72 故郷の名産と出店
東宮の明来庭園を一通り散策し終えたわたくし達は朝来庭園へやって来た。
わたくしは煌運殿下に遭遇しないかと不安を抱えながら梨紅様たちの後をついて行く。
もしも遭遇してしまったら、きっと天佑様が庇ってくださるけれど、それでも今日は他に鈴莉と明霞しか連れていないので、やはり心配になる。
「まぁ! 東部名産のお茶がこないに沢山!!」
「西部の名産品もありますわ!!」
梨紅様と香麗様が故郷の特産品を見つけて、楽しそうな声を上げられる。お茶を扱う出店では、各地方の珍しい茶葉を取り扱っているようだった。その中には勿論、北部のお茶もあって嬉しくなる。
「あっちには東部で有名な菓子の店が来てはりますねぇ! ここの銘菓はどれも絶品なんですよ」
そう言った梨紅様の視線の先を辿る。美味しそうな菓子が並ぶその中に以前、秋宮を訪ねた時に出していただいたお団子を見つける。
あのお団子、とっても美味しかったですわね。
「こちらは西部で有名な菓子のお店も! まぁ! あのお饅頭!! 懐かしいですわ!」
お二人とも楽しそう。わたくしも早く北部の物を見つけたいわ。
その時、香麗様が何かを見つけたようで、「雪花様! 雪花様!!」と嬉しそうにわたくしを呼ぶ。
「お約束していたわたくしの故郷で流行っているものを紹介させて下さい。こちら、西部で人気のお香の専門店ですの!」
「お香ですか」
「えぇ。従来からの穢れや邪気などの負のエネルギーを払い、空間を清める効果はもちろん、癒し効果で気分が落ち着いたり、安眠にも良いそうですよ。最近では良い香りのものが多いので、数年前から香を炊いて、衣に香り付けするのが流行っています」
「少し嗅いでみて下さい」と言われ、店主に勧められた香を顔に近づけると手で仰ぐ。
ふわりと甘い香りが鼻腔を擽る。だけど決して甘すぎる香りではなく、心地よい香りだった。
「良い香りですわ」
ホッと息を付く。煌月殿下がいらした時に炊けば、お忙しい中でも少しは心が休まるかも知れませんわね。
「あら! ええもんがありますねぇ」
呟いた梨紅様がにやりと笑う。
「わたくし、こちらを頂こう思います」
それを聞いた香麗様が、梨紅様の手元を見て顔を赤くする。
「えっ!? あ! リ、梨紅様? まだそれはわたくし達お妃候補には必要ないかと思いますわ」
「そないなこと言うても必要になった時、出店で売ってるとは限りませんでしょう? 心配せんでもまだ使わしませんよ」
香麗様の焦り具合とは反対に梨紅様は上機嫌だ。
「梨紅様が買おうとされているお香は特別なものなのですか?」
「えっ!? えぇ! それはもう!! ……っ!」
純粋に疑問に思ったことを尋ねると、益々赤くなる香麗様。そのご様子に他のお香とは違う何かがあるということだけは分かった。
「何故、東部出身の梨紅様がこれをご存知ですのっ!?」
「父上が取寄せてはったさかい、知ってたんです」
「梨紅様の、……お父様が」
「お陰さんで、わたくしには弟妹が沢山おりますのや」
それを聞いて、流石のわたくしもある可能性が頭に浮かんだ。
「梨紅様が買おうとされているお香って、もしかして……」
「ふふふっ。雪花様のご想像通りや思いますよ。……あらまぁ、お二人ともえらいお顔が赤くなってはりますけど、大丈夫ですか?」
どこか面白そうな表情で梨紅様が首をかしげる。
「な、何でもありませんわ……!」
間違いありませんわ。梨紅様が買おうとされているのは、媚薬のお香だわ。そのことに気付いた明霞や香麗様付きの宮女も頬を染めている。
どうして後宮で媚薬入りのお香なんて!! と一瞬思ってしまったけれど、皇帝の血を絶やさず残すためだ、と思い直して寧ろ自然なことだと思い知らされる。
わたくしもいつか、煌月殿下とそんな日が…………
