十一
私達はファミレスにて食事を摂ることにした。久しぶりの外食に、私はしばし興奮していた。が、隣の席に家族連れが座ると急激に心が沈んだ。私達は、注文して以降会話がなかった。その状況に私は満足していたのだが、彼らが楽しげに話し始めると、喋らないことがとてもつまらないことのように思えてならなかった。
沈黙は何分と続いた。その間、私は長く土沢アカネと油画とを比べ、どちらといた方が楽しいかを考えていた。どれだけ考えても、確実に、土沢アカネと居るほうが楽しいだろうと思った。
「お父さんはな…」
食事が並んだ時、父が口を開いた。私は若干伏せていた顔をあげ、しぼみそうな目を開く。
「お前をまともな人間にしたいんだ」
視線の先で、父が私を凝視していた。見たこともない、真剣な顔つきだった。
「うん」私は生返事をする。私は、父に対しての正当な返事がわからない。
炊きたての米の湯気が、手の届く範囲から愛おしく私を誘っていた。
「児童養護施設でも、まともな人になれると思ってる」
父は私から目線を外さない。私は、父を直視することができず、視線を白くふっくらとした米粒に移した。若干の空腹を抑えながら、少しだけ、つばを飲みこむ。窓から刺す日光が眩しい。
「そうかな…」
私は土沢アカネを思いながら、呟いた。同時に、私はアカネと、施設長の人格を比べていたが、どうしてそんなことを比べているのかは判然としなかった。
「ああ」父は、力強くうなずく。「お前は正常だから…」
正常?
私が顔をあげると、父は、渋い顔をしていた。すぐに分かった。言うつもりのなかった言葉だったのだ。
「あ、えっと…正直に言うとな。お父さんは、お前だけはまともな人に…なって欲しいんだ。俺みたいな半端ものじゃなくて…」
父は急に声をしぼませた。私は父が可哀想に思えて、そうであると気づかれないように、魅力的に輝く米粒を静かに眺めた。
可哀想…。ああ…そう、そうなんだ。私は父に対し、頼りがいがあるとか、凄い人だとか、父親だ、とか、そういうポジティブな印象を持ったことが無いんだ。だからこうも、私は父に対して無気力なのだろう。なんだか納得がいった。心が少し、軽くなる。
父が箸を動かした。私も連れて箸を持ち、米の固まりを掴む。隣の席が騒がしい。まるで、私達とは住んでいる世界が違うと見せつけてるように。
「半端者って?」
私は質問してから、ふと違和感を感じた。これは、親子の会話に使われる正当な単語だろうか?口の中に、さっき噛んだ米粒が裏頬や歯にベタベタと張り付いている気がした。口が乾いている。もしかしたら、違和感の正体はこれだったのかもしれない。
「つまり」父が箸を置いた。私はなぜか緊張した。「暴力団とか、そういうのに関わって欲しくはないんだ。土沢アカネとも、関わりをやめたほうが良い。お前のためにも」
彼は真剣な顔に戻っていた。私は目線をそらそうとして、顔が硬直していたのに気づいた。
「でも、無理なんでしょ?」
「ああ、だから、俺との関わりも…」父は唇をきつく結ぶ。「やめたほうが良い」
「え?」
私はぽかんと声を出す。
窓から眩しい光が父の顔を鮮明に照らしている。違和感を感じた。まるで、時が止まっているような、そんな違和感。
「え、どうして?」
「家族だから…と言う言い訳が効かないんだ。車の中でも言ったと思うけど、つまり、もう、俺とお前は」父は一度、呼吸をした。「住む世界が違うんだよ」
涙声だった。きっと、言いたくないセリフだったのだろう。
彼の言葉は、暗闇の空から差し込む一筋の光のように、私の心深くまで貫いた。
この瞬間、私は明確に孤独を感じた。父の願いは、きっと、私を一人にすることなのだ。
「別れるなら、今しかない。今ならまだ、お前は俺の世界に来なくてすむ」
この言葉のせいで、数秒間、息ができなかった。
「早すぎるよ!」
「早いほうがいい。この場合は」
私はまだアカネの部屋というものを見ていない。
今日、アカネと会う約束をしている。今すぐ別れるわけにはいかない。
ほんと、なんでだろうか…。
アカネと会うことが、私の中でとても重要なことに感じる。何よりも強い絆みたいな…。
「昨日の話だけど、僕はアカネと同じ高校に行くんでしょ?」
そう、そうなんだ。なんだ、運命的じゃないか。
私の人生の岐路は、すでに組まれてるんじゃないか。
「いや…決まったわけじゃない。お前が施設に行けば」
「でも、施設は手続きとか大変じゃない。それに、僕が施設に行ったとして、お父さんたちはどうするの?」
「遠くへ逃げるよ。いつまでも暴力団にいるわけにもいかないし」
「アカネはどうなるの?」
「え?」
「土沢アカネは」
「それは関係ないことだ。彼女は組長の娘で…」
「でも、人間だ」
思わず、強い口調になった。
少し経ってから、私は、自分がそんなことを口にしたことに驚いた。父は唖然と口を小さく開いている。私は急に恥ずかしくなって、目線を下げた。米から漂う湯気が、気のせいか少なくなっているように見えた。食事が冷めてしまう。
「まだ、アカネは中学生だよ…」
しかし、私自身にその自覚はなかった。
私は自分を落ち着かせようと、冷水をゆっくりと飲んだ。
いつの間にか、隣の家族が黙っていた。まるで、私たちを監視するように執拗にこちらに目を向けている。
「なぁ、博人、お前はどうしてそこまで、反対するんだ?」
「え…」
「だって、そうだろ?まだあって三日もしない。どうしてそこまで、土沢アカネに固執する?」
「…」
そんなこと、私にもわからない。
ただ、言えることがあるとすればーー例えば、真夏の湖でひときわ美しい白鳥を見た時のように、その奇跡の調和を、その姿のままいつまでもすぐそばにあってほしいと願う気持ちに似ている気がする。そこからたとえ、雨がふろうと、水が泥になろうと、その白鳥の魅力は変わらず僕を魅了する。アカネという存在は私にとってそんな、感じ。
そう。きっと、言葉でいうとこうだ。
「また会いたいと思うから…」
父は、その言葉になんの反応を示さなかった。
その後も私たちは何かを議論し続けた。しかし、それは不毛な争いで、きっと幼稚な議論で、一向に、二人が納得する答えにはたどり着かなかった。私たち親子は、根本的に、ものの見方が違っていた。
食事を終え、私たちは何かから逃れるようにこの店を出た。
店を出た時、ふと違和感を感じた。それは、私たちの後に出てきた大人が二人いたことだったのか、待合場所で老人がガムを噛んでいたことか、温かい日差しが本格的に私に降り注いだことか、そのどれかであったのだろうけれど、私はその違和感をその後もずっと感じ続けていた。




