81 舞の稽古のお誘い
「それでわたくしを冬宮まで舞の稽古に呼び出しましたの?」
わたくしを見て目を丸くする万姫様に微笑んで「えぇ」と頷く。
あの後、直ぐに宮女を春宮と夏宮へ遣わせて言伝を頼んだ。明霞は春宮へ向かわせて舞の稽古に万姫様をお誘いする件を報告してもらい、若汐には夏宮へ舞の稽古の誘いを伝えてもらった。
万姫様には、香麗様との約束より少し早めに冬宮へ来てもらい、たった今、わたくしが万姫様をお誘いしようと思った経緯を彼女にお伝えしたばかりだ。
「夏の宴の準備に追われていた万姫様もご一緒に舞のお稽古をすれば、遅れを取り戻せると考えました。それに、お妃候補が3人集まれば警備の宦官も3倍になりますから、丁度良いと思いませんか?」
「……仮にも雪花様に手を上げようとしたわたくしを誘うだなんて、どうかしていると思いますわ」
ジトッとした眼差しでキッパリ言い切られて思わず苦笑いを浮かべる。
昨日、鈴莉たちが万姫様をお誘いするのを反対したのも同じ理由だった。だけど明霞が賛成してくれたから、わたくしは万姫様を誘うことにしたのだ。
「まぁそうかもしれませんが、わたくし昨日言いましたでしょう? “どこまでお力になれるかはわかりませんが、万姫様をお助けします”と」
これが直接万姫様を助けることに繋がるかはわからない。けれど雨乞いの舞を上手く踊ることが出きれば、踊れなかったときのことを考えると、彼女の評価が下がることはないとわたくしなりに考えた結果だった。
真っ直ぐ万姫様を見つめると、彼女がため息を溢す。
「……雪花様ってお人好しですわね」
「そうかもしれません」
「言っておきますけれど、わたくしたちが皇后陛下や夏家縁の者たちから狙われている件は、内密にしなくてはなりませんのよ? 香麗様に悟られないようにどうやってわたくしを舞の稽古に誘ったこと、説明されますの?」
ぐいっと詰め寄る万姫様。
「それは勿論、先程も言いましたが夏の宴の準備に追われていた万姫様もご一緒に稽古をすれば、遅れを取り戻せると考えたからとお伝えするまでです」
「…………。それも……、そうですわね」
言い返す言葉が浮かばなかったらしく、万姫様の勢いが声量と共に萎んだ。どうやら納得してもらえたようだ。
「ですが、わたくしだって何もしていなかった訳ではありませんのよ!? この前の合同稽古に比べれば上達しましたわ!」
萎んでしまった勢いを取り戻すように万姫様が声を張る。それはいつもの強気な万姫様のようにも思えたけれど、強がりのようにも聞こえた。恐らく、そこにはご自身の不安な気持ちを吹き飛ばす意図も含まれているのでしょう。
だから、わたくしも「まぁ、本当ですか?」と普段通りにこやかに返した。
「北の離れでの生活は退屈でしたもの。舞のお稽古ぐらいしかすることがありませんでしたわ」
呟かれた言葉に静芳が付け足す。
「雪花様、それだけではありませんよ。万姫様は夏宮に戻られてからも真剣に取り組んでいらっしゃいました」
「ちょっ! 静芳やめて頂戴!!」
慌てた様子の万姫様がポッと赤くなった頬で静芳に抗議する。
ここ数日の万姫様はとっても素直な気がする。物言いはまだ少し上からかもしれない。けれど、以前は今のように表情豊かと言うよりも、演技に合わせて作ったお顔をコロコロ変えられていた印象があった。だから、わたくしは今の万姫様を好意的に思い始めている。
お妃候補である以上、争う立場には代わりないけれど、今の万姫様となら仲良くなれるかもしれませんわ。
ふと、そんなことを思った。
*****
それから暫くして、香麗様が冬宮へ入らした。
「香麗様、万姫様の参加を快く受け入れて下さりありがとうございます」
「勿論です。それに、万姫様もいらっしゃる方が本番に近い環境で合わせられると思ったのです」
そう答えられた香麗様は少し緊張していた。けれど稽古を始めていくに連れ、その緊張もほどけていった様だった。
「万姫様はこの前の合同稽古に比べると随分良くなられましたわね」
