13話 王子とサージウス〜即席マナー講座・2〜
さて、問題の質問状に向き合ったカトリーヌ。
『1.生の脳みそは 好き・どちらかというと好き・焼いた方が好き・どちらかというと嫌い・嫌い・その他』
この質問にどう答えるべきだろうか。
(嫌い、にチェックするのは、なんだか失礼な気もする……)
おかしな質問を前に、う〜んと頭を悩ませる。
結局、『その他』にチェックをつけることにした。
インクは見たことのない濃紺で、角度によっては白色にも紫色にも赤色にも光る。
(昔、お母様が身につけていらした首飾りの、オパールみたい)
インクの色に見惚れながら、カトリーヌは亡き母を思い出していた。
不思議と、目の前に現れるように、はっきりと思い出せる。
カトリーヌの母は、漂泊の民だった。
身分の低い妾の子、とカトリーヌがエリン王城内で虐げられてきたのは、そのためである。
もう一つ、理由があった。
カトリーヌの母が持つ占いの力を、まったく引き継がなかったのだ。
そのため、無才無能と言われ、使用人としてこき使われ続けてきた。
占いを生業にしていた母は、エリン王国に来てすぐに、よく当たる美しい占い師として評判になったそうだ。
それを聞きつけたエリンの国王が、なかば攫うようにして母を妾にしてしまったのだという。
そんな母は、カトリーヌが七歳のときに肺の病に伏せってしまった。
「愛しいカトリーヌ。どんなときでも、希望を失っちゃだめよ。あなたは特別な子よ」
「特別なんかじゃない。わたし、お母様みたいに占いが出来ないもの……」
カトリーヌが言うと、母は泣き笑いのような表情になった。
「いいえ、あなたは特別よ。もし辛いことがあっても、あなたらしくいてね。いつでも、運命はあなたを……ゴホッ」
「お母様! 無理にお話しないで!」
「いいのよ。それより、もう私は長くないわ。カトリーヌ、この首飾りをお母様だと思ってね」
カトリーヌに首飾りを渡す母の手は、やせて骨ばっていた。
首飾りを受け取ると、ほっとしたように母の目の光が弱くなる。
「……愛しているわ、カトリー……ヌ」
それを最後に、母は目を閉じた。
「いやだ! お母様! 私、特別なんかじゃないの! 何にも出来ないの!」
反応を返してくれなくなった母の胸に顔を埋めて、カトリーヌは泣いた。
握りしめた首飾りは、幼い彼女にはとても重く感じられた。
結局その後、首飾りは壊されて、義妹のアンヌにオパールを奪われてしまった。
残ったのは飾りに使われていた、名のない緑の石だけだ。
それだけが母の形見だった。
(お母様と私の瞳と同じ色をした、大切な石……)
胸元に忍ばせた、形見の石のペンダントヘッドを服の上から握る。
涙が、頬を伝う。
様々な色へと偏光するインクを眺めていると、抑え込んでいた思いが溢れて止まらなくなる。
と、そのとき、羽根ペンが柔らかい羽毛で頬の涙を拭ってくれていた。
「ありがとう……なんだ、あなたって優しいんですね」
そう答えるカトリーヌの目の前で、質問状の端に羽根ペンが文字を書いていく。
『これは魔法のインクだ。ザコは幻覚を見て心を削られる。お前、ザコだな』
「ざっ、ザコじゃない! ていうかあなた、筆談できるの!?」
まずい、喋れないと思って王女らしくない言葉を使っていたのに。
そう焦るカトリーヌと裏腹に、ペンは雄弁に文字を綴っていく。
『俺っちは特別な羽根ペンだからな。お前がザコじゃないってんなら、あれだな』
とまで紙に書いていた羽根ペンは、ひょいとカトリーヌの手の甲に飛び移った。
『弱虫』
「弱虫じゃない! ……って、手の甲になんてこと書くんですか! 魔法のインクだなんて知ってたら惑わされませんでしたっ!」
カトリーヌがムキになって言い返すと、ペンは「どうだか?」というように揺れてみせた。 ピリッとした空気の中、サージウスによるマナー講座は続く。
「なるほど。僕に代わってお前が彼女の姿をよーく見ていたのは、分かった。一旦それは許してやるから、マナーの続きを教えてくれ」
「青筋たてながら言わないで下さいよ」
「仕方ないだろう。なぜか猛烈にイラっとくるんだから」
「はいはい、そっすね。えーと、手の甲に口づけするってのも、聞いたことがありますね。敬意を表す挨拶らしいです」
