78 万姫と煌月
──遡ること数時間前。冬宮から戻った後、大人しく夏宮に籠もっていた万姫は夕食を終えたばかりだった。そこへ煌月殿下が夏宮に遣わせて下さった宦官とともにやって来た。殿下はいつも連れていらっしゃる憂龍様の他に、冬宮に遣わせている宦官を連れていた。
「万姫、皇后陛下の計画について、大体のことはこの二人から聞いたのだが、改めてそなたの口から聞かせてもらえるか?」
「えぇ。勿論ですわ。煌月殿下」
答えて宮女に目配せをすると、小さく肩をはねさせる宮女たち。たが、その中にいた可晴は狼狽えることなく、すぐに動き出す。それを見て他の宮女や女官たちも動き出した。
「……」
夏家から連れてきた静芳たち女官や可晴は至って普通なのだが、その他の宮女の中には、わたくしの言動や行動にいちいちビクつく者が多かった。特に後宮に来てからわたくしに仕えるようになった宮女はその傾向にある。
まぁ、それも仕方ありませんわね。何しろ、わたくしが彼女たちを怖がらせるような態度をしていたんですもの。
そんなことを考えていると、可晴によってわたくしの前にお茶が用意される。煌月殿下の分は他の宮女が用意した。
可晴がわたくしにお茶を配膳すると、必然的にもう一人の宮女が殿下に配膳することになる。殿下の前で宮女がガタガタと手を震わせることがないように、可晴なりの配慮なのだろう。
この子、周りがよく見えていますわ。本当、憎たらしいぐらいに気が利きますわね。流石は煌月殿下が遣わせて下さった宮女、と言ったところかしら。
そう思いながら、人払いをして宮女を下がらせた。室内はわたくしと殿下、それから宦官と女官が数名残るのみ。そんな中、わたくしは冬宮で話した内容を煌月殿下にお話しする。その間、殿下は黙ってわたくしの話しに耳を傾けていた。
「──以上が、冬宮でお話した内容ですわ」
そう締め括ると、わたくしは殿下からお茶に視線を移して、少し冷めてしまったお茶を飲む。
「万姫、話してくれてありがとう」
「っ!」
まさか、殿下にお礼を言われるなどと思っていなくて。どう返事をして良いか分からず、少し焦る。
「こっ、これぐらいのこと、当然ですわ!」
そう口走ってから後悔する。
どうしてわたくしは、こうも可愛げの無い返し方をしてしまうのかしら……
騒ぎを起こしたわたくしが皇后になれる望みが薄いことは分かっている。それでも、夏家に帰って後ろ指をさされながら肩身の狭い思いで過ごすより、後宮でひっそりと過ごす方がマシだと思えた。だから今更お礼を言われたり、優しくされたりしても嬉しくない。…………その筈なのに。
心がざわつくのは何故ですの?
1人もやもやしていると「そんなことはない」と殿下の声がする。
「秘密を打ち明けることは、とても勇気がいることだ。何しろそなたの身の安全に関わるのだからな」
「も、問題ありません。どうせわたくしはもう皇后陛下から見捨てられておりますもの。その時はその時ですわ!」
そう答えて澄ました表情をしてみせると、目の前の殿下の表情が歪む。
「万姫、お妃候補としてのそなたを諦めないでくれ。明日から東宮の全ての宮に宦官を1人増やすことにしたのだ。夏の宴の間は後宮に護衛として宦官を更に増員して、全体の警備を強化する。私はそなたのことも守りたいのだ」
「っ……!」
どうして、殿下は心配そうなお顔をされますの? 殿下は本気でわたくしを守りたいと仰るの……?
「わたくしは、……煌月殿下が大切にされている雪花様に手をあげようとしましたわ。それに……っ、皇后陛下の企てに関わっていました。そんなわたくしをどうして守りたいなどと思うのですか!?」
「それは、そなたも私の大切なお妃候補だからだ」
わたくしが殿下にとって大切なお妃候補?
まさか、その様なこと……
「煌月殿下は優しすぎますわ! こんなわたくしをお許しになって、大切だと仰るなんて! どうかしていますわ!!」
告げると、はははっと笑った殿下が「そうかも知れないな」と呟く。
「私は確かに雪花が大切だ。それこそ、お妃候補の中で一番と言っても過言ではない程にな」
そうハッキリと言われると思っていなかったわたくしは小さく驚く。それと同時に、何故か胸がキュッと締め付けられた。
「でもだからと言って、他のお妃候補を大切に思っていない訳では無い。何しろそなたたちはみな、初陣での残酷な噂がある私の元に嫁ぐ決意をしてくれた娘だ。だから、私はそなたがこの後宮に来たあの日から、そなたを守ると心に決めている」
「……そのようなことを言われましても、困りますわ。わたくしは、皇太子殿下が誰であろうと後宮に上がっていましたもの。だって、わたくしは……皇后に成りたくてここへ来たのですから」
まぁ、それも今となっては叶わない望みですけれど。
実家という後ろ盾すら失ったわたくしは、今更失うものは無いとばかりに、後宮へ来た理由を正直に話した。煌月殿下は少し驚いた表情をされたけれど、やがて可笑しそうに笑う。
「そうか。……まぁ、それでも良い。お妃候補として過ごすうちにそなたの気持ちも軽くなるだろう。そして、その過程で少しでも私へ気持ちが向いてくれれば良いのだ」
「な……っ!」
てっきり気分を悪くされると思ったのに、前向きな反応をされてしまい、返す言葉が見つからない。
言葉に詰まるわたくしを見て、愉しそうに微笑む煌月殿下。それから少し経った頃、殿下がわたくしをまじまじと見る。
今度は何ですの!? と頭の中をぐるぐるさせていると殿下が「うむ」と頷く。
「その様子だと、ここ暫く万姫が癇癪を起こすことは無かったようだな」
「え?」
「どうだ? 最近は気分がすっかり落ち着いているのではないか?」
言われて思い返す。確かに、わたくしも北の離れを出る頃はそう思っていた。最近は意識していなかった為、気付かなかったが、以前のようにカッとなるようなことはない。寧ろ気持ちが落ち着いていて気分が良い。
だけど、その事をわたくしは煌月殿下に話していない。
「何故、分かりますの……?」
「そなたの優秀な女官が教えてくれた」
告げて、殿下がちらりと静芳を見ると、サッとお辞儀をした彼女が口を開く。
「私は憂龍様たちからの聞き取りに答えただけです。彼らがいなければ、気付くことすら出来ませんでした」
「まぁ、それもあるな」
そう話す二人は、わたくしが知らない何かを知っているようだった。