第十話 俺は佐久間塾に通い松蔭を知る
俺とは違い世の中の変貌に気づいて、過敏に反応してる奴もいた。もちろん桂小五郎もその中の一人だ。
桂に誘われた例の会合とやらに顔を出すことになった。桂は俺のことを知識は薄いが憂国の士になりつつある若者だと思っているようだが、実際は異国など知ったこっちゃないただの馬鹿だ。さて、どうやって桂に恥をかかせてやろう。
その料亭にいたのは長州藩、熊本藩、佐賀藩の藩士だった。喧々諤々とした議論が白熱している。桂は俺を彼らに紹介して議論が再開する。俺は議論を右から左に受け流す。
適当に相槌を打ち的外れなことを言ってみる。
しかし、こいつら我慢強い。そうとう適当馬鹿発言してるつもりなのに。
「坂本くんは発想が面白い、その柔軟な考えは見習いたいものだ!」
感心されてしまった!
まずい。俺は読み違いをしていたかもしれない。頭の良い奴らの会合だとばかり思っていたが、もしかしてこいつらみんな馬鹿・・・?
気に入られちゃった仲間にさせられるのか。いやだ、そんな面倒くさい!
ここはくだらない馬鹿話で場をごまかすことにしよう。話の流れを阻害しないように巧妙に話題をずらす。
「砲術といえば・・・藩屋敷で同居してる溝渕って奴が砲術の勉強してるきに。こいつ馬鹿で・・・」
溝淵広之丞の滑らない話。この鉄板の馬鹿話で笑いとりつつ真面目な話はスルーだ!
「・・・と言うことがあったぜよ。ホントに溝口は面白い男ぜよ」
よっしゃうけた。さすが滑らない男、溝淵広之丞!
場を盛り上げて、俺が真面目な話が不得意な奴というのも分かるという一石二鳥の手だ。面倒くさい話はそろそろお開きで。
「いやぁ、坂本くんは話がうまい。志士というのは話術も立派な武器だよ、君は仲間として心強い」
いや、そんなところ食いつくな。
「そういえば、その溝渕くんが学んでる佐久間塾の話をちょうどしようと思ってたところだ。佐久間象山という我が国一流の学者が・・・」
俺の話から変なところに話を広げるな!
ああ、俺なんでこんなことになってんだ。
「坂本さんも佐久間先生の話を聞いてみては?」
この夜、俺はなんだか分からない内に佐久間象山の塾で砲術の勉強をすることになってしまっていた。
なんでやねん!
なんでやねん!
なんでやねーん!
「龍馬が砲術の勉強とはのぉ。雪でも降るんじゃかいか」
「十二月に雪が降って何がおかしいぜよ」
嘉永六年十二月、不本意ながら佐久間塾で砲術の学問を習うことになる俺。隣に溝渕が先輩づらして俺に砲術の基礎を教えていやがる。
しかし、佐久間の講義はつまらない。言っていることの意味が分からん。やはり俺は勉学に向いていない。
佐久間塾の帰り、溝渕と二人で江戸の町をぶらりと散策していると見知った顔を見つけた。
「あ、佐那さまではないですか!」
佐那は着物を着ていた。突然、俺に会ったことに動揺しているようだ。
道場では袴姿であるため、着物姿がやけに新鮮だ。
可愛いなぁ。美しいなぁ。
「さ、坂本さま・・・ど、どうして・・・」
「佐久間先生の塾で勉学に励んだ帰りですきに。こちらは同輩の溝淵広之丞です、溝渕さん、彼女は千葉定吉先生のご息女の千葉佐那子さまです」
「ああ、あの鬼小町・・・いえ、すいません。佐那子さま」
溝渕が口を滑らせる。このうっかり馬鹿が。
「いえ・・・どうも・・」
どうも歯切れが悪い。顔も少し紅潮している。
うむ、慣れない着物姿を知り合いに見られて恥ずかしがっているというところか。普段とは違う緊張感。これはチャンスかも。
「それにしても普段の姿も凛々しいですが、着物姿の佐那さまはホントに美しいですきに。これは惚れ直してしまうぜよ」
さりげなく惚れてるとかいう言葉を言ってみたり。
佐那の顔の紅潮がさらに激しくなる。
「な、何を言っておられるのです。あなたは前々から口が軽いところがあります。御自重なさい!」
「怒らんといて下さい。美しいものを美しいいうただけきに」
「もう知りません!」
佐那は逃げるように去っていった。
これは手応えあり。佐那は俺を少し意識してようだし、今回でそれを更に強くした。落ちるのは時間の問題!
ガッツポーズする俺。
ジト目で俺を見る溝渕。
「龍馬、お前はいっぺん死ね」
もてない男のひがみは醜いよ。
三話で言っていたことを大事なのでもう一度言います。
俺は女に無茶苦茶もてた。
年が明けて嘉永七年一月、相変わらず佐久間象山の講義はつまらない。
解説に経過説明がない。理論と答えだけなのだ。これで理解しろというのが難しい。馬鹿にも分かるようにしろ。
と、隣の溝渕を見る。そういえばこいつも馬鹿だった。講義が分かるのだろうか。
「講義を聞くだけでは分からんが、後で書物と照らし合わせて分かるまでやってるからな」
こ、こいつは意外と努力する馬鹿であったか。
まあ、俺は剣術修行で江戸に来てるが、こいつは砲術の勉強の為に江戸留学してるから分からないじゃすまないんだろうけど。
つまり、本業じゃない俺は佐久間の講義が理解できなくても仕方ない。
・・・佐久間塾へ払う月謝が金の無駄だ。
俺は佐久間塾を辞めるのを決心した。
俺は塾を辞めることを伝えるため、象山の自宅へ行った。面会を求めて奥の部屋で通される。象山がいるはずの部屋の襖に手をかけようとした時に中から声が聞こえた。
「松陰先生! 考え直してください!」
桂の声が聞こえた。珍しく興奮してるな。声がでかいぞ。
「海外に密航するなど幕府に知られたら死罪であります! どうか考え直して下さい!」
・・・へ、密航??
「僕にはアメリカに渡り海外の知識を日本に持ち帰る使命があります。僕は死を恐れない。死を恐れて何も出来ないことをこそ恐れるのであります!」
こいつも声でかい。誰だ? 松蔭とかいう奴?
「私は吉田君の意思を尊重するぞ。そもそも反対していうことを聞く奴でもないだろう」
ああ、象山のダミ声は煩い。
「ですが・・・密航を計画してることが幕府に知られたら未遂でも死罪なんですよ!」
だから、声がでかい。
「君たちに計画を話したのはすまないと思う。話を聞いただけで共謀罪で裁かれるかもしれません。ですが、僕の思いをわかって欲しかったのです」
・・・聞いただけで罪?
そんなヤバイ話をでかい声でするんじゃねぇ!
聞こえてしまうだろうが!
いや、俺は聞いてない、俺は聞いてないぞー!
俺は踵を返して佐久間邸から逃げ帰った。