銃
十話目です。また、遅れました。すいません。
「転校?」私は大声を出す。
運転している父が、一瞬だけ私を見た。助手席はエンジンに近いためか、車の鈍い振動音が良く聞こえた。車内にはラジオも音楽もかかっていない。
「そうだ」父はすぐに言う。「あの人たちから逃れるんだよ…」
「でも、転校って…」
「たぶん、このままじゃ俺たちの人生が変な方向に行くんだよ」父は、強い口調で言った。「お前が何も言わなかったら、何もしてなかった…それが今では怖い」
「でも…」
「何か厭な理由でも在るのか?」父が、急に優し声を出した。
「…いや」私は言ってから、窓の外を眺めた。それから、数秒経過する。「無いよ」
「ないなら、いいんだけど…」そこで、車が信号で止まった。「実はこのこと、まだ母さんには言ってないんだ。だから、最悪、母さんと別れることになるかもしれない…」
少しの沈黙。
まるで、この移動自体が目的地のない、逃走のように思えてきた。
「なんで、お母さんと別れるの?」私は小さく呟いた。
「たぶん、もう俺に関わりたくないだろうから…」父は、情けなく囁く。
「そんなことないよ」私は根拠のない言葉を言った。私自身、母がどう思っているのかなど、知らなかった。
「そうかなぁ…」父は酷く不安そうに言う。
私もだんだん、不安になってきた。そう言えば、私たちはどこに向かっているのだろうか。まだ説明を受けていなかった。
沈黙が訪れる。車のエンジンが大きくなる。信号が青になっていた。
「何処に行くの?」私は勢いよく言った。
「児童養護施設」父が囁いた。
「え…?なんて?」
「児童養護施設…孤児とか、家が無い子供が住む場所だよ」
「え?」私の頭に、一瞬の空白が出来た。それから、怒りのような感情が沸いてくる。「なんで、そこに行くの?別に、逃げるんだったら引っ越すでいいじゃん。わざわざそんなとこに…」
「なんで、か…確かに、突飛な発想だよ」父は、黄昏に嘆くような声を出した。「引っ越しはダメなんだ。俺が色々と抑えられてるから…家族みんなでって訳には行かないんだ。だから、お前だけでも逃がそうと…」
「だからって、急な話しだよ」
「分かってるよ。だけど、こうするしかたぶん、方法は無いんだよ」
「僕の為に?」私は強く言う。私は少し、苛苛していた。
「うん。それと、家族みんなの為に」父は力強くうなずいた。
この時、私は父の言葉に黙るしかなかった。私は、父の決断がそれほど悪いものではないように思えてきていたし、私自身、これ以上の良案を思いつくほどの知識もなかった。かといって、これが最善であるかと言われると、少し急すぎるとも思えた。もう少し、家族で話し合って、アカネにもお別れを言って、そうした段取りを踏まないと行けないのではないだろうか。けれど、その挨拶とか、少しの時間の経過で、私たちが本当にその暴力団から何か不幸をもたらされる可能性は全くないとも言えなかった。私の心に迷いが生じた。それから私は、土沢アカネとの関係が、こうもあっさり終わってしまうことを考えて、彼女との関わった時間は一体何だったのかと、心が沈んでいった。
彼女との関りは、私に取って何か意味があるもののはずだった。
そう言う、予感があったのだ。
だが、こうもあっさり終わってしまうのか…。
私の家が、環境が、こうもあっさりと変わってしまう。
これもまた、彼女と関わった意味ということだろうか。
結局、私は、その児童施設に着くまで、心の中にイガイガを飼っている状態になっていた。
不安が収まる気配がない。
その施設は遠かった。県は二件程離れているかもしれない。
私たちはずっと無言だった。途中から、父が、音楽をかけた。
ロックだった。その曲調に乗ることで私の不安は多少晴れた気がした。
その児童養護施設の施設長は優しそうなおじいさんだった。私は廊下の椅子で待つことになり、父と委員長だけが個室に入って行った。これは、父の提案だった。
私がいる廊下は、すぐ目の前が児童たちの遊ぶ小さな広場だった.。窓から見える光景には、小さな子供も大きな子供もいて、みんながはしゃいでいた。私は、その中に混じりたいとは思わなかった。
ずっと、父と施設長が何を話しているのか、そればかりが気になった。
五分ほどが経った時、廊下から足音が聞えた。振り向くと、児童が一人いた。黒髪で、鷹のように鋭い目を持っている。私と同い年かそれ以下か。彼は私の方に近寄ってきた。彼は、とても話しにくい、威圧的な、あるいは、高貴な雰囲気を持っていた。
彼は私の前に来た。
それから、十秒ほど、彼は私を見続けた。
「何?」私は言った。
「……誰?」彼は美しい声を持っていた。
