98 新たな命の誕生
雨乞いの舞からニ週間が経った。
雪欄様が出産を迎え、五人目となる皇子が産まれた。皇子は煌秀と名付けられ、皇位継承権は煌月殿下、煌運殿下に次いで三番目となる。新たな皇子の誕生に王宮は喜びの声で溢れていた。勿論、わたくしもその一人だった。
まだ皇后陛下が北の離れに入っていることもあり、普段から厳格な後宮内は緊張が緩んでいて雰囲気は明るい。
普段であれば他のお妃やそのお子、特に皇子の話題が皇后陛下の耳に入ると途端に不機嫌になるそうだ。その為、今まで煌運殿下以外の話題はひっそり噂されていたが、今回は皇后陛下が不在のため賑やかだった。みな遠慮なく雪欄様と産まれた皇子の話題を出している。
煌秀殿下が産まれて一週間が経った頃、わたくしは祝いの品を携えて妃宮を訪れた。
「雪欄様、この度は煌秀殿下のご誕生おめでとうございます」
「こちらこそ、祝いの品を贈ってもらって大変嬉しく思う」
わたくしは雪欄様と机を挟んで向かい合って話していた。
雪欄様の腕の中では、産まれたばかりの煌秀殿下が気持ち良さそうに目を瞑っている。その様子を雪欄様の隣に座る秀鈴様が覗き込んでいた。
「夏の宴ではそなたも大変であったな。助けてやることが出来ず、すまなかった」
それは、東宮の後宮が襲撃されたことを心配してくださっての言葉だとすぐに分かった。
「いえ、雪欄様が気に病む必要はありません。それに、文でご心配してくださっていたことは伝わりましたから」
襲撃の翌日には雪欄様からの文がわたくしの元へ届いていた。その後も何度か文を送ってくださって、わたくしたちはやり取りをしていたのだ。
「雨乞いの舞は実に見事であった」
「ありがとうございます」
優しさを持ち合わせながらも厳格な雪欄様。そんな彼女からの素直な褒め言葉に、わたくしは驚くと同時に嬉しくなる。
「皇帝陛下は梨紅を気に入っていてな。儀式のあと宴でも梨紅の話ばかりされていたが、わたくしは雪花の舞が一番輝いて見えた」
「雪欄様に褒めて頂けて光栄です」
嬉しさを伝えると、雪欄様が何かを思い出したように「フフッ」と笑みを漏らす。
「そなたは、わたくしよりも煌月殿下からの褒め言葉の方が嬉しかったのではないか?」
「え!?」
「宴でも頬を赤く染めて嬉しそうにしていたではないか」
クスクスとからかってくる雪欄様。だけど、わたくしは返す言葉もない。雪欄様の言葉が嬉しかったことは本当だけれど、煌月殿下からのお言葉もとても嬉しかったからだ。
宴の時のわたくしを雪欄様にしっかり見られていましたのね。あの時、雪欄様と目が合って微笑まれたのはそういう事でしたのね、と今更ながらに納得する。
「皇帝陛下からお褒めのお言葉を賜ることは名誉であり、他のお妃候補より一歩前進することは確かだ。だが、あくまで正妃を選ぶのは煌月殿下だ。その煌月殿下に気に入られた雪花は本当の意味で雨乞いの舞で目立つことが出来たと言えるだろう」
「雪欄様……」
現皇帝の妃である雪欄様の言葉は、煌月殿下がわたくしを褒めて下さったことの重要性を認識させた。
「皇后陛下が未だに北の離れで軟禁されていて、夏家の影響力が弱まっている。そなたにとっては今が追い風かもしれぬな」
「“わたくしにとって”と言うより、“万姫様以外にとって”のような気がします」
万姫様がわたくしに手を上げようとした事件から程なくして東宮が襲撃を受けた。さらには東宮襲撃に煌雷殿下の関与が疑われ、その矢先に万姫様の件には皇后陛下が関わっているとされたのだ。
万姫様は既に北の離れで反省を終え、それ以上のお咎めは無しとなった。だが、煌雷殿下の件はご自身の関与を否定されたことに加えて、確たる証拠が見つからなかったために、煌雷殿下の側近が余所者が紛れ込むのを赦してしまった罪で処刑された。
一応、決着が着いたとはいえ、多少の疑問が残る。それだけで噂のネタになるのは十分だった。
それにも拘らず、未だに皇后陛下の件は解決していない。恐らく夏家は今も皇后陛下を北の離れから解放するように抗議文書を送っているのでしょう。けれど、こうも立て続けに夏家縁の者の失態が連続したとなると、皇帝陛下も簡単には夏家の要求を受け入れられないはずだった。
「まぁそうとも言える。だが、雨乞いの舞で煌月から言葉を掛けられたそなたは他のお妃候補たちより確実に一歩前進した。良かったな」
雪欄様の目元が優しく細められた。彼女も喜んでくださっているんだと感じて、心が暖かくなる。
その時、雪欄様の腕の中の煌秀殿下が「ふぇっ、……ふええぇん」とぐずり始める。
「あぁ、すまぬ。煌秀にはつまらぬ話であったな」
雪欄様があやし始める。それを間近で見ていた秀鈴様も「よしよし」と声を掛けながら優しく煌秀殿下の頭を撫でた。
すると次第に煌秀殿下の様子が落ち着いていく。
そんな姉弟の姿が微笑ましくて、わたくしは「ふふふっ」と声を漏らす。
「秀鈴様はすっかりお姉さんですね」
「はい! 雪花、……じゃなくて、雪花様! わたくしはもう立派なお姉さんになりました!」
言い直した秀鈴様はまだまだ可愛らしいが、少しずつ公主としての振る舞いを学ばれているようだ。
そのお姿に夏の宴からの成長を感じた。
「雪花、良かったら煌秀を抱いてやってはくれぬか?」
「良いのですか?」
「勿論」
頷いた雪欄様は側にいた女官に煌秀殿下を託す。その女官はしっかり殿下を抱き留める、とわたくしの側にやって来た。
わたくしはこわごわと腕を出す。赤子を抱き留めるなどはじめての経験で緊張していた。
そんなわたくしの側に妃宮の別の女官が控えると、手の位置を調整してくれる。そして、わたくしの腕の中にそっと煌秀殿下が預けられた。
まだまだ小さく軽い煌秀殿下。だけど、確かな重みがある。少しでも身動きをすれば、落としてしまうのではないかという緊張感がわたくしを包み込んで身動きが取れなくなる。けれど、それに反して腕の中の煌秀殿下は気持ち良さそうな表情で目蓋を閉じていた。
「か、可愛い……」
思わず呟くと雪欄様が「当然だ」と頷く。
「わたくしと陛下の子であるからな。子は良いぞ。特に自らの子はこの上なく愛らしく思うものだ」
その言葉にわたくしは視線を煌秀殿下から雪欄様に向ける。
「そなたも。あと数年後には煌月との間に授かると良いな」
にこりと微笑まれて、わたくしは想像してしまう。そんな日が来ることを楽しみに思ったが、その数秒後に“つまり、煌月殿下と…………”と余計な想像までしてしまい、顔を赤くしたのだった。