95 万姫様へ嫉妬
日が暮れた頃、煌月殿下が冬宮を尋ねてきた。
いつものように机に向かい合って座ると、蘭蘭がお茶を持ってきてくれる。
「もう雪花の耳にも入っていると思うが、皇后が北の離れに軟禁された。この件は先ほど万姫にも伝えてきたのだが、そなたも関係者だから詳細を話しておく」
煌月殿下はそう口にすると、午前中の会議で成された話しを順を追って説明してくださった。
まず、襲撃事件に関しては煌雷殿下と煌月殿下、それから皇帝陛下の部下が合同で調査を行なうこと。調査が終わるまでは煌雷殿下が王宮に留まられることが決まった。
次に万姫様の件については、彼女が皇后陛下から贈られた薬膳茶に薬物が入っていたこと。それが原因で万姫様が感情を抑えられなくなっていたこと。そして、調査に関わった人物と犯人しか知りえない筈の薬物の効果を皇后陛下が口走ったこと。それが決め手となって、皇帝陛下が皇后陛下に北の離れでの軟禁生活を命じられたこと等々。殿下は噛み砕いて教えて下さった。
「今、皇后の筆頭女官も別の部屋で隔離させている。皇后の次に彼女がこの件に関わっている可能が高いからな。早速、取り調べをしている所だ」
「と言うことは、全てが明らかになるまで時間が掛かりそうですね」
わたくしの言葉に「あぁ」と殿下が頷く。
雨乞いの舞は皇后陛下の筆頭女官が合同稽古の指揮を任されていた。
合同稽古は中止になるでしょうね。それに、皇后陛下が北の離れに軟禁されただけでなく、それらの調査に加えて襲撃事件の調査もある。王宮全体が忙しさと混乱に包まれている現状では、雨乞いの舞の開催自体が難しいでしょう。
「では、雨乞いの舞は中止されますよね」
「いや、それはまだ分からない。家臣たちの中でも意見が割れているのだ」
中止はほぼ決定事項だと思って尋ねたわたくしに、煌月殿下は首を横に振った。
「そうなのですか?」
「あぁ。まだ侵入者が潜んでいる可能性を考慮すれば、それどころではないと言う意見と、伝統的な儀式を簡単に中止する訳にはいかないと言う意見で分かれている。皇帝陛下も決めかねているようだ。今のところ延期で意見が一致しているが、それぞれの問題がいつ片付くか分からない状況だからな。調査の進捗によっては中止も検討されるだろう」
不安だらけだけど、舞が好きなわたくしは中止ではなく、延期かもしれないことが少し嬉しかった。
「それとだ……」
付け足すように前置きして、煌月殿下がわたくしの様子を伺う。
何か言いにくいことがあるのかしら? と思いながら、煌月殿下の言葉を待つ。
「万姫の処遇について、そなたに聞いて貰いたいのだが。……良いだろうか?」
眉根を寄せるその姿に、わたくしを気遣ってくださっていることが分かる。だから、わたくしは気持ちを強く持って頷いた。
「はい。構いません」
「……実は会議が終わった後、万姫から聞いた話を元に襲撃事件に皇后陛下が関わっている件を父上に話したのだ」
「皇帝陛下に……」
呟くわたくしに煌月殿下は話を続ける。
「この件は襲撃事件とも関連している上に、皇后や叔父上が絡んでいる。つまり、皇族と夏家が複雑に絡んだ件だ。迂闊に家臣たちの前で話す訳にもいかず、父上に内密に相談したのだ」
そこまで言って殿下は視線を伏せた。
「父上も頭を抱えておられたよ。そうでなくても万姫の件と後宮の襲撃事件は、冠帝国の皇后と皇弟が容疑をかけられている。その二つが繋がっているかもしれないのだ。しかも、叔父上は未だ皇帝の座を諦めていない状態だ」
わたくしは思わず唾を飲み込む。忘れかけていたけれど、事は想像以上に大きな出来事だったんだわ。
「私は最後まで皇后を追及するつもりだが、彼女は薬膳茶に薬物が混入されていた件の関与を認めないだろう。罪を誰かに擦り付けるかもしれない。だが、一つハッキリしているのは万姫もまた被害者であるということだ」
わたくしは「そうですわね」と相槌を打つ。
「そこでだ。万姫は既に北の離れで反省を終えている。だから私はこれ以上の責めを追及せず、彼女を許そうと考えている」
