十七
あの日、私が土沢家に来てから一月が経った。私は無事、転校手続きを終わらせ、土沢家の一員として密かに暮らしている。最初こそ周りの人間に警戒をしていたが、皆私を本物の家族のように扱ってくれた。少なくとも、私を無下にし、こき使われることはなかった。不安は絶えずあるが、アカネがいると思えば安らぎもまた増えていく…。
そんな平日とかした朝、僕とアカネはまだ早い時間に登校し、校舎の廊下を歩いていた。まだ人気は少なく、静かな空間は私達二人だけのものだ。私はアカネの元気なおしゃべりに付き合いながら、微笑んだりしていた。
静かに透き通る光を浴びながら、アカネは二年二組の教室の席に着く。私はその隣に寄り添い、早速問題集を彼女に突きつけた。アカネは不服そうな顔をし、え~また~、と言った。けれど、すぐに問題集のページを開いた。彼女はどうも私とこうして接している時間が長ければ長いほうが良いみたいだった。
アカネの学力は、校内でも最下位に等しかった。学年202位中198とかなのだ。私から見て見ればありえない地位なのだが、だからといって、彼女の頭が特別悪いというわけでもなかった。吸収スピードは早いとは言えないが、それでも、理解力は備わっており、最初よりはテストの点数は上がってきている。まだ、ただの勉強嫌いの部類に収まるレベルだ。
「…ここはね」
アカネの質問に丁寧に答えていると、続々と教室に人が集まってくる。彼らは私達を見つけると、さっそうと無視を決め込み自席についた。距離を離れ、三人ほどで集まって喋っているグループもある。そうそう…私がこの学校に来た時点で、このクラス内にはすでにいくつかのグループが出来上がっていた。当初は私もアカネとともにどこかしらのグループに入るのかと思っていたのだが、残念なことにアカネの友人というものは極端にいなかった。つまり、しっかりと打ち解け会える個人自体が居なかったのだ。そして、アカネの恋人のような、家族のような関係性にある私は、アカネと同様最初から遠慮され、友人がなかなかできないでいた。
どうもこのクラスでは、アカネが暴力団(あるいはそれに近しい組織)の娘であることは誰もが認知していることらしい。皆、授業参観にみたあの組長の顔やアカネ自身の発言でそうに違いないと確信しているようだった。その手の話は学年全体に広がっているらしい。故に、アカネに積極的に関わろうとする生徒はいないのだとか。私はその飛び火を食らっている気もしなくはないが、以前の学校でも友人はいなかったからそうとも限らないだろう。正直、私としては今の現状が安定していると思っていた。
「そろそろ時間だな」
読書タイムが始まる五分前。私はそう言って、アカネの席を離れる。私とアカネの席は横に机三つ分離れていた。距離は遠い。私が席につくと、見計らったように前の席の今西という男子生徒が小さな声で私に訊いた。
「おい、お前アカネと恋人って本当なのか⁉️」
「本当だよ」
私はニコリと微笑む。
「…マジかぁ。やっぱそうだと思ってたけど、いや、もう、驚いたなぁ」
彼は表情筋を豊かに歪ませ、頭をカリカリ掻いた。彼は性格が気さくで、みんなから頼りにされているクラスの人気者だ。成績もよく、誰彼構わず親しそに話をする。ここ最近私に話しかけてくる人物といえば、彼くらいだろう。
「…アカネは悪いやつじゃないよ。ところで、最近何が流行ってるの?」
「変なこと訊くなぁ。そうだなぁ。流行ってるねぇ。そうだな、曲とかか?」
「なんでもいいよ」
「まあ、この際だ!俺のはやりを教えてやろう」
そう言って彼は、私の知らないアーティストと曲名を言ってきた。詳しく訊くとデスメタルという。わからないというと、実は俺の兄がよく訊いてて俺もよくは知らないのだと言った。
「…ただな、なんかああいうのかっけーんだわ。メイクとか、俺はあんましたくねーけど、なんかわかるきがするっつうか」
頭をかきながら、うーむ、と宙を見上げて何回も頷いた。どこか楽しそうだな、と思っていると先生がやってきた。
今西は足音で気づき、すぐに前を向いた。私も机の中から文庫本を取り出し、栞を抜いて読み始める。前の学校では、読書の時間に勉強をしていてもよかったのだが、この学校ではそういうことは禁止されていた。きっちり十分間、小説を読むふりでもし続けなければ先生に注意を受けてしまう。
この時間は学校全体が静寂に包まれる。私は本を読むことは好きだから苦ではないが、アカネなんかはとても退屈していそうだ。彼女は物語はもっぱらアニメとマンガだとうめいていた。
終わりのチャイムが鳴り、私達生徒は一斉にため息を吐くように椅子や机を鳴らした。級長の号令がなり、ホームルームが始まる。
身の細い夢野先生が自分の諸事情を少し語り、本題を口にした。
「…一昨日のことですが、二年三組の上川望君の靴箱にいたずらがされていました。…そのため、今からアンケートを取ります」
生徒がざわつきだした。犯人は皆、わかっている。土沢アカネ。それでも、誰も彼女を指摘にしない。指摘すれば面倒になるからだ。
用紙が前から配られる。今西が私の顔を見て、どうすんだ、と表情だけで訊いてきた。私はそれに答えず、粛々と用紙を後ろに回していった。
用紙には項目がいくらかあった。名前を記入する欄はなかった。
・犯人を知っているか
・何か手がかりを知っているか
・先生への相談事はないか
私はそのどれにも、ありません、と答えた。いや、一箇所だけ、犯人の欄に、私の名を書いた。
五分ほどで用紙はすべて回収された。この紙は匿名となっている。きっと、このクラスの数名はアカネの名を犯人として提出しているだろう。
ただ、このままアカネだけが断罪されるのは気が引ける。
ホームルームが終わると、僕は早速アカネを連れて廊下に出た。
「…ねぇ、さっきのどうするの」
「先生を説得するんだ。アカネは犯人じゃないってね」
「まぁ、そうね。私だったらちゃんと真正面から攻撃してるわ」
「…それはやめてほしいけど」
「でも、ほんとに誰なのかしらね」
「上川にした罪をアカネに着せるとは、許せない。…アカネ、ちなみに上川ってどんな奴?」
「……さぁ、知らないわ」アカネは少し黙った後、そっぽを向いた。




