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眠操者  作者: 工藤ゆさ
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始まり


―山茶花研究所―

ここは眠りについての研究を行っている国内唯一の研究所。

真っ白な室内で、声を潜めて話す二人の男がいた。

細い黒縁眼鏡をかけた男は、たった今聞いた話があまりにも自分の想像を超えていたため、眼鏡の強い度のせいでいつもは小さいと思われがちな目を目一杯見開いていた。

「じゃあ実は、僕は眠受者と呼ばれる側の人間で、葛城さんのような眠与者という存在がいなかったら眠ることさえ出来ないと?」

葛城と呼ばれた男は、眼鏡の男とは対照的に落ち着いていた。

「眠ることさえ、というか眠りはすべての生物にとって何よりも欠かせないものなんだが……。まぁ、急にこんなことを言われても信じられないかもしれないけれどね」

表では、目の前の人間の動揺ぶりに気の毒な、と共感して見せるが内心は違った。

(毎度毎度同じ反応。どんなに優秀でも所詮は眠受者。わざわざこの山茶花研究所に眠受者を引き入れることもないっていうのに。次にここに眠受者が入ってくる時は誰かに役目を変わってもらおう。こんなに退屈な役割を引き受けるのは俺でなくても良い)

「もう一度言おう。この世には、眠与者と眠受者という二種類の人間に分けられる。眠与者とは、私たちのように人が眠るために必要なエネルギー、通称眠エネルギーを持っている人間だ。そして、君のようにそのエネルギーを持たない人間を眠受者と我々は呼んでいる」

取り繕っていたつもりだったが、幾度も同じ反応を見せられれば、ついぼろが出てしまう。

眼鏡の男は、目ざとく彼の飽き飽きとした様子に気が付き、いつもの冷静さを取り戻した。

「すみません、取り乱してしまって。……で、そんな国ぐるみで隠すような重大な事実をこうやって教えられたということは、私の命はもう残り少ないのでしょうね」

「いやいや、それはとんだ勘違いだ。桓武君、君が優秀だからこそ、この事実を知る機会を与えられたんだ。この研究所には君のように眠受者だけれどここで研究員として働く者が多くいる。ここだけではない。普通の人間が知らないだけで、同様の立場にある眠受者は沢山いる。安心してくれ。今日帰ったらすぐ準備をしておいで、明日からの君の勤務先はここだ」

それが光栄なことだと、葛城が信じて疑ってないことを眼鏡の男、桓武は感じ取った。

(普通の人間とさらりと言うが、彼が言う我々眠受者が眠エネルギーの存在を知らず、彼ら眠与者だけがそれを知っているのが普通だというのか。この世がこんなにいびつな形をしていたとは知らなかった。僕はちっぽけで無知な存在でしかなかったのだ)


桓武は元々、学業を修めた後に、食に関する研究所で日々研究に励んでいた。

ある日今まで食用とされていなかった植物を、食べられるようにする栽培方法を新たに発見する。

研究長にすぐさま報告すると、チームの面々の前で桓武のこの発見は紹介され、皆が称賛してくれた。

桓武は、より多くの人に認めてもらうために、学会で発表をする前にこの食物がどう国民に普及していくかの予測も行い、これがこれからの国民の栄養の一部を担うことを確信できたところで論文にまとめにかかった。

この発見が桓武の研究者としての名をもっと高めてくれる一手になるとこの時は信じて疑わず、来たるその日を夢に見て桓武は研究に、論文にと励んだのだった。

しかし、その日が来ることは遂に無かった。

論文は研究長の名で発表されたのだった。

桓武は勿論研究長に訴えた。しかし彼は桓武を丁重に扱うことは無く、軽くあしらった。

周りの研究員の多くは自分に火の粉がかかるのが恐ろしかったため見て見ぬふりをしたが、この件を受けて見切りをつけ、研究所を去る者も少なくなかった。

桓武も同様に研究所全体のやることなすこと全てに嫌悪感を持ち、こんなところは廃れて当然だと考えつつも、若く活力に溢れる彼は決して諦めなかった。

(自分の行った研究はきっと人々のためになっているだろう。自分の名でなく、別の人間の名で発表されたから何だと言うのだ。世のためになるのなら、そんなちっぽけなことは気にするな)と。

