不貞の子と蔑まれた底辺令嬢はエリート魔法師に甘やかされる
「ああ。こんなことになるなんて……! どうしようどうしようどうしよう……!」
シャルロットは野暮ったく着こなした黒い魔法師のローブを翻し、その場をうろうろ何往復もしていた。一人でそんな怪しげな行動をとっていたところで彼女の存在を気にする人はいない。
通っている魔法学園でのシャルロットの成績は最下位。底辺魔法師の名をほしいままにしている彼女は、周りの目など気にすることもなく、本来ならば強い魔法師の証である青の瞳を涙で濡らしていた。
「きゃあ! ラメル様だわ!」
「今日もクールで素敵……!」
今、まさに頭を悩ませている人物の名を聞きつけたシャルロットの体は氷のように固まった。
その視線の先には、切れ長の瞳を伏せがちに、夜空色の髪を風に靡かせながら颯爽と歩いてくる長身の男性の姿があった。
“至宝の魔法師”――。
隠れてそんな名が囁かれていることをシャルロットが知ったのはごく最近の話である。
全属性の魔法を操る彼の瞳の色は特別な金色。黒に近づくほど保有魔力量が多いことを表すと言われる髪の毛は漆黒。端正な顔立ちにクロテッド侯爵家次男という血筋の高さもあって、学園では非常に人気がある人物だ。
そんな彼に拾われたシャルロットは幸か不幸か――彼の思ってもみなかった二面性を知ることになったのだ。
(ラメルがクール……? みんな騙されてるわ……!)
彼のあんな面を知っているのは私だけに違いない。シャルロットは顔をこわばらせたまま、ただただ遭遇してしまった状況に困惑しているのだった。
◆◆◆
時は遡ること一週間。
ティアーズ公爵家の長女であるシャルロットは、二つ離れた妹の手によって“猫”になった。
「まあ、シャルロットお姉様! 猫の姿がお似合いですこと!」
「にゃにゃあ⁉︎ にゃあん!」
(どうしてこんなことするの⁉︎ 早く戻して!)
サンドラは「うるさいわねぇ」と呟き、汚いものを見る目で猫になったシャルロットを睥睨した。
「私は猫なんて汚い動物、相手をするのも悍ましいので……。お姉様に代わりをしてもらおうと思いまして」
にっこりと美しい笑みを浮かべる妹――サンドラ。彼女の瞳は燃え盛る炎を思わせる真紅。シャルロットは自分には受け継がれなかったその色を、羨ましく思いながら見上げた。
シャルロットが住むデルフィア王国において、魔法師はとても貴重かつ重要な存在である。なぜなら、魔法師はなぜかこの国にしか生まれないから。その上、デルフィアはとても小さな国で、常に隣接する国から土地を狙われている。
戦闘においては大きな戦力となる魔法師の存在は隣国から羨まれるのと同時に、大きな抑止力にもなっている形だ。
魔法師は、生まれ持った性質により火、水、氷、土、風、光、闇の属性に分かれ、得意とする属性は瞳の色に現れることが知られている。そして、体内に持つ魔力量は髪の色へと反映され、双方ともに色が濃いほど強く、大きな魔法を使えるといわれる。
普通ならば一つの属性しか扱えないはずなのだが、何百年かに一人、全属性の魔法を扱える人間が現れるといわれる。それが、ラメル・クロテッドが“規格外”でデルフィア王国の“至宝”と大切にされる所以である。
そんなデルフィア王国において、シャルロットが生まれたティアーズ公爵家は、王族の血を引き、代々強い火属性の魔力を受け継ぐ名門貴族家である。
サンドラはその血脈をしっかりと受け継いで、真紅の瞳と黒に近い茶褐色の髪をしている。対して、長女である姉のシャルロットのほうはというと――。
「ふふ。猫の姿になっても不貞の証である青色の瞳と意味のない黒色の毛並みは健在ですわね」
火の魔力を受け継ぐ名門貴族家の出身なのに、シャルロットの瞳は氷属性を示す青色だった。そして、髪の色は黒だったが、魔力を巡らせるための気孔が開きづらい特殊体質らしく、シャルロットは今でも魔法が使えない。したがっていくら大量の魔力を持っていても「意味がない」……。サンドラの言う通りなのだ。
それどころか、シャルロットがこんな性質を持って生まれたばかりに、彼女の産みの母はティアーズ公爵家を追い出された。母も火属性の持ち主だったため、氷属性の子が誕生するはずがない、と不貞を疑われたのである。
もちろん、シャルロットの母は不貞などしてない、信じてほしいと訴えた。しかし、シャルロットの父は己の妻を信じきれず、不貞を理由に離縁を突きつけたのだ。
シャルロットは不貞の証なので家門の恥ではあるが、この先強い氷魔法を使えるであろうことと、魔力量も多いため、偉大な魔法師になるだろうという将来性を買われてティアーズ公爵家に残ることになった。