「そういう香麗様こそ、うろ覚えの箇所がなくなっていて、動きも合わせられるようになりましたのね」
舞の稽古終わり。もはや恒例となったお茶会でわたくしたちは休憩する。お互いを称え合う香麗様と万姫様。もう合同稽古の時のように、言い争う心配は無さそうで一安心する。
「合わせるパートも何度か綺麗に揃えることが出来ましたし、順調ですね。後はここに梨紅様がいらっしゃればもっと良いのですが……」
そこまで言って、わたくしは視線を下げる。
梨紅様は最初にお誘いしたとき、暑いのが得意ではないことと、舞に関しては個人で十分稽古を積んでいることを理由にお断りされた。だから、今回はあえて声をかけなかったのだ。
「でもそれだと、合同稽古と変わりありませんわよね」
「ですが、合同稽古も本番も良い舞が披露できれば良いと思いませんか?」
万姫様の言葉にわたくしがそう返すと、香麗様が苦笑いで同調される。
「そうですね。良い舞が披露出来るかはさておき、次回の合同稽古も皇后陛下の筆頭女官が指導されるでしょうから。わたくしとしては、一度会わせておくことで、注意される回数を減らしておきたかったです」
香麗様はよほど前回の合同稽古で立て続けに注意されたことが堪えていご様子だった。すると、「お二人とも甘いですわね」と呆れた万姫様の声がする。その声にわたくしたちは揃って万姫様に視線を向けた。
「いいですの? わたくしたちはお妃候補ですのよ? 煌月殿下の正妃の座を争っている仲ですのに、その様なお考えではお妃候補として殿下の目を引くことは出来ませんわよ? この調子だと梨紅様が煌月殿下の正妃候補まっしぐらですわ」
言われて「あ……」と気付かされる。
雨乞いの舞は、個々に目立つパートも用意されているけれど、それはほんの一部。殆どがお妃候補同士の動きを合わせなければいけないパートだ。だから4人の息を合わせる必要がある。だけど……
万姫様が言いたいのは心の持ち様についてでしょうね、と推測できた。このままわたくしと香麗様、万姫様が足並みを揃える程度で満足するようなら、正妃の座は抜きん出た梨紅様の物になる。
……それは困りますわ。正妃を目指すわたくしとっては、喜ばしくない結果になってしまう。
「万姫様? 例え話がいつもの万姫様らしくありませんね? “梨紅様に”とおっしゃいましたけれど、そこは“万姫様が”ではないのですか?」
香麗様が不思議そうに小首を傾げて、万姫様の顔を覗く。
「っ! それは……!」
一瞬、万姫様の表情が陰った。だけど直ぐにいつもの強気の表情に戻る。
「わたくしは後宮に残れるかすら危うい状況ですのよ? 最早、正妃どころか妃に成れるかすら怪しいですわ!」
万姫様は開き直られたのか、それとも強がっていらっしゃるのか、ツンっとした態度を身に纏う。だけど、彼女の言葉を聞いて香麗様がサァッと顔を青くした。
「ご、ごめんなさい!! わたくし、無神経でしたわ!」
「構いませんわ。今さらどう足掻いたって無意味ですもの」
「万姫様……」
彼女の言葉も態度も、落ち込んでいるようには見えない。だけど、これはやはり強がりだわ。だって、先程から彼女はわたくしとも香麗様とも目を合わせようとしていない。きっと、目が合えば視線でバレてしまうと悟っているのだ。
「万姫様、足掻くことは悪くないことだと思います」
わたくしが呟くと彼女の目が一瞬大きく見開かれた。
「なっ! そんなの、みっともないだけですわ!」
「でしたら、わたくしはみっともないですわね。4大家門の中では一番権力の小さい北部の冬家出身。そのわたくしが、初代皇后陛下以降は皇后を輩出していない冬家ですのに、煌月殿下の皇后になろうと考えているのですから」
真っ直ぐ万姫様を見つめて告げると、彼女が表情を歪めた。
「っ……」
足掻くことを「みっともない」と言っていた筈の万姫様の表情は、どこか悔しそうに見える。
「まだ諦めるには早いと思います。だって、万姫様は煌月殿下のお妃候補でありたいと思っている。……違いますか?」
わたくしは万姫様の隠された思いを知るべく、彼女にそう問い掛けた。