「っ!」
緊張で胸がドキッと音を立てる。
「そなたの気持ちを聞かせて欲しい。雪花は万姫を、まだ許せないか?」
煌月殿下の優しさは時に残酷だ。この決断はお妃候補を4人抱えているから、仕方のないことなのかもしれない。
万姫様とは今まで沢山ぶつかってきた。わたくしはずっと万姫様を警戒していたし、お互いにあまり良い感情は抱いていなかった筈だ。
だけど、彼女はあの合同稽古のあとから、少しずつ変わった。正確に言えば、薬物の効果から解放されて元の万姫様に戻られたというべきかもしれない。
わたくしと万姫様の関係性は間違いなく変わった。でも、それとこれは話が別だわ。
煌月殿下がお妃候補全員を大切に想ってくださっていることは分かっている。だけど、お慕いする煌月殿下に万姫様を優先したいと言われると、複雑な思いだった。
「……もし、……わたくしが“許せない”と言えば、煌月殿下は万姫様に沙汰を下されるのですか?」
わたくしの問いかけに、少し間をおいて「そうだな……」と考えを巡らせる煌月殿下。その様子に、少し意地悪な質問をしてしまったかもしれないと罪悪感に駆られる。
そうして顎に手を当てながら眉を歪ませて悩む殿下の姿を見ていると、わたくしは段々と煌月殿下が可哀想に思えてきて、答えを待つのをやめた。
「煌月殿下。殿下が仰るように、万姫様は既に北の離れで罰を受けておられます。それに、万姫様はご自分も身の危険があるというのに、襲撃計画があることを打ち明けてくだいました。わたくしも十分だと感じています。ですから、どうぞ殿下が思うようになさってください」
気持ちを伝えると、煌月殿下が確かめるようにわたくしを覗き込んでくる。
「本当に良いのか? そなたは危うく怪我を負うところだったんだ。もし遠慮しているのなら──」
「遠慮はしていません。それに、最近の万姫様とは良くさせてもらっていますから、心配いりません」
煌月殿下の言葉に被せるように、わたくしは言葉を重ねる。少し驚いた様子を見せた殿下だったけれど、直後にそっと微笑みを浮かべた。
「わかった。雪花がそう言ってくれるのなら、私の思う通りにさせてもらおう」
その言葉にわたくしは「はい」と頷いた。だけど、煌月殿下が万姫様を優先されたことに対しての複雑な思いが消えるわけではない。
「あの、煌月殿下……」
これはわたくしの我が儘。所謂、嫉妬心だ。だけど、このまま気持ちを抑え込んでいるのは胸が苦しかった。
「どうした?」
不思議そうな煌月殿下にむうっと、意地になってしまいそうになる。
「もう、大事な話は終わりましたか……?」
「あぁ」
「では、……今この時間はわたくしを、優先していただけますか? その、万姫様ではなくて……」
素直な気持ちを知ってほしくて、言葉にしていくと恥ずかしさが勝ってしまった。顔が熱くなって、俯いてしまう。すると、「ははっ」と笑う声がして益々恥ずかしさが込み上げた。
「すまない。だが、そなたにそうやって想われるのは悪くないな」
煌月殿下は立ち上がると、わたくしの前に来てわたくしのことも立たせた。そして、二人揃って長椅子の方へ移動すると、互いに見つめ合う。
煌月殿下から愛おしそうに見つめられて、耐えきれなくなったわたくしが思わず目をそらすと、そっと肩から抱き寄せられてそのまま抱き締められる。
「今日はこのまま時間が許す限り、こうしていよう」
「は、はい……」
何とか頷いたわたくしは、そっと煌月殿下の体に手を回して抱き締め返した。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!!
今回は約2ヶ月ぶりと、久しぶりの更新となりました。
このお話は現在、2話分のストックがあります。
ですが、もう少し考えたい箇所もあり、次回も更新までお時間を頂くと思います。
詳細は活動報告で書きましたが、順次更新していきますので、これからも応援していただけると嬉しいです。