赤き龍と秋の恵みごはん②
「……なに?」
必死の思いで絞りだした、私の命乞い。
それを聞いた龍帝様の動きが、そこでピタリと止まった。
あれ……? やった、もしかして効果あった?
そう思った瞬間。
例の執事服のなにかが、すごい剣幕で口を挟んできたのだった。
「おい、貴様! 龍帝様に向かって、なんという口の利き方ですな!? しかも、よりにもよって龍帝様に料理を出せるなどと、不届き千万ですな! 貴様らニンゲンの出すものなどっ……」
「待て」
ぶんぶんと手を振り回して怒り狂う、執事服のなにか。
だけど龍帝様が一言そう言うと、ピタリとその動きを止めた。
そして龍帝様は、ドギマギしている私のほうをもう一度見ると、ふっと笑みを浮かべたのだった。
(わっ……。この方、笑うとこんな感じなんだ……)
その笑い顔に思わず見惚れてしまい、そんな感想を抱いてしまう私。
おっかない人だと思ったけど……笑顔は、素敵かもしれない。
「お前。龍であるこの俺を相手に、料理を出そうというのか? なるほど、よほど自信があると見える」
彼がそう言うと、私はハッと正気を取り戻し。
慌てて、セールストークを開始したのだった。
「はっ、はいっ! 私、聖女として見出されてから今日まで、ありとあらゆる料理の技術を修めてまいりました! きっとご満足いただける料理をお出しできますっ! ですから、どうかっ……どうか、一度でいいのでお試しください!」
などと縛られたまま、一気にまくしたてる私。
すると、龍帝様は小さくうなずき、執事服のなにかのほうを見てこう命じたのだった。
「シツジよ。まもなく昼食の時間であったな。こやつにも出してやれ」
「ええっ!? いっ、偉大なる龍帝様の食卓に、こんな小汚いニンゲンなんぞを招かれるつもりですな!? それは、そのぉ……」
執事服のなにかが驚いた様子で言いよどむ(誰が小汚い人間だ)と、龍帝様は真面目な顔で言った。
「かまわん。遠路はるばる連れてこられた人間が、恐れも知らずにこう言っておるのだ。チャンスぐらい、くれてやってもよかろう」
そして、私の手足を拘束していた縄をほどくと、手を取って立ち上がらせてくれながら、彼はこう続けたのだった。
「人間。お前の名は?」
「うっ、ウルリカです! ウルリカ・ミントグリーンと申します、龍帝様!」
「そうか。では、ウルリカよ。俺のことは、赤龍帝と呼べ。それが俺の、本来の呼び名だ」
赤龍帝……。
それは、なんだかとっても彼に似合っている名前だった。
燃えるような赤い髪と瞳の、赤龍帝様。
私がその名前を嚙み締めていると、彼は私を先導するように城の奥へと歩き出しながら、こう言った。
「まずはわが王宮の食事を味わってみるがいい。話の続きは、その後だ」
◆◆ ◆
「うわっ、凄いっ……!」
龍帝様……いや、赤龍帝様に案内されてたどり着いた場所。
それは、輝くばかりに豪奢なダイニングで、私は思わず声を漏らしてしまった。
キラキラ光るシャンデリアに、素晴らしい生地で出来たカーテン。置かれているテーブルや椅子も、光沢のある見事な木材で作られている。
いや、凄いのは何もこの部屋だけではない。
ここにたどり着くまでの廊下ですら、まんべんなくふっかふかのじゅうたんが敷かれ、見事な調度品で飾られていた。
外から見たこの城も見事なものだったが、中はさらに凄い!
言ってはなんだが、これに比べたらダミアンの城は犬小屋のようなものだ。
「どうした、ウルリカ。座るがいい」
「あっ、はいっ」
そう促され、そっと赤龍帝様の向かいの席に着く私。
するとその椅子はびっくりするぐらい座り心地がよくて、ほうっとため息が出てしまう。
なにしろダミアンに捕らえられてから、縄で縛られ、何日も馬車の中に転がされてここまで運ばれてきたのだ。
楽な体勢になれるのは本当に久しぶりのこと。
ああ、生き返る……なんて考えていると、そこで少し緊張が解けた私の可愛いお腹が、くうーっと音を鳴らし、慌てて手で押さえる。
(うっ……。聞こえちゃったかな)
なんて顔を赤くしつつ赤龍帝様の様子をうかがうが、反応はなし。
聞こえてはいなかったようで、ほっと一安心だ。
いやはや、こんな状況で我ながらのん気なものだが、これはダミアンが「食われたときに雑味が出ないよう、胃を空にしておけ」とかふざけたことを言って、まともな食事をくれなかったのが悪いのだ。
だから、これは私のせいではないのである。うん、間違いない。
(しかし……こんなすごいお城に住んでいる方の食事って、どんなものなんだろう)
そうしていると緊張も緩んできて、ついそんなことを考えてしまう。
何しろこの豪華さだ。見たこともないような凄い料理が出てくるに違いない。
そうなると、とたんに楽しみになってくるから不思議だ。
もちろん、料理を出すなどと言ってしまった私にとって、相手の料理が凄すぎるのは困ってしまうことなのだけれども。
それでも、今お腹を満たせるのはとてもありがたい。
だって、なにをするにしても、まずはしっかり食べないと始まらないのだ。
お腹を満たせないままじゃ、頭も体も働かない。
そのことを、貧乏な家の出である私は、痛いほどよく知っているのである。
「お待たせしましたですな! 昼食をお持ちしましたですな!」
「うわっ!?」
なんてことを考えていると、そこでダイニングの扉が勢いよく開き、ワゴンを押した謎のマスコットが、そんな声とともに飛び込んできた。
だけどそれを見て、私は思わず驚きの声を上げてしまう。
なにしろ、そこには……一体だけではなく、同じ顔と姿をしたそれが何体もいたのだ!
