73 突然の訪問者
香麗様たちのと出店巡りを終えて、冬宮へと戻ると、宮の入り口で美玲が待っていた。
「雪花様、お帰りなさいませ。後宮のお庭を歩き回ってお疲れとは思いますが、万姫様がいらしています」
「えっ!? 万姫様が?」
わたくしが驚きの声を上げると「いつからです?」と鈴莉が尋ねる。
「それが、雪花様が出掛けられた後、暫くして訪ねて来られたのです。事前の連絡もない急なご訪問ですし、雪花様のお帰りが何時になるかもわからないとお伝えしたのですが、お戻りになるまで待つの一点張りでして。一先ず、万姫様と雪花様を引き合わせても良いのか分かりかねましたので、一度出直していただくように再度お伝えしたのですが、やはり雪花様を待つと……」
あの万姫様が何時戻るか分からないわたくしの帰りを待っているだなんて。
后妃様方やお妃候補の宮を尋ねる場合、通常は事前に女官や宮女を通じて言伝てるか、文で連絡することになっている。急な訪問で宮の主が留守にしているとなると、出直す方が得策なのだけれど……
そうまでして万姫様はわたくしに話したいことがあるのかしら? もしかして、この前の騒動の件?
夏の宴の食事の席のように、複数人でお会いするのと一対一でお会いするのとでは状況が違う。
宴の席ではわたくしに話しかけることはおろか、わたくしを一度も見ることなく、去って行かれましたのに。
少し緊張してきたのか、息が深くなる。それでも万姫様に会わなくてはいけませんわ。後宮にいる限り、お互いの存在をいつまでも無視し続ける訳にはいきませんもの。
「……分かりました。せっかくいらして下さったのです、今からお会いしましょう」
わたくしが言うと、一瞬驚きで目を見張った美玲が「こちらです」と案内してくれた。
*****
「万姫様、お待たせ致しました」
万姫様は冬宮の一角にある来客用のお部屋に案内されていた。
部屋には彼女の筆頭女官と煌月殿下が遣わせた宦官、そして蘭蘭に麗麗、若汐が控えていた。万姫様の前には半分ほどお茶が減った器が置いてある。お茶菓子も出されていたけれど、それには手を付けていないようだった。
わたくしが机の向かいに腰かけて、万姫様を見るとフイッと視線が逸らされた。そのことで一瞬躊躇ったものの、わたくしは声を掛ける。
「万姫様、本日はお約束がありませんでしたが、どの様なご要件で冬宮へいらっしゃったのでしょうか?」
尋ねると、万姫様の唇が薄く開かれる。
「……っ、こ、こっ………」
「………こ……?」
何か言いたそうに発せられた音をわたくしが聞き返すと、ぎゅっと強く目を閉じた万姫様が意を決して言葉を紡がれる。
「これでもっ!! わたくしは悪かったと思っていますのっ!!」
「へ? あっ! え? ……えぇ??」
初めて見るご様子に、何とか頷いたものの、わたくしは驚きで開いた口が塞がらない。
万姫様が……わたくしに謝罪の言葉を述べられたわ。それも意を決して言葉を放たれた様子からして、心から悪かったと思っての謝罪。
今まで本心ではない謝罪は聞いたことがあった。わたくしが北の離れに軟禁された時がそう。だけど今はあの時と違って、万姫様から必死さが伝わってくる。
今まで彼女と関わってきて分かったことだけれど、万姫様はとても自尊心が強いお方。そんな彼女がわたくしに、遠回しの言葉でも謝ろうとされるなんて思いもしなかった。
「ほっ、本当は……夏の宴の食事の席で言おうと思っていましたのよ!? でも、いざ雪花様や他の方々の前に出ると、いつ話しかければ良いか分からなかったのですわ!」
「……、そうだったのですね」
確かにあの場には沢山の方が居ましたし、わたくしが万姫様の立場でも中々言い難い状況だったかも知れません。
「わたくしは、どんな手段を使ってでも正妃の座を手に入れたいと思っていますわ。だけど、人に手を上げることだけはしないと決めていましたの。それをした瞬間、お妃候補としてのわたくしの立場が危うくなると分かっていましたから」
お妃候補の間、わたくし達は後宮の至るところで振る舞いを見られている。そしてそれが、皇太子が皇帝になった時の妃たちの序列へと繋がっていくのだ。
やはり、賢い万姫様ですもの。それぐらいのことは理解されていますわよね。
「では何故、あの時あのようなことを?」
わたくしが尋ねると、「よく分かりませんわ……」と彼女が小さく呟く。
「今まで腹立たしいと思うことがあっても、上手く隠したり誤魔化すことが出来ましたし、ちゃんと感情を抑えてきましたわ。でも、いつからか感情を抑えることが難しくなりましたの。……そしてあの日、気づいた時には可晴が眼の前でわたくしの腕を掴んでいましたの」
そう言うと、ジッと万姫様が振り上げていた方の手を見つめた。
「そ、そんなお話し! 信じられるとお思いですか!?」
「そうでございますっ!!」
蘭蘭と麗麗が耐え切れず口を挟んだ。スッと鈴莉と万姫様の筆頭女官が彼女たちに鋭い視線を向けて黙らせる。そして、「二人ともやめなさい」と美玲が小声で窘めた。
蘭蘭たちはわたくしを想ってのようだけれど、あくまでも今はわたくしと万姫様が話し合っている。その為、女官や宮女がお妃候補を批判するような野次を飛ばすのは場違いだった。「すみません」とわたくしは代わりに謝罪する。
「仕方ありませんわ。わたくしは、雪花様とその女官や宮女たちに恨まれて当然ですもの」
「万姫様でもその様な風に思われるのですね」
意外な返事に思わずそう返すと、万姫様が少しムッとした表情になる。
「雪花様はわたくしを何だと思っていらっしゃいますの?」
少し不機嫌な万姫様だけれど、最近のような感情任せの言葉ではなかった。少し前の、わたくしか後宮に来た頃の万姫様だわ。その様子に「ふふふ」と笑うと「なっ、何がおかしいんですのっ!?」とムキになって聞き返す万姫様。
「いえ、おかしくはありません。ただ、以前までの万姫様だわ、と思っただけですわ」
思ったことをそのまま口にすると、万姫様がハッとした表情を見せた。
「雪花様もそう思いますのね……」
「その言い回しですと、他にもその様に思っている方がいらっしゃるのですか?」
「えぇ。わたくし自身とここに居る静芳がそうですわ」
頷いた万姫様が彼女の後ろに控えていた筆頭女官を振り返る。スッと一礼した彼女に、わたくしも座ったまま一礼を返した。