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04:飛び込みの依頼を受ける

昼食の時間も終わり、午後の仕事に取りかかった。

とはいうものの、特にこれと言ってやることもなく、椅子に座り込んでご主人様に貸してもらった本を開き文字を追う。来客があるまでは読書の時間だ。

これは恋愛小説、というものだそうだ。

恋愛。その言葉の意味はわかるのだけれども、具体的にどうこうはわたしにはまったく語れない内容だと思う。

自分が読み終わって、そこそこ面白かったから次はわたしということだった。

「ほどよく難しいからね、頑張ってね。人の気持ちの機微を読みとる勉強にもなると思うよ」

こう言われて読み始めてみたのはよいけれど、なるほどこれは難しい。

展開が早すぎてついて行けず、ほとばしる感情表現にめまいがする。あっという間に状況が読み取れなくなってしまった。

馬車の中から見かけた通りを行く女性の姿形にどうしたこうした。その後広場で再び見かけたからああしてこうして。さりげなく声をかけるためにどうこう、花を贈りたくてどうこう。

いや何となくこういう風なのかなという形は想像できるのだけれど、そこに込められる感情がね、とてもとても共感できない。

男性主人公なので余計にだ。ご主人様はこれが理解できるのか。

わたしの知っている異性など、孤児院でのわずかな人数に加えてこの店の来客、買い物にでかけた先の店員と、せいぜいそんなところだ。

異性にときめくというのがすでに理解の範疇にない。

わたしでも意味のわかる言葉を拾い出しては何とか文章を解読していくようなありさまで、なかなか先へ進めない。

こんな状態で人の気持ちの機微なんてわかるものか。

うんうん唸りながら文字を追っていると、ふと窓越しに見知った顔がこちらを見ていることに気がついた。


お隣さんだ。

正確には左隣りの喫茶店で店員をしているお嬢さん。

その喫茶店にはご主人様が一時期頻繁に通っていて、今ではわたしも時折訪れては専門家の入れるコーヒーのおいしさというものを堪能している。

その喫茶店の主は初老の比較的に体格の良い方で、白い髪に白い口ひげのなかなか格好の良い人なのだが、店員のお嬢さんはそのお孫さんなのだと聞いた。

目が大きくて、いつもにこにことしていて、声が大きくて、元気な人だ。年の頃はわたしよりも少し上だろうか。

その人が窓越しにこちらをのぞき込んでいて、気がついたわたしと目が合うと、にこにこと手を振ってきた。

なにやら用がありそうだ。

知った仲なのだし、気にせず店に入ってきてくれて良いのに。


「どうされました?」

玄関を開けて、声をかける。

「忙しいかなと思って見に来たんだけど…」

明らかに用事がありそうなようすで、後ろ手にもじもじしながら言葉を探す。

「お仕事の依頼でしょうか?とりあえず、中に入りませんか」

「そうなの。ありがとう、ちょっとおじゃまするね」

招き入れ、カウンターの椅子をすすめてから、わたしももう一つ椅子を出してきて並ぶようにして腰を下ろす。

カウンター越しだと、わたしの身長だと少し遠くなるのだ。知った人と話をするのならこの方が良い。

「そんな急ぐ話でもないと思うんだけど」

右手の指先で頭をつんつんとしながら言葉を選んでいる。

「二日、三日前だったかな。友達と会ったときに話に出たんだけど、薬を探しているんだけど、見つからないっていうの」

「そんな難しい薬が必要なのですか?」

「うーん、その子の家とつきあいのある薬屋さんではだめだったって。それで、あなたのところに聞いてみようかって」

そのお友達は年下の可愛らしい子で、おじいさんのお知り合いの方のお孫さんという関係で、市場の近くにあるそれなりに大きな家の娘さんだという。

ときおり会っておしゃべりをする間柄で、先日会ったときに話題に出た薬のことをうちの店に振って良いかどうか悩みながら、店をのぞき込んでみたのだそうだ。

よその薬屋でだめだった。それはうちでも難しいのではと思いながらも、聞き始めてしまった以上はしかたが無いので続きを促す。

「どのような症状なのでしょう?」

「妹さんだって言ってた。とにかくのどが詰まって息が苦しい、咳が激しく出るって。それでお医者さんにみてもらって、薬も出たんだけど、全然直らないって。両親とか執事の人だかに聞いても、詳しくは教えてもらえないみたい。ただお医者さんから薬を受け取る時の説明からとても心配になってしまったらしくって。お医者さんを問い詰めても薬の名前以上のことは教えてもらえないっていうし」

医者に診てもらっていて、処方された薬もある、と。

のどが痛い、咳が止まらないという症状自体はよくあるものだ。

簡単に考えるのならば風邪薬で対処可能だと思うのだが、この場合は当てはまらないのだろう。

そうすると症状が長く続いている、風邪薬で対処不能ということになって、専門的な治療や薬が必要だという話になる。

両親や執事の人が答えにくいというのはだいぶ深刻な気がする。重症ということなのだろうか。

差し出されてきた紙には、その処方されたらしい薬の名前がいくつも書かれていた。

その医者はこれを教えてしまってよかったのだろうか。あとで怒られるようなことではなければ良いが。

などと余計なことを考えながら、薬の名前をつらつらと眺めていく。

名前に独自のものを付けることはまずない。

聞いたこともない怪しい名前の薬など、誰も買わないからだ。うちだってそうだ。まずは効能を記すことから始まるのだ。

並んだ薬は見知ったものか、せいぜいわずかな違いしかない名前だった。

「これは、どれも似たようなものがうちにもありますね。効果があるものといっても、同じような薬ではご希望に沿えないかと思いますが」

「ほかの薬屋なら違う薬がないかなって」

「違う薬と言われるとわたしでは答えかねますね。あとで店主に相談してみます。この紙、お預かりしてもよろしいですか?」

ここに名前のない薬があるのか、あるいはそういう薬を作れるのかはわたしにはわからない。

これはご主人様に相談してみるべきだろう。これぞ「あとで」の案件だ。

即答は避けて、後ほど連絡することを約束し、今はひとまずお帰りいただく。

ひとまずやるべきことはやったという達成感と、大丈夫なのだろうかという不安が入り交じった表情で表から窓越しに手を振りながら帰って行く。

さて、これで今日、ようやくご主人様に仕事らしい仕事をしてもらえそうだ。

どこにいるだろう。まだ部屋の床に転がっているだろうか。

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