それなのに……。
(私は特殊体質のせいで保有しているはずの魔力が解放されないから、魔法が使えない。だからティアーズ公爵家にいても肩身が狭いばかりだし……。サンドラに何をされようと対抗もできない……)
「にゃあにゃあ……」
(お願いだから元に戻して……)
「お姉様、今後は猫の姿で生きていかれたほうが身のためではなくて?」
サンドラは吐き捨てるように言った。
「ティアーズ公爵家に魔法師として使えない人間はいらないんですのよ。この機会に野良猫として生きることを真剣に考えるのもいいと思いますわよ」
こんなに生きづらい家にいる必要がなくなるのなら、猫として生きるのもいいかもしれない。シャルロットがそんなことを考え始めたところで、いいえ、だめよ! と心の奥底から反論の言葉が湧いてきた。――そうだった。
「私は私の夢を叶えるの! 猫の姿では叶わない夢を……!」
シャルロットの反論の言葉は、もれなく猫の鳴き声に変換されてしまったけれど。
「ああもう! にゃーにゃーうるっさいわね。早く目的を達成してあんたのことなんか道端に捨ててやるわ」
サンドラは鼻で笑ってシャルロットを運ぶよう使用人に言いつけた。使用人に抱き上げられそうになり、シャルロットは身体をこわばらせた――が、なぜか震えもなく、すんなりと抱えられることとなった。
(あれ?)
シャルロットは通常と異なる現象を不思議には思ったが、“猫化”したこと自体が常とは異なる状態のため、そのときはあまり深く考えなかった。
「もしお姉様のおかげで“至宝の魔法師”ラメル様とお近づきになれたら、貴族街に捨ててあげるわね。運がよければ優雅な生活ができるかもしれないわよ。知らないけど」
そう吐き捨てたサンドラは、その意中の相手である“ラメル様”のことを考えでもしていたのだろう。うっとりとした表情をしていてシャルロットをゾッとさせた。
「ラメル様と結婚できるなら、こんなのと同じ馬車に乗らなきゃいけないことも頑張って耐えるわ。待っててラメル様……!」
「こんなの」扱いをされた猫の姿のシャルロットは、自分自身の夢を叶えるためにもこのままではいられない、どうしたら元の姿に戻れるだろうか、と考えを巡らせていた。
(待って……! 今、サンドラは『ラメル様』と言ったわよね? 聞いたことあるわ。“規格外”の全属性魔法を操り、学園でも並外れた能力を発揮してトップの成績を誇るラメル・クロテッド……)
クロテッド侯爵家の生まれで、魔法学園での成績は常にトップ。シャルロットとは正反対の意味で“規格外”の魔法師と呼ばれ、学園で最も有名な存在だ。いくら世俗に疎いシャルロットでも彼のことはもちろん知っていた。
馬車に乗り込んだサンドラは、窓の外をうっとりと見つめ、一人で喋り続けている。
「ラメル様、結婚したら猫を飼いたいのですって。だから、ラメル様の前で猫好きをアピールしようと思って。でも本物の猫は汚いしうるさいしで苦手だし。お姉様を猫にしたほうが大人しく言うことを聞いてくれるからまだマシかしらと思ったのよね。なのに、全くの計算違いだわ。やっぱりお姉様は何をやらせてもだめねぇ」
(そうか。猫になった私を使って彼と懇意になるつもりなのね)
シャルロットが猫の姿にされたのは、ラメル様とやらの嗜好が関係しているらしい。
(とばっちりだわ……)
シャルロットは盛大なため息を吐いた。その勢いでヒゲが揺れ、鼻がむずむずした。
(令嬢たちの恋愛相手として一番の人気を誇るのならば、その自覚を持たないとだめよね。私のような被害者を出さないためにも、発言には気をつけてほしいものだわ)
もちろん、悪いのはシャルロットを猫の姿に変えた当の本人であるサンドラだ。それはシャルロットも理解していたが……。シャルロットが噂で聞いていた限りでは、ラメルはいつも無表情で冷徹で、話しかけても返事が長文で返ってくることがないらしい。それなのに、どうして“猫好き”などといういかにも付け入りやすそうな情報を漏らしてしまったのか。
シャルロットはやり場のない怒りを罪のないラメルに向け、決意した。
(そうよ。ラメルとやらが猫好きなんだったら、この姿を利用して近づき、どうにかして私が人間であることを気づかせて“猫化”の魔法を解いてもらえばいいのだわ)
ラメルの一言に振り回されて被害を受けることになったシャルロットには、ラメルに魔法を解いてもらう権利がある。サンドラよりも高い能力を持つ、学園トップの魔法師であるラメルなら簡単なことだろうから。
(私は、絶対に人間に戻る!)