「手の甲に? 口づけ? 嘘じゃないだろうな?」
自分の手をまじまじと見つめながら、王子がたずねる。
「本当ですって。ヒト族っていうのは独特の挨拶を重視するらしいですよ」
「難儀だな……。僕もしっかりとマナーを覚えねば、失礼になるというもの。まとめると、手を握り、褒めて、手の甲にキスだな? 敬意を表すにはそうすれば良いのだな?」
「ん〜、まあそういう感じです。あ、ご婦人は手袋をはめてるときもあるんですよ」
「なに? その場合はどうするのだ?」
王子に詰め寄られて、サージウスは目をそらした。
実はサージウスとて、ヒト族のレディと特別親しくしたことがあるわけではない。
ただ、鎧姿であるのをよいことに、ヒト族の領地をふらついたことがあるくらいだ。
「今日は手袋をつけないよう、衣装係に言っときましょう。それで解決!」
「つけていた場合のことは知らないのか」
「知らないわけじゃないです、偶然忘れただけです」
誤魔化すサージウスに、王子が胡乱な目を向ける。
「あ~、と! 最後に一つ! これは重要ですよ!」
サージウスは大きな声をあげて、無理に話題を切り替えた。
王子の肩にガッと腕を回し、重大な秘密でも告げるように、ひそひそとした声で言う。
「言葉遣いは丁寧に。それから、低い声で甘く囁くんです」
「そ、それは礼儀か?」
つられて声を潜めた王子が聞くと、サージウスはさらに深刻そうな声を作って言った。
「いえ、ご令嬢がときめく秘訣です。いいすか、ご令嬢はときめきを求めていますからね」
「う、うむ。心しよう」
王子が大真面目な顔を作ってうなずいた。
サージウスの講義を終えた王子は、続いて厨房へと降りて行った。
生真面目な彼は、花嫁を迎える準備を万全にするために忙しく動き回っている。
「くっ、なんてことだ! 母君に着せられた衣装が派手すぎるし重すぎる!」
調理台の並ぶ厨房に足を踏み入れてすぐ、王子はそう呟いた。
細かな宝石の縫い付けられたマントを重そうに翻しながら、調理台の間を歩くのは大変だ。
「そうですかい? よく分かんねえですけど、お似合いですよ。目出度えことなんですから良いでしょう」
どうでもよさそうに返事を返したのは料理長のゴーシュだ。
その言葉に対して、王子は無言で返答の代わりとした。
真剣な顔で厨房の台に並べられた皿の盛りつけを眺めていく。
おもむろに懐から書物を取り出すと、ページをめくり、皿と見比べ始める。
「それはなんですかい?」
「旅行記だ。東の国のヒト族の探検家が書いたもので、色々な国の料理のスケッチが載っている。ヒト族風に盛り付けたいからな。……うむ、僕の頼んだ通りにしてくれたようだ」
「初めてのことなんで、よく分かりませんがね。言われた通りにしただけですよ」
「それがありがたいのだ。僕のこだわりで手間を掛けた。礼を言う」
そう言って会釈する王子のマントがまた揺れる。
ソースが付きそうになったところで、ゴーシュが慌てて皿をどかした。
「お、王子! もう行った方が良いんじゃないですかい? そろそろ食事運ばないといけねえですから! ほら、ワゴンがもう降りて来ちまいましたよ」
そう言ってゴーシュが差した先に、配膳用のエレベーターがある。
ちょうど到着したところで、鈍い音を立てて扉が開く。そこには配膳用の自走術式ワゴンが待機していた。
ワゴンは遊んでもらいたがる犬のように、ぐるぐる回りながらエレベーターを飛び出した。
調理台の横に滑り込むと、早く料理を乗せてくれとばかりにガチャンガチャンと跳ねる。
「ほら、もうこれ以上ここに居ても、おきれいな衣装が汚れるだけですだ! 忙しいから出てってくだせえ! 王女様を待たせたらいけませんよ!」
「しかしまだ心の準備がだな! そうだ! ゴーシュはヒト族式の挨拶というのを知っているか?」
「知りませんですだ! 俺の料理に注文つけたんですから、王子もうまくやるんですよ! 晩餐会を台無しにしたら承知しねえですからね!」
喚く王子の背をぐいぐいと押して厨房から追い出すと、ゴーシュはため息をつく。
「まったく、うちの王子の内気なのにも困ったもんだぁ」
ひとりごちるゴーシュの横で、落ち着き無くワゴンが動き回っていた。





