第十三話 俺は河田小龍に会い世界を知る
歴史MEMO
安政元年十二月 日露和親条約調印。
「河田小龍という絵師を知っとるか?」
ある日武市が言う。
半年ほど自堕落な生活送ってたら、武市も俺が尊皇攘夷の志士だということが眉唾であるというのに気づき始めたようだ。以前ほど講義に呼んだり語り合おうとはしなくなった。まあ、武市道場の奴らはまだ誤解しているようだが・・・。
で、この日の武市は家にたまたま用があり、そのついでに縁側で蟻の行列を観察していた俺に話しかけてきたのだ。
記憶を探るが思い出せない。忘れただけかもしれないが。
「知らん」
「土佐で人を集めて講義とかしている絵師だ。私は嫌いだが」
珍しく武市が人の好悪を口にする。
それで興味がひかれた。武市が人の嫌いをはっきりと口にするのは珍しい。
「開国派かなんかか?」
ここしばらくの付き合いで武市が尊皇攘夷に深く傾倒してるのは理解してる。その武市が嫌うとなれば開国派だろう。
「それならまだマシだ。奴には思想がない。ただの外国礼賛家だ。それなのに奴のところには人が集まっている。不思議でならん」
ますます興味がわく。最近暇だったし見にいってみるかな。
でも、俺が行ったら武市が怒るかなー。
「興味を持ったか龍馬。なら見て来てくれ。お前は私と違う視点を持っている。私が分からないものが分かるかもしれん」
なるほど。
こういうところ、武市は懐が深い。
「それにそのまま家で寝てると龍馬、お前は人間が腐るぞ」
ほっとけ。
河田小龍は小汚い中年の親父だった。芒洋としてていて、江戸であった志士たちと比べると覇気というものが感じられない。
「攘夷も開国もそんなものはどうでもいいのだよ」
その柔らかな口調から武市が聞いたようのと同じことをことを言う。どうやら思想家ではないのは確かなようだ。
桂も武市もそうだけど、攘夷家というのは小うるさくて面倒だからな。苦手だ。開国派の佐久間象山はもっと酷いけれど。
「それで、君は何を聞きにきたのかな?」
「暇だったんで何か面白いことー」
いや、ホントに。
難しいこと言われても分からねぇし興味ねぇし。
「では、アメリカのことでも話しますか」
小龍はのんびりと言う。
それにしても・・・武市の話では人が集まっているとのことだったが、今は小龍と龍馬の二人だけだ。
「他に講義を聞きに来てる人はおらんのですか?」
「私の本業は絵師なのでね。気が向いた時しか話はしないのです。今日は気が向いてたら君が来たのでね」
たまたまだったらしい。いつ何時に講義があるか分からないのであれば、そりゃ人も集まらなくなるだろう。納得。
まあ、でも武市が心配するような影響力ないぞ、こいつ。ただの変人だ。
「ちょっと待ったぁぁぁ!」
誰か走りこんでくる。町人のようだ。
「ハァハァ、ゼェゼェ、小龍先生・・・で、弟子にしていただいたこの饅頭屋長次郎、今日こそはお話をお聞きしたく・・・ゼェゼェ」
「君も頑張るねぇ。まあ、落ち着いて」
「あ、ありがとうございます。今日こそは・・・今日こそは・・・」
と、そこで長次郎は俺に気づく。
「お侍さまも小龍先生のお話しを聞きに?」
「まあ、そうだけど、このおっさんの話をそんなに聞きたいのか?」
「もちろんですよ。先生はあのジョン万次郎どのから直接話を伺った数少ない御仁なのです。本も読みましたが是非先生の口から詳しく伺いたく」
ジョン万次郎?
犬の名前か。
まあ、いいや。変なおっさんと変な町人。しばらく暇はつぶせそうだ。
「ではアメリカの話しを・・・」
「それでカンパニーとのことを、ちくっと詳しく教えてください!」
「さ、坂本さん、私のプレジデントの仕事についての質問が先ですから!」
すげぇぇぇ、おもしれぇぇぇ!
ヤバイ、マジヤバイ、宇宙ヤバイ、じゃなくてアメリカヤバイ。
いやはや目から鱗というのはこのこと。
アメリカでは金を集めて商売をするカンパニーとかいうのがあるんだな。自分が金持ってなくても人の金で商売するとかヤバイ。それに国の代表の大統領つーのに、農民だろうが町民だろうが誰でもなれるとかどういうことだよ。そりゃヤバイよ。
「それでは今日はこれくらいだね」
「次回はいつになりますか!」
「気が向いたらね」
小龍先生は奥の部屋に入ってしまった。
「うわぁぁぁ! 次はいつなんだんだぁぁ」
小龍先生の家から外に出て思わず叫ぶ。
なんだこの焦らしプレイ。
浦賀で見た黒船の仕組みとかも分かりやすかったし、蒸気で船が動くということがそんなに凄いことだとは。
異国の商売から国の制度から科学やら、攘夷やら開国がなんたらよりもよほど面白いわ。
小龍先生さいこー
「坂本さんも小龍先生の凄さが分かったようですね。フフン」
鼻を鳴らすな。お前が偉いわけじゃないだろ。
そこでふと思い出す。
「そういや、小龍先生が書いた本があるとか行ってたな。よこせ」
「何ですか、そのジャイアリズム。高い本なんですよ」
「金ならあるぞ。俺は天下の才谷屋の分家の坂本家の次男だ」
いろいろと虎の衣を借りまくってるが気にしない。
饅頭屋といえど、商売人の息子であれば才谷屋に反応しないわけがない。
「坂本さんはあの豪商の才谷屋につらなるお人ですか」
驚いたように長次郎は言う。
「分かりました。小龍先生の本を御用意させていただきます」
『漂巽紀畧』という名の本を手に入れたのはそれからしばらく後のことである。
剣の師は今までいたが、学問における俺の最初の師匠は間違いなく河田小龍だった。