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富豪の夢  作者:
二幕 過去
16/17

十六

 食事後、私は組長の部屋を訪ねた。内装はれっきとした和室であった。彼は座布団に座り、座卓を挟んで私をじっと見つめていた。私はふすまの前で、静かに礼をした。

「座りなさい。茶を出そう」

 彼が目配せをすると、横に座っていた細顔の男が立ち上がる。さっきまで二人でなにか話をしていたようだ。静かに私の横を通って行くとき、男は小さくこういった。

『面倒事を起こしてくれるなよ』

 すぅーっと、血の気が引いていくのを感じた。

 私がふすまを丁寧に閉じると、部屋が急に狭くなった気がした。緊張を隠すため、足元をみながら丁寧に足を運び座布団の上に正座をした。また、私は正座をするとき、正座の足の組み方をうじうじと下を向きながら考えていた。はっきり言って、正面を向くのが怖かった。彼の目つきは鋭く、背丈は私よりもずいぶん大きい。

「茶が来るまで時間がある。本題に入る前に少し話しをしようか」

 静かな時間が流れていた。私は頷く。彼の口調は、以前会ったときよりも穏やかに思えた。それは、先の食事で彼が彼の部下たちに放った口調と同じものである気がした。

「名を名乗ってなかったな。私は土沢狂介という。酔狂な名だ…さて、君はこれで私たちの家族の一員となった。ゆくゆく君はアカネと結婚をする予定にある。アカネは私の一人娘だ。これからは君がアカネを守れ」

 彼は頭を下げず、背筋を伸ばしたまま言葉をそこで切った。ただ、そこに親としての誠意と言うのか、言葉に懇願の感情が籠もっていることを私は強く認識した。

「はい」

「裏切るなよ?」

「…!?」

 威圧にぶわりと鳥肌が立った。私はもう二度逃走を試みている。この男はそれを知っているのだ…。

 私は喉につばが詰まりそうになりながら、きつい表情をし、何度も頷いた。

「は、はい。今後あのようなことは一切いたしません」

 私は深く頭を下げる。組長は私の全体からその真意を探るように沈黙を強いた。数秒間にも及ぶ沈黙は、私の鼓動を熱くし、喉が詰まりそうだった。

「…気になっているだろうから言っておこう。君の父親は、現在私の部下の監視下で生活をしてもらっている。指が一本消えたがな」

「…は?」

 組長はその言葉を平然と言ってのけた。私は急激に頭の中が真っ白になった。

「そろそろだろう」

 彼が言うと、ちょうど後ろでふすまが開かれた。

「失礼します」

 私はすがるように振り向く。入ってきたのは先ほど出ていった男だ。彼は私の前に拘りが酷使された茶碗を置き、座卓の端の席に座った。中には緑色の茶がゆらゆらと凪いでいた。

「それでは本題に入ろう」

 私はもう緊張で心がいっぱいいっぱいだった。何度目かのつばを飲み込む。

「知っての通り、私は土沢組の長だ。正式には……やめとこう。…言うなればヤクの密売や用心棒、正業などをしている会社の社長だとでも思ってくれ。君はそんな男の娘の婿となった。だが、私は君にこの組を継がせるつもりはない」

「……」

「…私が君に望むことは私の娘であるアカネを幸せにすることだ。それができぬようなら、容赦なく追放する。この家は、アカネための家であり、アカネのための我ら家族だとよく覚えておけ。この家では流血沙汰は起こらない。確実にな。だから、安心してくらせ」

 流血沙汰って…。

「…わかりました」

「不安だろうが、一週間もすればなれる。それほど心地の悪い場所でもないからな。それと、これから私のことを父と呼べ。別称は何でも良い」

「はい。父上」

 自然とその言葉が出た。

「…そうだ。それでいい。家族なのだから」彼は頷く。もう口調は、最初のそれに戻っていた。「…明日火曜に学校へ挨拶に行く。登校は明後日からだ。登下校はアカネと君の二人でしてもらう…監視がつくが遠目からだ。そして、博人、君にはアカネの学力を底上げしてもらわなければならない。あの父親と代わってな。それだけは、怠るなよ」

「…わかっています」

「よい。話はこれで終わりだ」

 その言葉を聞けて、私はホッと胸を撫でた。幸いにして、何か重要な任務に駆り出されるとか、父の責任の片棒を負ってもらうとか、そういった話をせず、この対面を乗り切れたのだから。

「開けろ」急に、彼は大きな声を出した。

 え?

 その時、後ろでふすまが開かれる音がした。慌てて振り向く。敷居の無効に、あずなが居た。

「失礼します」

 彼女は、膝を床につけてお辞儀をした。

「先程からそこに居たようだが、何のようだ?」

「あ、すみません。あの、私の父から連絡が入りました。今週末の日曜、こちらに出向くとのことです」

「要件は?」口調に険が一層ました。

「…その時に話すと」

 そのとき、チッ、と大きな音がなった。組長が舌打ちをしたのだ。

「また厄介事を…」彼は小さくつぶやくと、苦々しく言った。「要件はそれだけか?」

「はい」

「下がれ」あきらかに機嫌が悪くなっていた。

「し、失礼します」

 あずなは急ぐように席を外した。

 私は虎を前に怯える子ウサギのような心持ちでいた。

「はぁ」組長は手を額にあてる。「やはりこうなりやがるか…」

「どういたします?」細顔の男が訊く。

「どうもできんだろ。せいぜいもてなすとするか」

 私は彼の機嫌が収まるまで、じっと狭い座布団の上で震えるしかなかった。

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