シャルロットは決意を固め、肉球を握りしめた。
このあとどんな困難が待ちうけているのかも知らず――。
◆◆◆
「いた! ラメル様だわ……!」
なぜかラメルの訪れる場所を知っていたサンドラによって、猫になったシャルロットはラメルの出没スポットまで運ばれて行った。
そして、恐ろしく顔のいい“ラメル様”らしき人がいる場所に近づくにつれて、大きな後悔が小さくなってしまったシャルロットの身を襲った。
(ああ……。これはだめだわ。ライバルが多すぎる……)
その場にはラメルを中心に、貴族令嬢と猫たちが溢れていた。おそらくみんなサンドラと同じ目的でここにいるのだろうと推測できた。ただ、“猫化”はかなりの魔力量を必要とする魔法だから、ここにいる猫たちの中で、人間なのはシャルロットだけかもしれなかったが――。
(ラメル、恨むわよ。どうしてサンドラだけにこっそりと教えてくれなかったの……)
この状況では、シャルロットがラメルに気づいてもらって、魔法を解いてもらうのは難しいかもしれない。
(……詰んでるわ)
肩を落として自分勝手な感想を抱きなら、シャルロットは遠巻きに令嬢と猫たちの群れを眺めていた。サンドラは、猫が苦手と言っていた割には、意気揚々と戦場へと殴り込んでいるように見えた。
ラメルは表情を凍りつかせてタジタジの様子である。十数人の令嬢たちと、それと同数の猫たちに囲まれているのだから当然かもしれない。
(サンドラは本当に私を置いて帰るつもりなのかしら。最悪の事態を避けるためにもなんとか彼に気づいてもらって、魔法を解いてもらわなくちゃ!)
最悪のシナリオを完成させるわけにはいかない――! シャルロットは萎んでしまった気を持ち直し、サンドラに倣って自分の存在を精一杯アピールすることにした。
「にゃあん! にゃあーーん!」
他の猫たちに紛れながらも声の続く限り鳴き続けていると、喉がカラカラになってきた頃に一瞬ラメルと目が合った気がした。
(気づいてもらえた……⁉︎)
と喜んだのも束の間、シャルロットの視界はサンドラの長いドレスの裾で遮られ、そのまま殺傷力の高そうなヒールで踏まれ、蹴飛ばされた。
ラメルの視線を自分に向けようと画策しての行動だろうけれど、猫になったシャルロットの小さな身体を踏んづけて蹴飛ばすなんて信じられなかった。
(ラメル、やっぱりサンドラだけに情報を教えなくて正解だわ……。この子がこのあと私を介抱するために涙を流しながら駆けつけたとしても、外面に騙されちゃだめよ……。しっかり見極めるのよ……)
お人好しにも、シャルロットは意識が無くなる直前までそんなことを考えていた。
◆◆◆
次に目が覚めたとき、シャルロットはとても心地よい何かに包まれていた。
「ああ、可哀想に……。なんで目を覚さないんだ? 俺の魔法は最高レベルのはずだろう!? “至宝”などと呼ばれているのに、こんなときに使えなくていつ役に立つんだ……!」
「にゃ……」
(うん? なにごと?)
「!? 目が覚めたのか……!?」
「にゃあ?」
(え?)
私は覚醒したと同時に、思ってもみなかった状況に置かれていることに困惑した。
「にゃーー⁉︎」
(なにーー⁉︎)
「よかった……!」
どういう経緯でこうなったのかわからないが、目を覚ましたシャルロットはラメル・クロテッドの腕の中にいた。
そして、シャルロットの意識が戻った途端、ラメルは瞳をとろんと蕩けさせて、彼女を甘やかし始めたのである。
「かわいい……! あなたはなんて可憐でかわいいんだ」
そう言いながらシャルロットの顔にその美しい陶器のような頬を近づけ、すりすりと擦り付けた。
(私、まだ猫よね……?)