そう考えかけた所で顔が更に熱くなったので、直ぐにその想像を頭から追い出した。でも、その“いつか”は確実にやってくる。
いつまでも照れたり恥ずかしがったりしていてはダメですわ。
どちらにしても、お妃候補のわたくしにはまだ媚薬入りのお香は早い。そう考えて、今必要な落ち着く良い香りのお香を購入した。
その後も、わたくしは香麗様と梨紅様の三人で出店を回った。途中で北部で人気の菓子や細かな細工が施された素晴らしい木彫りの置物などを見つけたので、お二人に紹介した。逆に梨紅様や香麗様にも故郷の物を紹介してもらったり、南部で流行っているらしいお店を三人で見たりもした。
そんな時だった。
「香麗様? ……香麗様!」
どこかの出店から香麗様を呼ぶ声がした。わたくし達が振り向くと、1人の女性が店先から出て香麗様を見つめていた。サッと香麗様に付いていた宦官が警戒して前に出る。
「っ!! おば様……っ!!」
呟いた香麗様が驚きで目を見張った。
「あぁ! やっぱり! 香麗様だわ!!」
お二人は顔見知りのようだ。久しぶりの再開にどちらも顔が綻んでいる。香麗様付きの女官が耳打ちすると、宦官が警戒を解いた。そしてお二人はどちらからともなく、傍まで歩み寄ると抱き合う。
「香麗様、お会いできて嬉しいです!」
「わたくしもですわ! おば様!」
どういったご関係かしら? と首を傾げていると、香麗様がわたくしたちを振り返った。
「雪花様、梨紅様、こちらはわたくしの実家の近所に住んでいらっしゃって、わたくしの幼なじみのお母様ですわ」
紹介された彼女がわたくしたちに一礼する。
幼なじみ……ということは、この方が永福様の!? と、わたくしは紹介された女性を見た。どこにでもいそうな御婦人。たけど、この人が香麗様の想い人のお母様なのね。
内心驚きで一杯のわたくしだけれど、表情に出さないよう必死に隠す。
「香麗様には幼なじみがいてはるんですか?」
「えぇ。そうなのです。小さい頃よく遊んでいて、おば様とも沢山お話しさせてもらいました」
香麗様が言えば御婦人が「懐かしいですね」と呟く。
「お触れが出てから、香麗様にお会いできるかもしれないと、必死に頑張った甲斐があります。今回の宴には永福も来ているんですよ」
その言葉に「永福も……」と呟いた香麗様の瞳が一瞬輝いた気がした。
「えぇ。後宮の外にある庭園にも出店を出せてもらえたので、そちらで頑張っています」
「そうですか。……それにしても、とても嬉しいですわ。……もう会えないと思っていたおば様に会えたことも、幼なじみがこんなに近くに来ていることも」
穏やかな表情、だけどほんのり紅葉した頬を香麗様は嬉しそうに両手で包みこんだ。
『あっ、会えないことは分かっています! ですが、夏の宴でも文官や武官向けに後宮の外の庭園にも商人たちは出店する筈ですから、もしかしたら近くに居るかもしれないと思うと、居ても立っても居られないのです』
以前、香麗様が仰っていたことが現実に起こっている。永福様がこの王宮にいらしているのだ。
「この前、香麗様のご両親にお会いした時、王宮で出店を出せることをお話したら、香麗様に会えたら後宮での様子を教えて欲しいと言われました。ご両親は、私たちは元気だから心配しないでとも仰っていました」
「両親が。……そう。そうなのね」
香麗様の目元がじんわり潤む。
「ええですねぇ。感動の再会みたいで羨ましいです」
「そうですわね」
両親も親しい人も故郷にいないわたくしには、もう体験出来ないことだわ。
「この後宮で顔見知りに会えるなんてことありますのやねぇ」
最も、恐らく香麗様が一番お会いしたい相手は王宮にはいらしているものの、会うことは叶わないのだけれど。
それを口にすることも、顔に出すことも出来ないわたくしは「えぇ。素敵ですわね」とだけ相槌を打った。