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竜の咆哮


ぱちり。

ひとつ、火花が弾け飛ぶ。


「―――メリザンド=デラクロワ!! 貴様との婚約は、今日をもって破棄させてもらう!」


「あら……ふふ」


絢爛豪華な舞踏会場の中心で叫ばれた言葉に、メリザンドは紅の瞳を一度だけ瞬いてみせた。


そして、ほくそ笑みそうになる口元をそっと緻密なレースの扇で覆い隠す。


(ほんと、予想通りというか何というか……ここまで読みやすいと、逆につまらないわね)


内心で嘲りながら、しかしすうっと瞳を細めて静かに、メリザンドは広い会場の中心へと歩み始めた。


ぱちり。

再び『何か』が鳴った。


しかし今宵の星の輝きにも似た灯火は、瞬く間に消えてゆく。


(まあ、おかげで容赦なくできるけれど)


その場にいる老若男女すべての視線が、彼女に注がれていた。


エンデバルド王国筆頭貴族、デラクロワ公爵家唯一の後継者・メリザンド。


秀麗な顔立ちにたっぷりとした濃い蜜金の髪。宝石をはめ込んだかのような真紅の瞳は、長い睫毛によって華やかに縁取られ、神話の女神をも凌駕する美貌は王国随一と謳われている。


身にまとう深い紅のドレスには随所に黒いレースとガーネット、そしてブラックダイヤモンドが散りばめられ、彼女の歩みに合わせてきらきらと眩しい煌めきを放っていた。


けれど誰も―――彼女の足元でごく小さな火花が散っていることには、気づかない。


「きゃっ! イーサン様、わたし、怖いです……!」


わざとらしい悲鳴を上げた女が王太子に縋り付く。


淡い桜色の髪をした女は衆目など気にもせずに、はしたなくも身体を擦りつけるようにして、大きな胸をイーサンの肩に当て、潰していた。


どう見ても売春婦にしか見えない振る舞いだが、イーサンは鼻の下をだらりと伸ばしてくっと口端を上げた。


「案ずるなフローナ。君には決して手出しはさせない。おい、お前達!」


「はっ!」


王太子イーサンの呼びかけにより、舞踏会場の外に控えていた兵士達が会場内へとなだれ込んでくる。


驚いた来賓達が道を開け、兵士達は王太子の元へと馳せ参じた。


彼らは主君である王太子と、その恋人のフローナ=エルネット男爵令嬢を守る陣を取った。


けれどメリザンドは素知らぬ顔で、真っすぐ伸ばした背筋そのままに堂々と会場中央を歩み、王太子らと対峙する。


「お前の企みはわかっている! 王太子妃の座に執着するあまり、恋敵であるフローラを亡き者にせんとし、あまつさえ! 俺の心を手中に収めるため魅了の毒薬を盛らんとした!」


声高に『偽の罪』を叫ぶ王太子イーサン。

それを見て、メリザンドは扇を口元にあてたまま、こてりと首を傾げる。


ぱちり。

何度目かの火花が散った。


「ふふっ、私が? そこな娘を? そのうえ、貴方の心を手にするため、ですって?」


メリザンドは笑い転げそうになるのをこらえるのに苦心した。


(何と愚かな。何と身の程知らずが……ああ、だから阿呆だと言うのかしら。これだから『人間』は)


内心嘲笑っていたが、事の顛末を見届けるまでは『契約』に縛られているため、彼女は仕方なく静かに王太子の口上が終わるのを待つことにした。


とんだ茶番だ。


「黙れ! この期に及んで言い逃れを! すべて証拠は揃っているのだ!!」


「証拠……証拠、ねえ? 捏造されたものを証拠と呼ぶならば、ですわね?」


「何だと!?」


微笑を湛えたメリザンドがするりと問題を提起すれば、イーサンはくわっと両目を見開き唾を吐き飛ばさん勢いで激高した。


「王太子であるこの俺が証拠を捏造したと申すのか! 不敬な、万死に値するぞ! 貴様のような女が何を言ってももう無駄だ! 観念するんだな!」


びしり、と本人は決定打を与えたつもりなのか、王太子イーサンは子供のようにメリザンドを指差し、王族とは思えぬ浅はかな断罪劇を続けた。その様子を来賓達は固唾を飲んで見守っている。


前代未聞の婚約破棄劇がどんな結末になるのか、結果いかんによっては自分達もデラクロワ家への対応を考えねばならないからだ。


そんな中、彼の恋人であるフローナは勝ち誇った表情をしていた。他人の婚約者を寝取っていながら、女としての勝利を確信しているのである。


だからこそメリザンドは堪えきれなかった。あまりの滑稽さに腹が捩れそうな思いがして。

彼女の右手にある扇が、ふるふると小刻みに揺れた。

かと思えば、メリザンドは扇をぱちん! と片手一振りで閉じてしまう。


「うふふっ、あはっ、あははははは!!」


メリザンドは高らかな笑い声を上げた。

それは、明らかに勝者が持つ余裕と威厳に溢れていた。


「な、なんだ……?」


王太子イーサンは彼女の気が触れたかと一瞬狼狽えた。


けれど、にいっとメリザンドが笑みを深めた瞬間、ぞくりとした怖気が背中に走り、咄嗟に兵士らへ命ずる。


「あ、頭のおかしい女めっ! 兵士よ! その女、まだ何か企んでいるぞ! 引っ立てろ!」


「ははっ!」


メリザンドの周囲を、十名ほどの兵士達が取り囲む。


「あら、そう簡単にいくとでも?」


つくづく浅慮な男だなと呆れながら、メリザンドは閉じた扇をすっと空―――天井へと向けた。


途端、扇の先から真っ赤な炎がほとばしり、凄まじい轟音と共に舞踏会場である王宮の天井を貫く。


「なっ……!?」


王太子イーサン、並びに来賓達が驚愕の声を上げた。


それは見るものを呆気に取らせるほどの絶大な威力だった。


ゆうに千人は収容できる巨大な舞踏会場の天井すべてが、赤い炎に軽々と吹き飛ばされていたからだ。


粉微塵に吹き飛んだ瓦礫の数々と、弾け散った火花が流星のごとく地へと降り注ぐのを、場にいる者たちはただ呆然と眺めるのみであった。


がらんどうになった頭上では、夜空に浮かぶ鋭い三日月が顔を見せている。


そうして、天を貫いた炎はメリザンドの元に舞い戻ると、彼女の周囲で円を描き、そのまま何者も立ち入らせぬ結界へ変じた。


月の光と炎に包まれた絶世の美女が豊かな蜜金の髪を赤く染め、優雅に微笑む姿はさながら女神のごとく妖艶で―――その有様は、王国の守護神である女神『メリザンディア』を彷彿とさせた。


「こ、これは……」


「痴れ者め。己が欲に溺れて、自国を破滅に導こうとは」


メリザンドの真紅の瞳が冷たく、王太子イーサンを見据えた。


そして高い夜空の果てより―――今はとうに滅びたはずの竜の咆哮が、崩壊した舞踏会場たる王宮の空に木霊していた。




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