彼の無表情なイメージと甘々な仕草がどうにも結びつかず、逆に冷静になったシャルロットは徐に自分の手を見た。そこには黒い毛がみっしりと生えていて、ピンクの肉球も健在であった。
周りを見渡すと自分の身体に比べて調度品も大きく見えたし、何よりシャルロットの身体はラメルの腕にすっぽりと収まっていた。
(そうよね。私は猫よね。この人は本物の“猫好き”なのね)
しかも、こんなに人と密着しているのにやっぱり身体は全然震えない。猫の姿だと、人に触られても大丈夫なのかもしれないとシャルロットは考えを巡らせ始めた。
「痛いところはない? 俺の治癒魔法は完璧なはずなのだが、なかなかあなたの目が覚めなくて肝が冷えたよ」
(そっか。私、サンドラに踏まれて蹴られて気を失ったのか。頭も打ったっぽかったし……ラメルが助けてくれたのね。ありがたい)
「にゃあ、にゃあん」
(ラメル、ありがとう)
「かわいすぎる……!」
猫語でお礼を言うと、頬を上気させて喜んだラメルに間髪入れずキスされそうになった。
「ふにゃー!」
(さすがにキスは……!)
姿は猫でも、心は初心なシャルロット・ティアーズである。羞恥心はまだ手放せていない。
「ちゅ」
結果、ラメルの口付けは、シャルロットのピンク色の肉球に贈られることとなってしまった。
「にゃあ!」
(そんなつもりでは……!)
侯爵家子息の高貴な唇を猫の肉球へと誘うなど、不敬極まりない――! と、シャルロットは焦った。焦った末に出た行動は、シャルロットの本質を見事に表していた。
シャルロットは即座に彼の温かな腕から抜け出して床に降り、平伏した。彼に許しを乞うために――。
(ごめんなさい。分不相応なことをしてしまいました。取るに足りない存在がしたことです。寛大な心でどうかお許しください)
シャルロットがにゃーにゃー言って謝りながら平伏していると、頭の上を大きくて温かなものが覆った。シャルロットがびくりと身体を縮こまらせると、すぐにそれは引っ込められてしまったけれど。
とうやら痛いことをされるわけではないみたいだと理解できたシャルロットは、ぎゅっと閉じていた瞼を開いてラメルを仰ぎ見た。ラメルは優しい眼差しをしていて、シャルロットの心を解きほぐすように言った。
「何も怖がらなくていい。俺があなたを守るから」
再びシャルロットへと伸ばされた手のひらを、恐る恐る受け入れた。頭の上を遠慮がちに往復するラメルの手が心地よかったのは、シャルロットが猫になっているからなのかどうかは定かではなかったけれど。
彼のその一言と、愛おしむような言動はシャルロットに安心感を与えた。
「大丈夫」
そう言われて、シャルロットはぎゅっとまた腕の中に抱きしめられた。温かくて心地良い。震えも嫌悪感も微塵も感じない。シャルロットは彼の腕の中に大人しく収まって、大きな安心感に包まれたまま、彼の言葉に耳を傾けていた。
「あなたを連れてきた人は大女優に違いないな。あなたを自分で踏んで蹴っておきながら、涙を流しながら駆け寄って声をかけていたよ。『シャル! シャル!』って」
「にゃあ、にゃあん……にゃぁ」
(推測通り、自作自演でラメルの気を引こうとしてたのね……。あなたが騙されなくてよかったわ)
「一部始終を偶然見ていたんだ。俺は“シャル”に一目惚れしてしまったみたいでね」
「にゃ……」
(うそでしょ……)
「とにかく、大女優の彼女をあの場で問い詰めるのは簡単だったが、シャルの身体が心配でとても焦っていたから……。とりあえずそのまま彼女からシャルを強奪してきてしまった」
ラメルはそう言って申し訳なさそうな顔をした。そんな顔をして「強奪した」とわざと自分を悪く言ったところで、ラメルがシャルロットを大女優サンドラから救い出した事実は変わらない。
(彼は、とても思慮深く、思いやりのある人なんだわ……)
シャルロットは関心していた。
その場でサンドラを問い詰めたところで、すぐに白状して解決したとは思えない。そこに時間をかけるよりも、シャルロットの身体を第一に案じてくれたのだ、と――。
ヒールで踏まれたときにシャルロットには内臓を損傷したような痛さが感じられたし、数メートル宙を舞ったあと石畳に強く頭を打ちつけたので、脳にもダメージがあったかもしれない。ラメルがシャルロットの怪我の治療を優先してくれなかったら、もしかしシャルロットの意識は一生戻らない可能性もあった。
「にゃあ……」
(命の恩人だわ……)
ラメルはシャルロット見つめ、にこにこ笑って告げた。
「だから、シャルは今日からうちの子だよ。これから俺がうんと甘やかすからね」
「にゃ……」
(え……)
「ああ。驚いた顔もかわいい……」
「にゃ……?」
(はい……?)
「俺はすでにあなたの虜だ」
その日、シャルロットがクールの皮をかぶったラメルにベタベタに甘やかされる日々が幕を開けたのだったーー。