83 憧れ
万姫様たちと舞の稽古を行った翌日。わたくしは夏の宴で市場が開かれている明来庭園を再び訪れていた。一昨日、購入を見送っていた耳飾りをもう一度検討しようと宮から出てきたのだ。
今日は香麗様も梨紅様もいない、一人でのお買い物。勿論、天佑様と梓豪様を護衛にし、鈴莉と明霞を連れている。
出店が並んでいる通りを歩いて、目的の店に辿り着いたわたくしは並べられた装飾品を眺め、その中の耳飾りに狙いを絞って吟味する。
大きな飾りだと耳が疲れてしまうから、やはり飾りは小ぶりの方がいいかしら?
悩んでいると、「雪花様! 雪花様!」と少し急かすような鈴莉の声がしていることに気が付く。
「煌月殿下がいらっしゃっていますよ」
その言葉にハッとする。いつの間にか殿下がわたくしの隣に立っていた。
「随分真剣だったな。何を見ていたんだ?」
煌月殿下が近くにいらっしゃることにも気付かない程に集中していたことを指摘されて、恥ずかしさから目が泳ぐ。
「あ……えと、耳飾りを見ていました」
「そうか」
頷きながら柔らかな笑みを浮かべた殿下は、わたくしが眺めていた耳飾りが並んでいる箇所を見つめる。
「そう言えば、そなたが耳飾りをしているところは見たことがないな」
「今まであまり興味が無かったものですから……」
香麗様や梨紅様に、耳飾りを持っていないと打ち明けたときのことを思い出す。そして、4大家門の娘が耳飾りを持っていないなんて、殿下も驚かれるかしら? と内心不安になった。
『飾り気がそないにないとは思てましたけど』
あの時、梨紅様はそう仰っていた。
飾り気がないより、ある方が良いに決まっている。きっと煌月殿下も着飾ったお妃候補を好まれるに違いない。
そう……例えば、梨紅様のような上品な装飾品や、万姫様のように派手な刺繍が施された豪華で艶やかな衣によく映える装飾品を身につけたりとか。香麗様は生まれ持った愛らしい髪がある。それだけでも十分に愛らしいけれど、そこに髪飾りや宝飾品が足されることで彼女はさらに映えて見えていた。
比べて今までのわたくしは、昔お父様に頂いた幾つかの髪飾りと殿下から頂いた髪飾りを身に付ける程度だった。
もっと持っておけばよかったわ。そうしたら、煌月殿下にもっと着飾ったわたくしを見てもらえたかもしれないのに……
自然と落ちた視界に突然、小さな青の宝石が付いた耳飾りが現れた。顔を上げると煌月殿下が「付けてみてくれ」と、わたくしに手渡した。
それを受け取って、キラリと手の中で輝く青の宝石を見つめる。わたくしが普段着用している衣ともよく合いそうな色合いだ。
鈴莉の方を見ると、彼女はわたくしから耳飾りを受け取り、わたくしの耳に付けてくれる。「できました」という鈴莉の声を聞いて、わたくしは店先に置いてあった鏡を見た。そこに映る自分に「わぁっ」と感嘆の声が漏れる。
耳飾りを付けただけなのに、何時もとは違うわたくしがそこにいた。
「良く似合っている」
少し屈んでわたくしに顔を近づけると、鏡を覗き込んだ煌月殿下。隣を見ると、近い距離にある殿下のお顔がわたくしへ振り向いた。
「あ、ありがとうございます。煌月殿下」
“似合っている”と言われて嬉しいやら恥ずかしいやら。わたくしの中に複数の浮足立つような感情が湧き上がって、頬が熱を持つ。
「店主、この耳飾りをいただこう」
煌月殿下が告げると、憂龍様が支払いに動く。
「煌月殿下、わたくしが……」
耳飾りが欲しくて眺めていたのはわたくしだからと、支払いを止めようとすると「よいのだ。これぐらい贈らせてくれ」と逆に止められる。
そのご好意を受け取って「ありがとうございます」と伝えると、優しく微笑みかけられた。それだけで胸に暖かなものが広がる。
その直ぐ側では、煌月殿下や憂龍様に笑顔を向けられた女性店主が頬を赤く染めながら「お、お買い上げ! ありがとうございますっ!!」とあたふたしていた。
「他に欲しい物はあるか?」
「いえ。今のところ特には……」
これ以上、殿下から頂くわけにいかないと考えて首を横に振る。
「そうか。ではせっかくここで会ったのだ。一緒に店を見て回るのはどうだろう?」
そんな煌月殿下からの申し出に胸が高鳴る。
……殿下と一緒に出店を見て回る。
冬家の屋敷にいた頃、出掛けた先ですれ違う恋人たちが楽しそうに並んで歩いている姿を何度か見たことがあった。
わたくしにはできない経験だと思っていた。
けれど……
まさか後宮でその機会が巡ってくるなんて思わなかったせいか頬が緩む。
「よろしいのですか?」
「勿論だ」
言葉と共に差し出された手を躊躇いがちに取る。
「では、よろしくお願いします」
「決まりだな」
にこりと笑う煌月殿下はわたくしの手を繋ぎ絡める。「えっ!」と驚くわたくしに「逸れては困るだろう」と歩き出す殿下。
後宮で働く宦官や女官、宮女たちも出店の立ち並ぶ通りを行き来している為、人通りはそれなりに多い。それでも皇太子とお妃候補と言う立場上、お付きの者を連れて歩くわたくしたちが逸れるなんてことは、ありえない話だ。それでもこうして“逸れない為に”と、わたくしと手を繋ぐ煌月殿下。
殿下も……こういったことに憧れていらっしゃったのかしら? だとしたら嬉しいですわ。わたくしも憧れていましたもの。
キュッと煌月殿下の手を握り返して、わたくしは彼の後をついて行く。わたくしが手を握り返したことに気付いた殿下と目が合った。
「煌月殿下とご一緒できて、とても嬉しいです」
思ったことを伝えると急に恥ずかしくなって、再び頬が熱を持った。「私もだ」と答えた煌月殿下に胸が一杯になるのを感じながら、わたくしたちは時間が許す限り二人で出店を見て回った。