六
六話目です。
私は運命に導かれて生きている。少なくとも、今まで、私が運命を感じなかったことはごくわずかだった。
大きな転換点は三度起きた。それら全てが、私の預かり知れない奇跡で出来ている。
一度目は、まだ私が中学一年生のころである。
父が、仕事を辞めた。
会社がつぶれたらしい。
普通、会社とは潰れないものだろう、と私は思った。
しかし、潰れたのだから仕方がない。父は、職を失った。
そして、父は三日姿を眩ました。
――何処に行ってたの?
三日の旅から帰ってきた父に、母が訊いた。彼女は酷く、疲れた顔をしていた。
――友人の家。
父はぼそっと呟くように言った。父は、気が弱い人間だった。
――三日も?
母はすぐに返す。普段の父への気遣いが薄れている、と私は思った。
――ああ。話を聞いて貰ってて。多くの人を回ったんだ。その、迷惑をかけた。
父は深く頭を下げた。母が、少しだけ黙った後言った。
――帰って来たんならいいよ。でも、連絡は欲しかったね。仕事が無くなったのはあんたのせいじゃ無いんだからさ。別に私はあんたを責めるつもりは無いんだよ。一週間はゆっくりしてもいいから。仕事だけは、してほしいね。子供も居るんだし。
母が、たぶん私の方を向いた。私はリビングの一つ隣の自室で眠ったふりをしていた。マンションだから、よく声は聞えた。
――仕事は、するよ。
父が情けなく言う。母は、お願いね、と少し強めに言った。
父は、その数日後から外出をするようになった。家に帰る時間も遅く、私は余り父と会わなくなる。新しい仕事をしているのだろう、と私は考えていた。
父が転職しても、日常はそれほど変わら無かった。父と私はもとより余り喋らないほうであったから、父の帰宅が遅くなろうと、私にはそれほど関心がなかったのだ。そのため、私は父の新しい職を探ることすらしなかった。
平穏な日常は淡々と続き――三か月が経った、冬休みのことである。私はその日、父の仕事を知ることになった。
父が、仕事の人、と言って二人の男を家に上げた。
その日は休日で、母は居なかった。私だけが居た。
父は私に、彼らに茶とお菓子を出すよう命じた。父の声は、威厳が欠けていた。私は言われるがままに行った。二人の男はガタイがよく、面が怖く、顔に刺青を入れていた。父は二人を前に委縮していた。私は茶とお菓子を机に置いた後、逃げるようにリビングを出た。怖かった。彼らは誰だろう?私の知っている世界の住民だろうか?
私は廊下に居ることも厭で、すぐに部屋に戻り布団を被った。
しばらく沈黙が続いた。死ぬほど恐ろしい沈黙であった。
――お久しぶりですね。勇吉さん。
と、最初に低く、鈍い声がした。父の声ではない。
――あの、その、まだ、私は…
父が唐突に怯えたような声を出した。
私は息を顰め、じっとする。
――用件はね…。
別の男が静かに言った。
――ご勘弁を。お金は、その、まだ…。
――気が弱い男だ…借金の件は忘れろ。そもそも、大した額ではないだろ。
――用件は別にある。
――え?
――一つ、話を持ってきた。
――柴田陽介と言う男と接触しろ。
――場所と時間はこちらで用意する。
――えっと、その…。
父が不安げな声を出す。
――心配は要らん。指示を出す。その通りに動けば、借金をチャラにしてやる。
――あ、え?ほんとですか?
――ああ。報酬もまた出そう。
――ち、ちなみに幾らで?
――百万だ。
――お…。
――受けるよな?
――も、もちろんです。受けます。
――では、また連絡を入れる。
座席を立つ音が聞えた。玄関に向かうには私の部屋の前を通ることになる。私はいっそう、息を詰まらせ存在感を消した。
――勇吉。
唐突に、父の名が呼ばれる。
――この任務だけは失敗するな。失敗すれば、借金どころではすませんぞ。
そのセリフは、一層意思の強い言葉だった。周囲の空気が、まるで冷蔵庫を開けた時のように冷たくなる。
私が微かに震えていると、分かりました、と父が神妙に返事をした。
廊下を歩く足音が、どんどんと近づいてくる。男たちは、小声で話をしている。
――勇吉の息子は十三だ。頭も良いらしい。
――あ?…。ああ、アカネお嬢さんと同じ歳だ。それが?
――K高校に行かせるか?
――どちらが?
――二人とも。ない話ではないだろ?
――いや。まだ、決まった訳ではない。先走るな。勇吉の任務が先だ。まず奴が成功しないと、組長が認めない。
玄関の扉が開く。男たちは外に出ただろうか?五分ほど、私はそのままでいた。
――ふぅ。
父のため息が、異様に大きく聞こえた。
――もう出てきていいよ。
ビクン、と身体が震えた。父の言葉だと理解するのに、二秒かかった。私は少し躊躇した後、震える手で、ゆっくりと扉を開けた。長い長い廊下の向こうで、父が、安らかに微笑んでいる。今の父には、優しい人間の面影があった。だが、私はその笑みがとても怖く思えた。まるで、爆弾を相手にしているような不信感。不安感。私は父を直視することが出来ず、ただただ、膨大な不安を胸に、父の後ろにある真っ白な壁を見つめていた。




