80 冬宮の宦官
「雪花様、天佑です。新しい宦官を連れてまいりました」
朝の身支度を終えた頃、部屋の外からそんな声が聞こえてくる。「どうぞ」と声をかけると、天佑様に続いて見慣れない宦官が部屋に入って来た。
「昨夜、煌月殿下からご説明があった通り、本日からこちらの者が雪花様の護衛に加わります」
そうして天佑様に紹介された宦官は、青紫色の衣ではなく、薄浅葱色の衣を纏っていた。
「その衣は……!」
思わず目を見開いて呟く。すると、新たに冬宮へやって来た宦官はにこりと微笑んで、一歩前に出ると恭しく頭を下げながら挨拶する。
「お初にお目にかかります。梓豪と申します。煌月殿下の命により、本日から雪花様付きの宦官となりました。どうぞよろしくお願い致します」
「こちらこそ、よろしくお願いします。……まさか、正真正銘わたくし付きの宦官として来てくださるとは思っていなくて、驚いてしまいました」
煌月殿下が天佑様の時と同じで“護衛として宦官を配置する”と仰っていたから、てっきり殿下付きの宦官をお貸し下さるのだと思っていた。
率直な感想を述べると、梓豪様はペコリとお辞儀する。
「雪花様付きの宦官として、一人目に選ばれたこと光栄に思います」
その言葉を聞いて天佑様がピクッと反応する。
「雪花様、この天佑、直属は煌月殿下付きではありますが、真の意味で雪花様付きの宦官一人目は私だと思っています!」
珍しく天佑様から圧のようなモノを感じて、わたくしは目を丸くする。
「え、えぇ。……そうですわね。天佑様には感謝しています。いつもありがとうございます」
戸惑いながら答えると、梓豪様を見てニヤリと天佑様が笑う。それを冷ややかな視線で受け取る梓豪様。
このお二人、……何かあるのかしら??
そんな疑問を抱いていると、不思議な顔をしていたわたくしに梓豪様が口を開いた。
「私と天佑は同じ時期に宦官になりましてね。今まで切磋琢磨して競ってきました。天佑が先に煌月殿下付きの宦官になった時は悔しかったものです。ですから、今こうして雪花様にお仕えすることが出来て、本当に嬉しく思います」
それを聞いて少し納得する。このお二人はお互いを好敵手だと思っているようね。ということは、お互いの実力をよく分かっていることになる。
「それは頼り甲斐がありますわね。天佑様はとても優秀なお方なので、梓豪様もさぞ優秀なのでしょう」
ニコッと微笑むと、お二人の言い合いが止まる。
どちらも優秀だと認めることで丸く収まったようだ。
「ありがとうございます。これから私の実力を雪花様に間近で感じてもらえるよう、精一杯務めさせていただきます」
梓豪様がそう言葉を結んで下がると天佑様の隣に並ぶ。天佑様にニッと挑発的に笑う梓豪様。それに対して、天佑様もニコリと微笑み返す。
何故でしょう。……天佑様の笑顔が少し怖いですわ……
丸く収まったと思っていたお二人の争いは、どうやらこれからが本番で今日始まったばかりのようだ。
「所で雪花様、本日はどの様に過ごされますか?」
天佑様からの問い掛けに「そうですわね……」と口を開く。
「夏の宴が終わるまで宮を出るわけには行きませんし、これから毎日、雨乞いの舞の練習に集中しようと思います。ちょうど、今日は香麗様と稽古をご一緒するお約束もしていますし」
告げると、天佑様と梓豪様が顔を見合わせる。
「その件ですが、宮からの外出に関して制限はございません。寧ろ、どうかいつも通りお過ごし下さい」
「えっ? ですが……」
わたくしは困って傍に控えていた鈴莉を見た。鈴莉もわたくしを見て、不安そうに眉根を寄せている。
「天佑様、お言葉ですが雪花様の安全を考えると、冬宮の外へ出ないほうが良いのではありませんか?」
鈴莉が尋ねると、すかさず「いいえ」と返事が返ってくる。
「考えてみて下さい。夏の宴で商人たちが店を出している賑やかな時期に、急に雪花様や万姫様が宮から出てこなくなったら、雪花様を狙う輩や皇后陛下に疑いを持たせてしまいます」
その回答にわたくしたちはハッとする。
言われてみればそうだ。それでもしも襲撃計画が漏れたと悟られれば、万姫様の身がいっそう危ぶまれることになる。
「では、あくまでもいつも通り過ごす方が良いのですね?」
「はい。何かあった時は私と梓豪が雪花様をお守りします。その為に私達はここに居るのですから」
安心させるように天祐様が笑顔を見せた。梓豪様も「お任せを」と呟いて胸を張っている。そんなお二人の姿を見たわたくしは、安心して任せられると感じた。
「分かりました。では、宮に引き篭もることはせず、いつも通り過ごすことにしますわ」
とは言え、外出すると危険が増すことになる。幾ら、天祐様と梓豪様が守って下さるとはいえ、不安が全く無くなる訳ではない。
外出するのであれば時間は短めが良いかしら?
そう言えば、昨日は香麗様たちと出店を巡った際に、装飾品を購入するかで悩みましたのよね。出店があるうちに、もう一度見に行きたいわ。それと、香麗様にお勧めして頂いたお団子も売られていたので購入したけれど、最終日にまた買い足しておきたい所ですし……
頭の中で考えを広げて、ふと思いつく。
「そうだわ」
わたくしが呟くと、天佑様たちが不思議そうなお顔になる。
「若汐」と名を呼ぶと、部屋の隅に控えていた若汐がわたくしの前に出る。
「今日の舞のお稽古ですが────」
そうして思い付いたことを口にすると、若汐は勿論、その場に居た者が全員驚いて、室内がざわつく。
「本当によろしいのですか?」
「えぇ。それで、若汐はどう思う?」
「そうですね……。雪花様が良いのであれば、問題ないと思います」
若汐が答えた直後、鈴莉が「私は良いとは思えません」と話に入ってくる。「私も鈴莉様の意見に賛成です」と告げた美玲に蘭蘭と麗麗が「私もです」と声を揃えた。
「そう。……雹華、明明、あなた達はどう?」
わたくしの問いかけに「私は雪花様がされたいようになされば良いと思います」と答えた雹華。明明も「私も雹華と同じ考えです」と頷く。
「……反対が多数ですわね」
困ったわ。と苦笑いを浮かべた時、わたくしの視界に明霞が映り込む。
「明霞はどう思う?」
「えっ」と驚いた様子の明霞。まさか自分も尋ねられると思っていなかったようだ。だけど、鈴莉の次にわたくしをよく見てくれている彼女の言葉なら、その意見に従ってもいいと思えた。
「私は────」
明霞の出した答えに「決まりですわね」と呟いて、わたくしはニコリと笑った。