9 初代皇貴妃の呪い
昔、冠帝国が建国されて間もない頃、人々の間で“まじない”が流行っていたという。
数々の戦を勝ち抜いた初代皇帝はこの地に冠帝国を作った時、それまで皇帝を傍で支えていた夏家の娘を妻に迎えた。
国が安定し、後宮を作る際に今の4大家門から娘を迎えた皇帝はその中の一人、北の地方を治めていた今の冬家の娘を大層気に入ったという。まだ人が少なかった後宮で、妃でありながら彼女は働き者でよく気が利き、その上容姿端麗だったそうだ。皇帝はそんな冬家の娘を皇后、そして夏家の娘を皇貴妃として迎えた。
夏家の娘は冠帝国の建国前の戦続きだった時代から皇帝に尽くしてきた身。苦楽を共にした自分が当然皇后に選ばれると考えていた。それがどうだろうか。後から現れた娘に皇后の座を奪われたのだ。
皇貴妃は嘆いた。部屋に閉じ籠もり、来る日も来る日も泣き明かした。そうして皇帝の寵愛を求めてまじないを頼るような日々が続いた数年後、彼女は漸く部屋から出てきた。
その頃から後宮では様々な問題が起こるようになったという。
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「では初代皇帝陛下の皇貴妃様が掛けたおまじないが呪いということですか?」
わたくしが問い掛けると煌月殿下が「そう言うことになるだろうな」と頷いた。
「ですが、おまじないも呪いも本当にあるとは思えません」
「ああ。だが、まじないは実際に当時流行っていたという記録が残されているし、今でもまじないは残っている。例えば、暑さが増してきた頃に後宮で行う雨乞いの舞もその一つだ」
雨乞いの舞。
后妃、または皇太子のお妃候補が間伐や日照りが起こらないよう、神さまに舞を捧げる行事だ。
「言われてみれば、雨乞いの舞は神さまにお祈りしますものね」
「ああ。初代皇帝の時代は戦乱の世だったからな。終わりの見えない戦いや理不尽に降りかかる天災から逃れるため、神頼みしたくなるほど当時の人々は参っていたのだろう」
「わたくし、考えもしませんでした。昔から冬家と夏家の仲が良くないことは家族や使用人の会話で何となく知っていましたけれど、その理由が後宮での出来事だったなんて……。では、やはり呪いは本当にあるのですね……」
もし呪いがあるのだとしたら、やはり冬家の者が初代皇帝の時代以降、皇后に選ばれないのは────
そこまで考えると背筋がゾワッと震えた。
「あくまで噂で皇貴妃の呪いと言われているが、実際に呪われているという訳では無い。確かに彼女はまじないをしていたようだが、後宮で噂が回り、時が経つうちに話に尾ひれがついたのだろう。いつの間にか“初代皇貴妃の呪い”と呼ばれるようになっただけだ。だから落ち着いて聞いて欲しい」
その言葉を聞いて、漸く肩の力が抜ける。
「殿下、それを早く仰ってください」
「怖がらせてしまったか?」
「わたくしもそうですが……」
ちらりと控えている鈴莉たちを見る。言葉にはしていないが、表情を見れば皆がホッとしているのがよく分かった。
「すまない。だが呪いではないにしても実際に冬家の人間は初代皇帝の時代以降、皇后に選ばれることはなかった。……いや、あるにはあったのだが、皇后に就任して間もなく不審死を迎えた事例がいくつかある」
「えっ!?」
ふ、不審死!?
「自殺に見せかけた毒殺と絞殺が主な手口だったそうだ。いずれも犯人は夏家の女官や夏家に縁のある者の仕業だった」
「……」
「つまり、夏家は先祖の恨みを未だに根に持っているということだ。後宮でのそういった面倒事を避けるため、以降先代の皇帝たちは冬家の者を皇后に選ぶことを控えるようになったらしい」
わたくしは机の上で揃えていた手をキュッと握る。
夏家は今も尚、初代皇帝の時代に蔑ろにされた皇貴妃のことを想い、冬家を恨んでいるということになる。
「万姫様とのお茶会の話をしたとき、煌月殿下がわたくしと万姫様のことで杞憂されていたのは、このことだったのですね」
「そうだ。万姫がそなたを茶会に誘ったと聞いて、少し警戒したが、歩み寄ろうとしてくれているのだと考えていた。だが、違ったようだ……」
煌月殿下が目を伏せる。様子からして心を痛めていらっしゃることがよく分かった。
「雪花、彼女を責めないでやってくれ。あれは夏家の実家で初代の話を散々聞かされているが故に、冬家を敵視するよう思考を刷り込まれているだけなのだ」
そのお言葉にハッとさせられる。
冠帝国が建国される前から皇帝を側でお支えしていた夏家のご先祖様。当時は今よりも荒れた戦乱の世。想像も付かないような苦労をされたに違いない。それなのに、冬家のご先祖様に皇帝の寵愛を掠め取られたとあっては、裏切られた悲しみと憎しみが冬家に向けられてもおかしくないのかもしれない。
「つまり、万姫様も歴代の夏家のお妃様たちも、初代皇貴妃様の呪いの被害者なのですね……」
「そうだ。全ては初代皇帝である私の先祖が招いたこと。私はそなたとこれから先を歩んでいくためにも、この呪いを終わりにしたい」
煌月殿下がわたくしの手に自身の手を重ねた。そのことに驚いて、いつの間にか俯いていた顔を上げる。
「雪花、そなたに無理をさせることは百も承知している。危険な目にも遭うことだろう。それでも私がそなたを守ると約束する。だから私の皇后になること真剣に考えて欲しい」
いつの間にか、夕暮れの光が部屋に差し込んでいて、煌月殿下のお顔を薄っすらと照らしていた。