74 素直ではないお人
万姫様に紹介された女官の静芳は再びわたくしと目が合うと、口を開いた。
「雪花様、貴女様を頼るのはあまりに都合の良い話だとは百も承知しております。ですが、どうか万姫様をお助け下さい」
告げると、懇願するようにわたくしに頭を下げる。
「静芳、やめなさい」
「ですが! 皇后陛下は万姫様の処遇を話し合う場で万姫様を庇護されるどころか、万姫様が後宮を去ることになっても構わないと取れる発言をされたとか! 万姫様を見捨てて、他の方に乗り換えられたも同然ではありませんか!!」
静芳が声を荒げる。わたくしも少し前に煌月殿下からそのお話しは聞いていた。皇后陛下が話し合いの場で万姫様の罪を軽くするよう求めなかったと。煌月殿下が万姫様が後宮を去ることになっても良いのかと尋ねると、皇后陛下は否定しなかったという。
夏家から万姫様と共に後宮入りした筆頭女官の取り乱し方といい、それに対する万姫様の諦めたような雰囲気といい、皇后陛下は本当に万姫様のことを何とも思っていらっしゃらないのかしら?
今回の夏の宴で商人を一週間呼び寄せる企画は万姫様の為に催されたと若汐から聞いていましたのに。皇后陛下は目を掛けていた同郷の身内を切り捨てるおつもりなのでしょうか? それとも、夏家は身内で大きな派閥争いがあるのかしら?
冬家でもそれらしい派閥争いはある。例えば、わたくしのお父様と叔父様だ。
お父様が亡くなった今でも、鈴莉のお父様や、わたくしの為に後宮に上がってくれた宮女とその家族達はお父様のことを今でも尊敬してくれている。
秀英派か、秀次派か。なんてたまに囁かれる程だ。けれど、夏家は冬家よりも根深い何があるのかも知れませんわね。
「静芳、落ち着きなさい」
「落ち着いてなどいられません! 私は今まで万姫様の為になると思って、皇后陛下の命令に従ってきました。いつか万姫様が皇后になられる日が来ると信じ、万姫様の品位を保つお手伝いをして参りました。時にはあまり褒められないこともしました。ですが、その仕打がこれだなんて! あんまりではありませんか!!」
「その話は帰ってからゆっくり聞きますわ」
はぁっと、ため息を付いた万姫様がわたくしへ向き直る。
「お見苦しいところをお見せして、申し訳ありませんわ」
「いえ。……構いません」
万姫様ったら、ご自分の非ではないことは今のようにスラスラと謝れますのね。
先程との違いに、わたくしは少し目を丸くする。だけど、万姫様と同じ様に自尊心の強そうな静芳という女官が、わたくしに懇願する程に万姫様のお立場は危ういのかも知れません。
「今日は、その……、わたくし雪花様に謝りたかっただけですの。目的は果たしましたから。……く、くれぐれも! 夏の宴の間は身の安全に気を付けて下さいませね!!」
そう言い捨てると「それじゃあ、そろそろ失礼しますわ」と万姫様が立ち上がる。
やはりご自分のこととなると、素直ではないらしい。
とても不器用なお方ですわね。と思うと、「待って下さい」と言葉を紡いでいた。けれどもう一人、わたくしの声に被せて「お待ち下さい」と声がした。
声の主は天佑様だった。
「天佑様……?」
何故、天佑様が万姫様を引き止めるのかしら?
そう不思議に思っていると、天佑様が目を細めて万姫様に問い掛ける。
「『くれぐれも夏の宴の間は身の安全に気を付けて』とは、どういうことでしょう? 夏の宴で何か起るとでも言うのですか?」
「っ……」
サァッと万姫様のお顔から血の気が引いていく。その様子を見ていたわたくしや冬宮の者は勿論、夏宮の女官である静芳とお付きの宦官までもが、話の見えない展開に動揺していた。
「な、何でもありませんわ。ただ、人の出入りが多いですから、用心に越したことはないと思っただけですわ」
「ではどうして、万姫様はその様に青いお顔をされているのです?」
「何でもないと言っているでしょう!」
そう否定はされているけれど、万姫様は明らかに動揺されていた。「万姫様?」と静芳も心配そうに彼女を見ている。
「ここで話さないと仰るのならば、煌月殿下に万姫様が何か良からぬことを企んでいると報告するまでです」
天佑様が低い声で告げる。
「そう言われましても、話せることはありませんわ。大体、良からぬことを企んでいるのは、わたくしではありません! わたくしだって何も聞かされていませんのよ!!」
思わず叫んでしまったのでしょう。気づいた万姫様が慌てて口元を抑えるけれど、その行動は既に意味をなさないものだ。
「万姫様、知っていることを話して頂けませんか? 何かを隠していたことを責めるつもりはありませんから」
わたくしは告げると、「鈴莉」と冬宮の筆頭女官を呼ぶ。そして、先ほど出店で購入したお香の準備とお茶の淹れ直しを頼んだ。直ぐに鈴莉が明霞と蘭蘭、麗麗に指示を出して彼女たちが動き出す。
「今、お茶を淹れ直させますから、どうぞお掛け直し下さい」
「お構いなく。もうお暇致しますわ」
そう告げた万姫様。すかさず、わたくしは彼女を引き留めるために言葉を続ける。
「万姫様、わたくし決めましたわ。どこまでお力になれるかはわかりませんが、万姫様をお助けします」
告げると鈴莉や美玲が「雪花様!?」と驚きの声を上げる。そして「何を仰っているのですか!?」と鈴莉がわたくしの肩を揺すった。
「万姫様のお話し、聞きましたでしょう? お付の静芳という女官も困っていらっしゃる様ですし、もう少し詳しくお話を聞いても良いと思ったのです」
「そんなの演技の可能性もあります! 嘘かもしれません!」
「えぇ。そうですわね。ですが、このままだと万姫様が後宮を追い出されかねないお立場であることは事実ですわ」
そう、万姫様の処遇は煌月殿下が正式な沙汰を決定するまで保留になっているに過ぎない。家臣からの反発がある以上、煌月殿下が何か現状を覆すような情報や証拠を提示しない限り、万姫様をお妃候補から外すしかなくなってしまうだろう。
「それに正妃の座を争うなら、わたくしは会ったこともない夏家の方より、万姫様がいいです」
万姫様を真っ直ぐ見る。彼女は少し呆れたように息を吐くと、にこりと笑われた。
「雪花様? 後で後悔しても知りませんわよ?」
「望むところですわ」
答えてわたくしも笑みを浮かべた。