「な、なんか増えてるぅ!?」
「驚いたか? あいつらは執事妖精といってな。全員、似たような外見をしておるのだ」
「えっ。……よう、せい……?」
そんな私に、赤龍帝様が説明を入れてくれたのだけれども……えっ、うそ。
こいつらって、妖精なの!?
噓でしょ!? 妖精ってのは、私のイメージでは、もっとこう、小さく可愛らしくて、羽が生えていて、花の蜜を吸ったりしている、とっても優雅な存在なんだけれども!
そう、少なくともこんな、出来損ないのおまんじゅうを何個かくっつけたような、ボテボテした謎生物では決してないのだ。
ううっ、なんか受け入れられない……!
「さあさ、今日も我らが手塩をかけて調理した、素晴らしい昼食をお持ちしましたですな! ご期待くださいですな!」
なんて言いながら、ワゴンをテーブルのそばに止める執事……妖精(?)たち。
しかしそこで、そのうちの一体が私をギラリとにらみつけて(そう、たぶんそういうつもりのはずだ。正直、ゴマ粒のような目が少し変形したようにしか見えないけど)、こんなことを言ったのだった。
「ニンゲン。おぬし、さっきは見たこともない料理を出すとか、実に愚かなことを言っていたでありますな。だがはたして、ワガハイらの出す料理を見て、同じことを言えるですかな? ふっふっふ、自分の浅はかさを、思い知るといいですなっ!」
なんて、自信たっぷりな様子なので、私はごくりとつばを飲み込んでしまった。
どうもこのお城の料理はこいつらが作っているようで、正直腕のいいシェフには見えないのだけれども。
だけど妖精(私は認めてない)を名乗る以上、もしかしたら、不思議な力でこの世のものとは思えないほど凄い料理を作れちゃうのかも……!?
なんて、身構えている私の前にスッとお皿が置かれ。
そして、その上に載っていたのは……なんというか、その。
……どう見ても、丸ごとこんがり焼かれただけの、肉の塊なのだった。
「…………?」
そう、肉。肉だ。しかも、たぶん見慣れた牛のお肉。
おそらく500g以上はある。
それが、特に味付けされた様子もなく丸焼きにされ、ソースも付け合わせもなく、デン、と皿の上に載っているのである。
「……ええと……」
思わず反応に困ってしまう私。
えっ、これってば、もしかして何かのジョーク?
なんて私がとまどっていると、それに気づいたらしい赤龍帝様がこう言った。
「どうした、遠慮せずに食べるがいい。音が鳴るぐらい、腹が減っていたのだろう?」
……聞こえてたんかい!
いや、聞こえていたとしても、そこは口にしないのが優しさってもんじゃない!?
