77 心配事
煌月殿下が訪ねてこられた時点で、もてなしの準備が始まっていた為、直ぐに宮女がお茶を運んできた。
「早速だが、万姫の話を受けてお妃候補たちに付ける宦官を一人増やすことにした」
「宦官を……と言うことは、天祐様の時と同じで護衛を目的としたものでしょうか?」
わたくしの問いかけに煌月殿下が「そうだ」と頷く。
「元々、始まりの儀が終わった頃に、お妃候補達に付ける宦官を増やそうと考えていたのだ。今まで人選に時間を掛けていたのだが、それを早めることにした」
「では、宦官の増員は元々計画してくださっていたことなのですね」
呟くと殿下のお顔が少しだけ和らぐ。
「そなた達は私の大切なお妃候補だからな。本当は後宮入り直後から数人付けられていればよかったのだが、始まりの儀を終えるまでは叶わなかったのだ」
「そうなのですか」
お妃候補が全員揃うことは、正式にお妃候補として認められる他にも大きな意味があるようですわね。
「明日、東宮の全ての宮に宦官を一斉配置する。今晩も心配だが、夜遅くから急に人を増やすと怪しまれかねない。だから、今晩はここにいる者たちで警戒を頼む」
ちらりと煌月殿下が天佑様や鈴莉を見た。「お任せ下さい」と天佑様がお辞儀する。それを確認して殿下が再びわたくしを見つめた。その瞳は真剣そのものだった。
「雪花、宮付きの宦官を増やすとはいえ、一人増えるだけだ。暫くの間そなたには不安な思いをさせると思う」
「はい」
「だが、夏の宴の間は宮付きの宦官の他にも東宮全体の警備として臨時で宦官を増やす予定だ。期限付きの増員であれば、皇后側に怪しまれることも無いだろう。だから、過剰に不安がる必要はない。安心して過ごして欲しい」
わたくしを安心させるように穏やかな眼差しが向けられる。煌月殿下がわたくしの身の安全確保や不安を取り除くため、沢山考えてくださったことがよく分かった。
「ありがとうございます。……ですが、煌月殿下は平気なのですか? その……わたくしや万姫様だけでなく、今回は煌月殿下も狙われていますよね? わたくしたちの方に護衛を回されて大丈夫なのでしょうか?」
キュッと膝の上で指先を握り込む。わたくしたちの心配ばかりして、煌月殿下はご自分の護衛を疎かにされてはいないだろうか? と心配になった。
「雪花様、その点に関してはご心配には及びません」
その声に、いつの間にか下がっていた視線を上げて憂龍様を見る。
「雪花様もご存知の通り、煌月殿下は初陣を含め、戦場では剣を振るって活躍されているお方。それに、私や他の宦官も付いております」
「そう言うことだ」
憂龍様の言葉に頷いた煌月殿下の唇が弧を描く。
お二人の言葉を聞いて、煌月殿下の初陣だった閻淵での話を聞いたときのことを思い出す。
そうだわ。煌月殿下は”冷酷無慈悲“だなんて噂されるほどの御方。その噂が“敵国で逆らった女や子どもを惨殺した”という誤解によるものだとしても、何度も戦で勝利を上げて無事に戻ってこられている功績が彼にはある。それ故に、あの噂が今でも囁かれているのでしょう。
戦で生きて戻ってくる。それは“皇太子”という肩書きを持っていたとしても、かなりの剣の腕がないと成し得ないことだろう。それだけ戦とは、いつ何が起こるかわからない場所なのだ。
「わたくし、いらぬ心配をしてしまったようですね」
ホッとして呟くと、煌月殿下が「そんなことはない」と声を上げる。
「私は雪花が私の身を案じてくれたことがとても嬉しい」
「えっ、そうですか?」
「あぁ。誰かが心配してくれるというのは、それだけ相手にとって自身が大切に想われている証拠だからな」
そのお言葉にわたくしは照れてしまったのか、頬が熱を持つ。
「雪花様、後宮の入り口前には武官である私の兄もおりますから、後宮の外での警護も抜かりはありません」
付け足された憂龍様の言葉にわたくしは首を傾げる。
「兄? 憂龍様にはお兄様がいらっしゃるのですか?」
「はい。龍強と言って、武官として煌月殿下に仕えております。いずれ秋の宴が来れば、雪花様も遠目に見かけることがあるかと思いますよ」
「龍強様……」
何処かで聞いたことがある名だわ、と記憶を辿る。その名は戦が起こるたびに勝利を上げて、冠帝国で活躍が話題になっている方だ。そして、煌月殿下が初陣の際に付き添っていた方と同じ名前だということも思い出す。
「聞き覚えがあります。龍強様は戦場でご活躍されている有名な方ですよね? 煌月殿下の初陣にもご一緒されていた方で間違いありませんか?」
確かめるように煌月殿下を見ると「そうだ。よく覚えていたな」と殿下が微笑む。
「兄をご存知でしたか」
「えぇ。お名前は何度かお聞きしています。ですが、憂龍様のお兄様だということは今初めて知りました」
そう告げてふと思う。
「……ということは、憂龍様も剣の腕前はかなりお強いのですか?」
ご兄弟の中に名の知れた武官がいらっしゃるということは、幼少期にお兄様と手合わせをされたこともある筈。だとしたら、憂龍様も中々の腕前かも知れないと、わたくしは安直に結び付けた。そんなわたくしの疑問に少し苦笑いで憂龍様が答える。
「自分で言うのも何ですが、その辺りの武官と同じ位は戦えるかと。……まぁ兄には到底叶いませんが」
「そうだな。だが憂龍は何でも出来る。だから私は頼りにしているのだ」
煌月殿下が頷く。
わたくしの考えはあながち間違いでは無かったようだ。憂龍様の言う“その辺りの武官”とは、恐らく下位から中位ぐらいまでの武官を指しているのでしょう。宦官でそれ程の実力をお持ちならば、剣の腕前は十分に思える。
「そうでしたか。そんなにお強いご兄弟が護衛に付いていて、何でも出来る憂龍様が煌月殿下のお傍にいらっしゃるのであれば、安心ですね」
それまで重く考えていた心配事がふわりと軽くなった気がした。ホッとしたわたくしは、漸く煌月殿下に笑顔を向けることが出来た。