わがまま夫人の前世によれば
平々凡々な会社員だった美陽の趣味は、乙女ゲームと女性向けライトノベルを読み漁ることだった。
そして、その中の一つのライトノベルに、リステアード・ヘルベルガーという人物が登場していた。
(……タイトルは、えぇっと、なんだっけ)
けれど、タイトルが上手く思い出せない。そもそも、片っ端から読んでいたので、タイトルなんて思い出せるわけがない。
そう思い髪の毛を掻きむしりそうになるが、寸前でこらえた。突然髪の毛を掻きむしったら、リステアードにどう思われるかわからない。
じっと彼の顔を見つめる。彼の顔はやはりとても整っている。まるで、人間味がないほどに。
「……旦那様」
そっと彼の方に手を伸ばしてみる。そうすれば、リステアードは驚いたのち身を引く。
その姿は、ヴィヴェカに触れてほしくないとばかりだ。
「……悪い」
その後、彼はヴィヴェカに謝ってきた。その目は狼狽えており、「どうして……」という感情が色濃く宿っている。
間違いない。彼は――ライトノベルの中のリステアード・ヘルベルガー侯爵。……お話の中の、ラスボスだ。
(ということは、私はモブね。リステアードが心を病み、闇落ちするきっかけとなった女)
お話の中に、ヴィヴェカ・ヘルベルガーという人物は登場しない。ただし、それはヒロイン視点で語られるからだ。
最後に番外編として書かれていたリステアード視点のお話では、ヴィヴェカらしき人物が登場する。それこそ、彼の事故死した妻である。とはいっても、本当は事故死ではない。……恨みを買い、事故に見せかけて殺されたのだ。リステアードの、親族に。
(私は、リステアードの親族に恨みを買い、殺される。当たり前だわ。だって、財産を食いつぶしているに等しいのだから)
リステアードは、ヴィヴェカのことを本気で愛していたと言っていた。……『あんな妻でも』という言葉はつくが。
まぁ、それは当然である。ヴィヴェカはお世辞にも良い女性とは言い難い。容姿は抜群ではあるが、わがまま三昧で高飛車。挙句癇癪持ちなのだ。
「って、それは今までの私も一緒か……」
それを思い出して、ヴィヴェカは項垂れた。
今までのヴィヴェカだと、間違いなくあのお話通りに進んでしまっていただろう。ヘルベルガー侯爵家の品を落とし、財産を食い、妻としての役目も果たさずに威張っていたのだから。
「ヴィヴェカ?」
一人ブツブツと呟くヴィヴェカを怪訝に思ったのか、リステアードがヴィヴェカの顔を恐る恐る覗き込んでくる。
彼のその目には、確かな不安が宿っていた。……強面なのに、凛々しいのに。どうしてか、そういうところは可愛らしいと思ってしまった。
「いえ、何でもありませんわ。……まだ少し、頭が痛くて」
いきなり前世の記憶を思い出して、この世界が物語の中の世界だなんて言えるわけがない。
気が狂ったと思われて、医者を呼ばれるのがオチだ。
それがわかるので、ヴィヴェカはこのことについては伏せておくことにした。今後、誰にも話さないと一人で誓う。
「そうか。……無理は、するなよ」
「えぇ、承知しておりますわ」
目元を細めて笑えば、リステアードが身を引いた。彼のその頬は仄かに赤くなっており、どうやら照れているらしい。
……そして、どうやら物語の中同様、リステアードはヴィヴェカに惚れているらしかった。
(女の趣味、悪くない?)
お世辞にも、今までのヴィヴェカに惚れる要素はない。あえて言うのならば、美しい容姿だが、それさえも打ち消すほどのクズ女っぷりだったのだ。本気で愛される要素ゼロ。むしろ、マイナスである。
「とりあえず、もう少しゆっくりとしていろ。……夕食は、部屋に運ばせよう」
「えぇ、お気遣いありがとうございます」
笑ってそう礼を言えば、またリステアードがおののいた。
笑ってお礼を言われたくらいで……と思わなくもないが、当然だ。だって、今までのヴィヴェカは笑ってお礼を言うなんてなかったのだから。
(あぁ、何となく前途多難な気がするわ……)
美陽としての死因は、覚えていない。が、分かることはたった一つ。
――このままでは、ヴィヴェカ・ヘルベルガーとして、お話通りに死ぬ、ということだ。
(お話が始まるのは、もう少し先のはず。だったら、そのうちに死亡フラグを折るしかないわね……!)
まだ前世の記憶を思い出したばかりなので、頭が混乱している。
とりあえず、眠って頭をリセットしよう。
そう思って、ヴィヴェカは毛布にくるまった。
(……あぁ、どうせ転生するならばこんな中途半端なモブじゃなくて、モブの中のモブにしてほしかったわ……)
そんなことを考えながら、ヴィヴェカは深い眠りにつくのだった。