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富豪の夢  作者:
二幕 過去
14/17

十四

 志下は車に入ってすぐ、部下に一通連絡をした。

「私だ。…ああ。動きがあれば追跡、場合によっては阻止しろ。任せる」

(といっても、今日中に動きはないだろうが)

 通話を切る。窓の外の空は夕焼けを呼び込んでいた。

 来月までまだ一週間はある。その時間、彼らがまともな生活を続ける保証はない。

 ミラーを見ると、後部座席でアカネが退屈そうに窓の外を眺めていた。

 そんな彼女に気の良い言葉など、志下には思いつかない。

 彼はいつものように、黙って車を発進させる。

 今日は記念日となるだろう、と志下は考える。彼の仕事も、もうすぐで一段落着く予定だ。志下はまだ三十二を過ぎたばかり。けれど、その役目は組の宝であるお嬢様の護衛兼使用人。任務を任されて早六年が経ち、彼にとってもアカネは娘のような存在となっていた。

 今アカネは、長谷博人という同年代の少年に夢中になっている。彼女の好奇心の多忙から思えば、それは気まぐれな『好き』の一種でしかないのだろう。けれど、彼女のその好きは志下にとって少しばかりさみしい心変わりでもあり、頭の痛い問題でもあった。

(来月からは、二人の護衛と世話か…)

 ため息が零れそうになる。

 本音を言えば、許嫁の世話などしたくはない。彼にとって、アカネの護衛兼使用人というのは、それだけで名誉ある任務なのだ。実際、組長は志下以外のアカネ専属の人間をつけてはおらず、それだけ志下は信頼を得ていた。

(全く、来月になったら、博人くんの世話係も欲しいものだな)

 彼は僅かな愚痴を心のなかに落とし込み、まっすぐ前を向く。数キロ走ったところで、電話の着信が入った。部下からである。

「私だ。どうした?」

『長谷親子が警察署へ向かい、それを阻止しました。現在、OO神社にて束縛中です』

(早いな…)

「…そうか。場所は近いな」志下は驚きを隠しながら、つぶやく。

『はい』

「今から向かう。長谷勇吉はCビルへと送れ。数人残り、博人を束縛、待機しろ」

『了解です』

 通話が途絶える。

(はぁ……っくあのバカ親は!)

「ねぇ、何があったの?」

 後ろからアカネが問いかける。

「お嬢様。今から博人君を迎えに行きます」

「え!マジ!ほんとぉ!」

「ええ。ですので、少々寄り道をします」

「全然いいわよ」

 アカネの表情が劇的に明るくなった。

 志下は無表情の中舌打ちをうちたくなる

(余計なことを…)


 六時過ぎ。低い車が一台、閑散とした神社の駐車場に止められた。志下が車を降りると、二人の男が少年の腕を後ろで束縛しながら近づいてきた。

「彼が長谷博人です」男が言う。

「ご苦労」志下は博人を見おろす。「わかっていると思いますが、君達は今私達の信頼を裏切りました。こう何度も裏切られればそれ相応の手段を取らせてもらうことになります」

 しかし、彼が思ったよりも長谷博人の顔は絶望していなかった。口を噤んではいるが、そこに反撃や反論の覇気はない。

「わかってます…」

 まるで、罪を背負わされた被告人のような声だった。

「なら結構」志下は男の方を向く。「車にのせろ」

「は!」

 男たちが志下の横を通り過ぎていく。志下はため息を吐いたあと、口を大きく開け、肺いっぱいに神社の清い空気を吸い込んだ。

 ほんの少しの安らぎの時間…。

 少しすると、アカネの盛大な歓声が聞こえた。志下は苦笑いをしながら、まだ数分この場にいたいと思う。けれど、すぐ二人の男が志下の元に歩み寄ってきた。

「志下さん」

「お前たち、ご苦労だったな。順次帰宅していいぞ」

「あの、車が…」

「歩きかタクシーで帰れ」

「…はい」

「あとで奢ってやる」

「あ、ありがとうございます!」

 志下は外から車内を覗く。アカネはすっかり博人と会話を楽しんでいるようだった。車に近づき、運転席の扉を開ける。そうすると、アカネの歓声がピタリと止んだ。代わりにむむっとすねた顔をしている。志下はアカネを一瞬見たあと、すぐに博人の方を向いた。

「博人君。君を今から家まで送ります。父親は貸してもらうことになりますが」

「その、僕はどうなります…」

 志下は座席に座り扉を閉める。それから、後ろを向いて博人と顔を合わせた。博人はまっすぐ志下を見つめていたが、瞳には焦りと恐怖があった。

「君はバツを受けない身柄にある。自覚はありますね?」

「…はい」

「なら結構です。それよりも、私の質問に答えてください」

 エンジンをかける。道路に出た。

「博人君。今回の行動の提案者はあなたですか?」

「…父です」

「では、ついて行ったのはあなたの意思ですか?」

「いえ違います。それは…抵抗ができなかったから、仕方なく」

「…抵抗できなかった、というと?力任せに?」

「いえ…その、迫力に、です」

「仕方なく?」

「はい…」

(まぁ、彼の判断でないことを喜ぶべきか。だが、彼にも監視はつけるべきだな)

「…わかりました。ただ、今後あなたは私達の組に属し、土沢家の家族となります。裏切りはたとえ真意で無かろうと許されない行為です。もうやめてください」

「はい」

 それから、車内は沈黙が続いた。最初こそ、アカネが博人に話しかけていたが、博人に反応がないとわかると次第にだまり、窓を眺め始めたのだ。

 二度目の信号が止まったところで、もう一度志下が口を開いた。

「ところで博人君。あなたは母親から何か訊いていますか?」

「い、いえ」

「そうですか。…あなたの母親はすでにあなた方親子と縁を切るそうです」

「…ほんと、ですか?」

「ええ。本当です」

「どういうことなの?」アカネが会話に割り込んできた。

「つまり、博人君はアカネお嬢様の屋敷に遠からず移り住むということですよ。彼の母親もそれを黙認しています」

「……」

「もしかすると、来月を待たずにあなたの母親は失踪するかもしれません。そのときは、私の元へ連絡を」

「…わかりました」

 数分とせず、長谷博人の住むマンションに着いた。車を降りる時、志下は博人に彼個人の電話番号を書いた紙を渡した。

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