75 語られる計画
買ってきたばかりのお香を美玲が持ってくると、鈴莉が丁寧に火を付ける。
「これは? お香ですの?」と尋ねてきた万姫様に「えぇ」と頷いて、香麗様から聞いた話を思い返す。
「西部で流行りのお店のお香だそうです。香麗様が仰るには空間を清める効果や、癒し効果で気分が落ち着いたりするそうです。その他に安眠にも良いそうですよ。最近では良い香りのお香が多いので、衣に香り付けするのが流行っているそうです」
「気分が落ち着く効果が?」
呟いた万姫様が深呼吸する。
「……確かに、良い香りですわ」
ホッとお顔を綻ばせる万姫様。
ゆっくり立ち昇るお香の煙は、ふんわりと部屋に香りが広がっていく。優しく漂う良い香りに部屋にいたみなの表情が和らいだ。そうして、明霞が明明を連れて戻ってくると、冷めたお茶を新しいお茶と取り替えた。落ち着いて話をしてもらうための準備も整った所で、わたくしは真っ直ぐ万姫様を見た。
「では、そろそろお聞かせ頂けますか?」
万姫様は一瞬、息が詰まったような表情をされたあと、チラリと視線を下げられる。
「わたくしも具体的に何をするのか聞かされていませんのよ?」
そう前置きしながら、万姫様が「宮女は下がって頂戴」と人払いを所望されたため、若汐や明霞、明明には部屋から退出してもらう。そして、わたくしたち2人と女官が5名、宦官が2名になったのを確認して彼女は語りだす。
「皇后宮で話していたときのことですわ。皇后陛下がわたくしにある計画を提示してきましたの。内容は煌運殿下を皇帝にするための計画でしたわ」
それを聞いて万姫様を除く、その場にいた全員が息を呑んだ。みなの反応を確認しながら、万姫様が話を続けられる。
「主な内容は二つ。一つは煌月殿下に皇太子の座を降りてもらうこと。そしてもう一つは雪花様を後宮から排除すること」
「え? ……わたくし?」
パチパチとわたくしは瞬きを繰り返す。
煌運殿下を皇太子にするために、現皇太子である煌月殿下が狙われることは分かる。だけど、そこにわたくしも含まれている意図がわからなかった。それも、わたくしのみを後宮から排除する、というのが謎だった。
何しろ皇太子が交代となると、その時のお妃候補または皇太子妃は王家から望まれない限り、自動的に実家に戻ることになるからだ。そして、もしもその時点で元皇太子の子を設けていたり身籠っている場合は子ともども尼寺送りとなる。
「つまり、皇后陛下は煌運殿下が皇太子になれば雪花様を望まれるとお考えなのですね?」
天佑様が確認すると「その通りですわ」と万姫様が頷く。
「煌運殿下は雪花様にかなりご執着されていますから、自然なことだと思いますわ」
「っ!?」
それを聞いて、わたくしはキュッと腕を抱きかかえる。
煌運殿下が皇后陛下の計画をご存知かは不明だ。だけど、わたくしが煌運殿下のお妃候補として、後宮に残ることがないよう、もしくは再び後宮へ上がることがないように皇后陛下はわたくしを排除したがっているということだ。
「それは、雪花様の身に危機が迫っているということですか!?」
鈴莉が取り乱しながら尋ねると、「恐らく……」と万姫様が答える。
「皇后陛下が自ら動かれると?」
天佑様の問いかけに万姫様は「いいえ」と首を横に振る。
「わたくしたちは実行するための準備さえ行えばよいと」
「その準備というのは?」
「夏の宴で商人たちを呼ぶことでしたわ」
わたくしを含め、万姫様以外の全員にどよめきが走る。まさか夏の宴の新たな催しが、煌運殿下を皇太子にする計画の一部だとは思ってもみなかった。だから、万姫様はわたくしに夏の宴の間は身の安全に気を付けるよう仰ったんだわ、と納得する。
「その後のことは、夏家縁の者たちに任せれば良いと仰っていました。……ですから、何か事が起これば皇后陛下はあくまでも知らぬ存ぜぬを貫かれると思います」
「万姫様! この様な大事なことをどうして今まで黙っておられたのですか!!」
万姫様に付いている宦官が大きな声を上げる。
ビクッ! と肩を揺らした万姫様が困った様子で眉をハの字に歪めた。
「皇后陛下は、……後宮ではわたくしにだけ計画を打ち明けられたようでした。ですから情報を漏らせば、それこそわたくしは皇后陛下のお力でこの後宮から消されてしまいますもの。……言えるわけがありませんわ」
ポロリと万姫様が涙を零す。肩を震わせる彼女のその姿はとても演技には見えなかった。
「でも今のわたくしは皇后陛下に見捨てられた身。もう黙っている必要は御座いませんもの。ですから、雪花様に遠回しにご忠告しましたの。それが済んだら、煌月殿下にお伝えするつもりでいました」
それを聞いて「万姫様っ!」と静芳が彼女を抱き締める。
「今までお一人で抱え込まれておいでだったのですね。お側に居ながら気付けず、申し訳ございません!!」
「いいのよ。黙っていたのはわたくしですもの」
万姫様が静芳を抱き締め返す。それを横目に、天佑様は「不味いことになった」と青ざめて万姫様のところの宦官と話をされる。
「一先ず、早急に煌月殿下にご報告して、判断を仰がねばなりませんね」
「あぁ。万姫様の証言からして、夏の宴を利用して商人の中に煌月殿下と雪花様を狙った夏家に関わる者が紛れ込んでいるようだ」
「ですが、話しからして万姫様の身も危ういと考えるべきでしょう」
「天佑の言うとおりだな」
そんな会話が側で繰り広げられる中、わたくしは呆然としてしまっていた。
煌月殿下が狙われている。そしてわたくしも狙われている。ただ脅すだけが目的かもしれない。けれど、これは次の皇帝の座を懸けた争い。下手をすると殿下もわたくしも殺されてしまう可能性だってある。それは冠帝国の歴史でも実際に何度か起こったことだ。
話し合いで解決できなかった例では、血が流れなかった試しがない。後宮へ上がる前に学んだこの国の歴史だから、そのことをわたくしは良く知っている。
カタカタと震えるわたくしの肩をふわりと誰かが包み込む。
「雪花様、落ち着いて下さい。わたくしたちが雪花様を必ずお守りします」
「鈴莉……っ」
皇帝の座を掛けた争いというのは、こういう物だ。煌凱皇帝だって煌雷殿下と皇太子の座を争った時は王宮がずいぶん荒れたと聞く。
弱気になっては駄目。煌月殿下のおそばにいるためだもの。
わたくしが「ありがとう」と答えた所で、天佑様たちの指示により、この場はお開きとなった。一旦はそれぞれの宮で皇后や皇后に付いている人物に怪しまれないよう、いつも通り過ごして煌月殿下の指示を待つことになった。そして、対応が決まるまでわたくしと万姫様は宮から出てはいけないことになった。