桓武は再び研究に励み始めた。

そんな彼の、今回の件を全く気にしていないような様子に周りは驚いたが、当の本人はそんな彼らの様子は視界の端にも入らなかった。

そんな矢先、桓武は葛城と名乗る人間が自分を訪ねに研究所に来たことを知る。

人の好い笑みを浮かべる葛城が差し出した名刺には、”山茶花研究所”とあった。

「山茶花とは、君にとっては聞きなれない名かもしれない」

「えぇ。あなたのおっしゃる通りです。……私の自惚れでなければ、ここにわざわざ来ていただいたのは私を見込んでの引き抜きかと思われます。しかし、私はここで」

桓武の断りの姿勢を察知した葛城の反応は早かった。

手のひらで制し、桓武の続く言葉を遮った。

「あー、そうそう。勘が良くて助かるよ、まあ君は早速断ろうとしているのだけれど。しかし、それは判断が早いと思うよ」

「早いとは? 私にとって何か特別な利点があるのでしょうか」

桓武の返しを聞いた葛城はニヤっと笑った。

今までの表情は品の良さを漂わせていたが、それは一変して研究長のような煩わしさを感じる笑みになった。

顔を近づけ、葛城は声をひそめる。

「実は山茶花の研究所を支えているのは椿家なんだ」

椿家と聞き、桓武は国の先頭に立つ総理大臣。ではなく、その隣に寄りそう椿凜雅を思い浮かべた。

現副総理大臣、椿凜雅の生まれた椿家とは、代々国のトップに立つことが多いことで有名な家系だった。

葛城のしたり顔から察するに、指す椿家とは有名な一家の事だろうが桓武にはこの椿家以外の一家は頭に浮かんでこなかった。

「椿って、あの椿家ですか」

予想通りの反応を得られた葛城は大きくうなずいた。

「そうだ、あの椿だ。山茶花と椿は親戚関係。言ってしまうと分家と本家の関係だ。椿と親戚関係にあるそんな山茶花の研究所だ。君に、うちの研究所に来ないという手はないだろう?」

「その山茶花が行う食の研究というものはすごく気になります。私はそこで何をさせてもらえるんでしょう」

桓武のこの返しを聞いて少なからず葛城は驚いた。

今まで何度も桓武と同じように目を付けた研究員と話をしてきたが、桓武以外の人間は例外なく椿家という言葉を耳にした時点で葛城の提案に頷いていたからだ。

(こいつは今までのとは違うな。いや、だからこそ山茶花のお眼鏡にかなったというところか。だとしたら……)

一層芝居がかった口調で葛城は話し始めた。

「気を落とさないで聞いてほしいんだが……。山茶花がやっている研究は我が国で唯一認められた研究であり、君の専門の食に関するものではない」

様子をうかがいながら話す葛城に、桓武が真っ先に思ったのは(では、自分でなくてもいいじゃないか)ということだった。

しかし、桓武の心の中を見透かしていた葛城は、更に畳みかけた。

「だがこれはきっと君だからこそ出来ることだと私は思う。なにせ山茶花の研究所の研究は」

葛城はもったいつける。

「……この国の人々、すべての人にとって利になる研究だ。君にとってはこの世のすべてがひっくり返ってしまうかもしれないがね」

葛城の言った後半の言葉はもう桓武には届いていなかった。

それより前の言葉が、この世のすべての人間を思う桓武にとって強烈すぎたのだ。

葛城は何事も早さを第一に考える男だった。

あっという間に桓武の入所手続きを終え、今に至る。


この研究所にいる職員いや、眠与者といった方が良いか。彼らは自分たちとは違い、さぞかしいい待遇を受けているのだろう。

桓武は改めてよく観察すると、葛城が張りのある肌を持ち、よれ一つない真っ白の白衣を着ていることが分かった。

しかし、そんな身なりの良い葛城だったからこそ、一つだけ目立つ物があった。

胸のポケットにささる万年筆。長年使い込まれている様子からして、良い品だということは分かったが、見た目に気を使っているように感じる葛城がそれを持つには少々違和感を感じられた。

「ん? あぁこれか。君もきっと所長から授けられるよ」

桓武の視線に気が付いた葛城は、わざわざポケットから取り出し、桓武の目の前に差し出した。

「ずいぶんと長いこと使っているみたいですね。これは何の柄ですか」

受け取った万年筆には何かの花の柄が、そこだけ綺麗に咲いていた。

「何の柄ってここの研究所の名前は?」

苦笑いの葛城に桓武はこれが何を表しているのか気が付いた。

「山茶花ですね」

「あぁそうさ。ここの研究所の職員は全員これを持っている」

「すごく大事にしていらっしゃるみたいですね。勿論、所長からもらったということもあるとは思いますが、もしかして他にもなにかあるのではないですか」

桓武の言葉に葛城は目を丸くした。

「君は案外するどいな。そう、これを大事にする理由にはこれまた椿が関わってくる。ちょうど二十年ほど前かな。とある研究員がここ山茶花研究所で、眠エネルギーは眠与者の普段の生活のエネルギーとしても利用されているという、それはそれは素晴らしい発見をした。その時の総理大臣が、椿凜雅さんの父上椿創雅さんだった。彼はその研究員の功績を称え、親族だけが身に着けることを許されていた山茶花のモチーフのものを授けた。これはその名残ってところだな」

「へぇ。それはめでたい品だ」

「そうだ。めでたいって言えば、眠与者を代表する家、椿家にもうすぐ跡継ぎが生まれるらしい。その子の父親、大雅さんがこの国を背負っていく。そんな世代交代も、もうすぐだな」

話が逸れ、一人盛り上がる葛城とは違い桓武の心は反比例して冷めていくばかりだった。

(椿凜雅、椿大雅ときてまたその子孫。もうすぐ生まれるという椿家のその子もきっと親の引く線を器用になぞるのだろう。眠与者が支配するこの国はきっと変わらない。何か、きっかけがなければ)


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