「僕は、博人」私は、比較的愛想の良い人格を演じた。
「ひろと。へぇ」
「君は?」
「シズ」
「シズ?…変わった名前だね」
「そうだね。博人は何をしてるの?」彼は、ずっと同じトーンで喋っている。
「僕は、お父さんを待っているんだ」
「ここ、住んでる?」
「いや」
「住む?」
「たぶん…」
「へぇ。そう。へぇ…。でも、まだ、外部の人間だ」
「まだ、ねぇ」
「僕は、黒色が好きなんだけど、博人は?」
「白色が好きだね」
「白はいいよね。僕も好きだよ」
「色が、どうしたの?」
「好きか嫌いかだけだよ」
「ここ、住みやすい?」私は訊く。
「住みやすい?トイレも食事もある。環境はいいよ」
「寂しくない?」
「寂しい。だから、一人で歩いてたんだ」
「歩いてたの?どうして?」
「寂しいから。寂しいは、とても良い感情だよ。なんていうのかな、すっごい不幸に酔っている気分になるんだ。だから、僕は一人でいる。いつも一人。博人に話しかけたのは、気まぐれ」
「僕、君みたいな人を知っている」私は、彼の発言に少しイラついていていた。「君、人をどうでも良い存在と思っているよね」
「どうでもいいね。僕以外」
「愛されないよ」
「愛されたことは無いよ」
「いつからここにいるの?」
「三歳の時かららしい」
「友達はいるの?」
「僕に友達はいないよ。居ると思っているのなら、それは錯覚だよ。みんな、孤独になって、寂しいを、感じているんだ。楽しいとか、嬉しいとか、そう言うの全てまやかしだよ。みんな、まやかしを演じている。それは、真実じゃない」
「僕は真実とかどうでもいいな。…きみ、誰かを失うことを恐れているね」私はそう言って、驚いた。この言葉は、今の私の状態をよく現していた。
「恐れているよ」彼は口調を変えなかった。「恐れているよ。それも、寂しいという感情の一部でしかないんだよ」
「僕は、寂しいのかな?」
「寂しいから、こんな場所にいるんじゃないの?」
「そうかもね」
扉が急に開いた。私と彼は一斉にそっちを向く。
扉から、父と施設長が同時に出てきた。
彼らは私たちを見ると、驚いた顔をした。
「じゃあ、僕は行くね」彼はそう言って、大人二人の横を素通りした。
二人は私の元に近づいてきた。私は立ち上がった。
「彼は、友達?」父が言った。
「うん」私は頷いた。
「彼、油画君っていうんですが、自閉症を患っているんです」施設長が膝を曲げ、私に顔を近づけた。「博人君、彼と何を話したのかな?」
「色の話をしました」私は微笑して答えた。まるで、私は自閉症なんかでは無いと示すように。どこも、悪いとこは無いと示すように。それほど、この施設長の口調は丁寧で、私は違和感を覚えていた。
「色…。そう、彼は、絵を描くことが好きでね。いつも、黒色を使っていた」
「彼、黒が好きだって言ってました」
「それは良かった」施設長は愛想よく微笑んだ。それから彼は立ち上がって僕らを見た。「では、玄関まで送りますね」
施設長が前を歩いた。道はシズとは違う方向だった。父が、さあ、行こう、と優しく呟いた。私は父と一緒に施設長の後ろをついていった。
「また、いつでもお越しください」
最後に、施設長はそう言った。私と父は、並んで正門をくぐった。ここの施設は新しく、まるでどこかの集落のように建物が円状に密集していた。中央に、広場があるのだ。
車に乗るまで、私たちは黙っていた。それがまるで、ルールとでも言うように。
「もう一度、お母さんとみんなで話そう」父はエンジンをかけたあと、そう言った。
「うん」私は助手席で頷いた。少しだけ、施設に行くことを検討する。「僕も、色々整理したい」
車が発進した。
「施設長の人、いい人だった。油画って子と喋ったんだよね。どうだった?仲良くなれそう?」
私は父のその、仲良くなれそう、と言う言葉が早合点に思えたが、あえて黙った。
「分からない。でも…僕と似た雰囲気を持ってたよ」
私は友達が少ない。
いや、少し表現が違う。
少ないと言うより、少なくしようとしている。あるいは、そうなって来ている、と言うべきだろう。
本ばかり読んでいるし、勉強ばかりしている。たぶん、そうやって私はクラスメイトや友人との関りから逃げいている…。
土沢アカネだけが、その例外で…。それゆえに、リスキーなのだ。
「そっかぁ、それは、よかった」父は、安堵した声を出す。
しかし私は、彼が私の言葉の意味を本当に理解しているとは思えなかった。
「もう昼を過ぎてるな」父が言った。何か吹っ切れたのか、機嫌がよかった。「どこかの店でご飯を食べよう」
「うん」私は頷いた。
外食は、きっと一年ぶりだった。