なんて、お腹を押さえ、赤い顔で考える私。
いやいや、でもどうやらジョークなどではないらしい。
だって、赤龍帝様はいたって真面目な顔のままなんだもの。
たぶんこれが、本当にこのお城の食事なのだろう。
ならここは、まず食べてみるべきだ。
だって、料理は見た目も大事だけど、見た目がすべてでもないのだから。
もしかしたら見た目とはまるで違う味なのかもしれないし、中に何かを仕込んであるタイプというのもありうる。
なので私は、「ありがとうございます、いただきます!」と元気に言って、ナイフとフォークを手に取ったのだった。
そしてナイフでその肉を切り(なかなか固かった)、一切れを口に放り込んでみる。
「……」
あむあむと肉を噛み締め……そして、無言になる私。
うん、肉だ。見た目通り、これは牛肉をただ焼いただけのもの。
しかも部位は、たぶん肩ロース。
肩ロースはとても美味しい部位だが、しかし肉質の固さゆえ、薄く切ったりして料理に使われることが多い。
丸ごと調理するにしても、事前に適切な処理をすることで柔らかくはできるのだが。
これは、そういうのを一切せず、そのまま焼いてあるので物凄く固い。
そう、いつまでも嚙み切れず、口の中で持て余すほどに。
「ふっふっふ、どうですかな? 丹精込めて育て上げた牛を、極上に焼き上げた我らの料理の味は。言葉もないですかな、ニンゲン!」
と、私の沈黙を『美味しすぎて言葉も出ない』という状態だと認識したのか、得意満面に言い放つ執事妖精(まだ認めてないけど、ひとまずここまでとする)。
そして、私に続いて肉の塊を口にした赤龍帝様にも、媚び媚びの動作でこう尋ねたのだった。
「龍帝様ぁ。今日の昼食は、いかがですかな?」
「いつもどおりだ」
「ははー! いつもどおり美味しいということですな!? ありがたきお言葉ですなっ!」
と、表情一つ変えず答える赤龍帝様と、それを都合のいいように受け取る執事妖精。
その内容に疑問を感じ、私はひとまず食器を置いて、赤龍帝様にこう尋ねたのだった。
「あのう、赤龍帝様。いつもどおり、って……もしかして、毎日こういうお食事だったり?」
「そうだ。我ら龍は、基本的に肉しか食わない。後は、たまに果物を食べるぐらいだ」
と、私の問いに無表情に答える赤龍帝様。
それに私は唖然としてしまった。
なんてことだろう。龍の食生活……つまらなさすぎる!
この人、毎日こんな肉の塊だけ食べてるのっ!?
「赤龍帝様、失礼かもしれませんが……世の中には、ほかにも美味しいものがたくさんありますよ? 味付けだって、いろいろできます。もっとお食事を楽しもうとは思われないのですか?」
私が困惑気味にそう尋ねると、赤龍帝様はふっと冷たく笑い、そしてつまらなさそうに応えたのだった。
「楽しむ? 我ら龍にとって、食事とは楽しむものではない。食事など、ただのエネルギー補給に過ぎないではないか」
「えっ……」
予想外の言葉に、動揺の声を上げてしまう私。
すると彼は、ふうとため息をつくと、こう続けたのである。
「いいか。たしかに俺は人と同じ姿や住処、そして道具を使っている。だがそれは、そうしなければならない理由があるからで、好きでしているわけではない。はっきり言おう。俺は、お前たち人間の食事になど、興味はない」
私の瞳を見つめながら、そう告げる赤龍帝様。
ああ、なんということだろう。
それは、明確な拒絶だった。
お前の作る人間の食事など、俺には必要ない。
おそらく、それを伝えるために私を昼食に誘ってくれたのだろう。
それはショックなことだったけど、私にはもっと衝撃を受ける事実があった。
それは、この方……龍にとって、食事は楽しむべきものではないということ。
こんな豪華なお城に住んでおいて、食事が毎日、牛肉の塊を焼いただけのものだなんて。
しかも、ドリンクはただのお水ときている。
それはとても美味しいお水だったし、お肉も良いものだけど……なんていうか、なんていうか。
(もったいなさすぎるっ!)
そうだ。これは、とっても、とってももったいない。
食事がただのエネルギー補給だなんて、寂しすぎる。
いや、そうだとしても、その補給が楽しいものであって悪いわけがない。
それはこっちの、人間の身勝手な考えかもしれない。
でも、人を喜ばせるために料理を勉強してきた身としては、食べもせずにいらないと言われるのは納得できないっ!
そう思うといてもたってもいられず、私はガタンと席を立つと、こう告げたのだった。
「赤龍帝様! 食事にご興味がないのはわかりました。ですが、何事もまずは体験してみるのって大事じゃないでしょうか。一度でいいので、私の作る料理を試してみてはくれませんかっ?」
「んなにぃ!? ニンゲン、貴様、我らの料理を味わったくせに、まだそんなことを言うですな!?」
と、執事妖精が怒りの声を上げたが、今それはどうでもいい。
なにしろ、料理人の端くれである私は、どうしようもなくこう思ってしまったのだ。
そう……料理の楽しさ、美味しさを、どうしてもこの方に伝えたい、と。
……もちろん、そこには自分の有能さを示し、食べられる運命を覆したいという下心もあるけども。
そうだ、この牛のお肉みたいに、面白くもなさそうに食べられてたまるもんですかっ!
「……」
そのままじっと見つめてお返事を待っていると、赤龍帝様はそんな私を見つめ返し。
そして、ため息とともにこう言ったのだった。
「人間の料理が、俺の口に合うとはとても思えんが。それでもいいなら、好きにするがいい」
「わっ……。ありがとうございます! じゃあっ……」
その答えを聞いて、私はにんまりと笑みを浮かべ、そして、元気いっぱいに続けた。
「料理のために、ひとまず山で、食材を集めさせてください!」




