた。
「げぇ!お義兄さん!」
「誰がお義兄さんじゃ。丸めて転がすぞ!」
「龍馬、平井殿は攘夷志士で、近頃はうちの道場でともに語り合ってるのだ」
「そのお陰で龍馬の正確な情報が手に入って加尾を説得できたきの。全く危ないところやった」
「それはオメデトウございます」
「他人事みたいに言うなや! 固めて埋めるぞ!」
武市道場は今日も盛況である。