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06:薬について考える②

うちを知っている?

うちを知っていて、それで遠回しに依頼してくる。図式がよくわからない。知っているのなら堂々と正面から依頼してくれば良いような。

「これはまた面倒だなあ。その娘、家の意向を無視する形になるから、わざわざ人づてにしたんだぞ」

なんと、うちに依頼を出しにくいような家でしたか。それは、そのお嬢さんはよほど切羽詰まった状態だったのでしょうか。

しかしうちに依頼を出しにくいというのはどう意味なのか。うちは普通の店ですよ?


ご主人様は床から起き上がるとおもむろに部屋を出て、奥の書斎へと向かう。

「え、薬があるのですか?」

後ろ姿に声をかける。

薬があるのか、書斎に処方を書いた本でもあるのか。

「いやー、薬はないねえ」

薬はないらしい。

では処方を書いた本があるということか。

「書斎で探し物ですか?わたしも何かお手伝いしますか?」

「いやー、探し物ではないねえ。あー、手伝いなら、下からこの紙に書いてある材料を全部、この量で持ってきて」

その場で紙片になにやら書き込むとそれを差し出す。

探し物でもないのか。薬を処方するのなら一緒に下へ行った方が話が早いような気がするのだけれども。

首をかしげながら紙を受け取ると、そこには材料がいくつも書かれていた。

どれも場所はわかるので揃えるのは簡単だ。量も少ない。しかしこれで揃えて作れるのは一回分の飲み薬がせいぜいではないだろうか。

やはり薬を新しく作るのだろうか。

さすがご主人様、大きな家のお抱えの薬屋が用意できない薬を作り出せるとは、お見事です、と言えるような状況なのだろうか。

どういう展開になっているのかわからない。これは薬を用意するということで良いのだろうか。

しかしこの材料、ごく一般的なもののように思えるのですが。何をどうしたら特別なものになるのでしょう。


材料は簡単にそろった。

やはり難しい物は一つもない。どれも一般的な薬に使われている物ばかりだ。

それをかごにいれて書斎へ持って行くと、ご主人様は椅子の背もたれに体を預けて深く座っている。

その脇には紙が何枚かと水の入った小瓶、材料を粉にするための乳鉢と乳棒が置かれた小さなテーブル。

ここで調剤をするのは初めてだ。

「そこに置いて」

テーブルを指し示す。

「これで準備は整ったわけだけれど、まずは先に大事な話をしようか」

大事な話。

そう切り出すご主人様は、わたしがここへ来てから今までに見たことのないような真剣なものだった。

わたしは調剤をして薬を売る、ごく普通の薬屋に引き取られてきたはずだ。

確かにご主人様は少し変わった人だとは思うけれど、それだって別に特段言いつのるようなことではないだろう。

大事な話と言われても、その内容を想像できるような力はわたしにはなかった。

混乱。

そのときのわたしの状態は、一言で言ってしまえばそういうものだった。


「依頼してきた娘の家は、この店も、主人である私のことも知っている。どんな店なのか知った上で、この店に注文を出すようなことはしない。そう決めている家だ」

「…なぜでしょう」

「私の仕事のことを知っていて関係を持ちたくなかったのさ。これからこの国の比較的上の方での格式を求めようという、良い家なのだよ。その判断は間違っていない」

ご主人様の仕事と言われても腑に落ちない。薬屋では?

「良い家なのだから雇っている医者も薬屋もまっとうな良いものなのだろう。そういうまっとうな付き合いをないがしろにしてまで、この店に依頼しようなどとはなかなか考えないことだよ」

この言い方では、うちの店はうさんくさいようではないか。

そんなはずはない。

はやってはいないけれど、町の人たちも普通に買い物に来てくれる、普通の薬屋だ。売っているものに怪しげなものなど無い。

毎日店番をしているわたしにはわかる。ここは普通の薬屋だ。

「そんな状況を知っていてなお、娘はここへ頼ってきた。注文自体はいたって普通の、直らない症状を何とかしたいという切実なものだ。だが、これだけでは普通の薬屋は処方の判断をしたりしない」

何よりもまず医者の診断がない。

誰もが買える薬で直るような症状ならばともかく、医者が診断をして薬を処方するような患者なのだ。薬屋が独断で薬を用意するようなことはしない。

そもそも現状ではわたしたちが知っていることの方が少ない。

誰が、いつから、その症状を発症しているのか。

子供なのはわかっているけれど、それが何歳なのか、病の症状は以前からなのか、最近急になのか。

どんなときに、どのような症状が現れるのか。

朝なのか夜なのか、咳き込むのか、呼吸が詰まるのか。

これだけの種類の薬を処方しているのだから、当然何かしらのことはあったはずで、どの薬をどう飲んだことで、どんな変化をしたのか、しなかったのか。

快方に向かったが急変したとか、最初から変化が無かったとか、何かあるだろうという。

「さて、おまえはこういった情報に接したかね?」

少し考える。これは重要な要素だと思う。

「いいえ……妹さんで、のどが詰まる、咳が出るという程度だったかと」

「情報が少ないよね。さて、普通初めての薬屋に注文を出そうというときに、それで足りると思うかい」

「いいえ、店を訪ねて詳しく説明すると思います。それかお医者様を通すとか」

「そうだろう。いまうちに来ている注文のしかたで、普通の薬屋は良い家に卸す薬を用立てはしないよ」

その通りだと思う。わたしにだってわかる。

医者の診断書がないのだ。処方箋がないのだ。

簡単に考えすぎていた。

普通はもっと慎重な手順を踏まなければいけないことだったのに、わたしはお隣からの顔を合わせての話に、安易に返事をしすぎたのだ。

少し考えればわかったことなのに、甘かったのだ。

しかしそこまでわかっているのに、ご主人様はなぜ準備を整えたのだろうという疑問も浮かぶ。

「普通のところならば必要な情報だ。だがね、うちの店、というよりも私へ依頼することを前提とするならば、それらの情報はさほど重要なものではなくなるのさ。そしてわざわざ人づてにしてまで私に依頼する理由もまた、そこにあるのだよ」

意味がわからない。

必要だというのに、必要ないという。

「家の状況がわかっているから人づてになる。家の名前を出さずに、迂回して頼むことで関係性を壊さずにすむ。そして私に頼む以上、必要な情報など病の種類とこれだけやったけれどだめだったという、話のついでに出される程度のもので事足りるのさ」


ご主人様が語ることは、すでに薬屋がどうこうというものではなかった。

薬屋が本来必要としている仕事の内容だとは思えない。

薬屋が必要とする情報を必要ないと言い、まっとうな家ならばこんな頼み方はしないが自分ならば問題ないという。

それは町の薬屋の対応のしかたではない。

わたしがこの家に来てから一年程度の月日が過ぎている。その間、ここでわたしが見知ったのはすべて薬屋としてのことだった。

薬屋の店番として町の人たちの日々の症状と向き合い、必要な薬を売ってきた。

少し特別な症状があったとしても、それはご主人様と相談して解決してきた。

すべては薬屋としての仕事だった。

でも、目の前でわたしに大事な話を語っているのは、すでに薬屋としてのご主人様ではなかった。

めまいがするような急展開。

こんなことは物語の中でしか知らない。

わたしはただ、ご主人様の話を聞いていることしかできなかった。

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