59 予想外の行動
雨乞いの舞の合同稽古は予定より長引いて行われた。舞では各々が目立つことができるパートも少し用意されているけれど、それよりも大切な合わせる所で動きが全く揃わなかったからだ。
「皆さま、今のところをもう一度」
「万姫様、動くのが早すぎます。他の皆さまと合わせてください」
「香麗様、遅れていますよ。それと、うろ覚えのところがあるようですね。きちんとお稽古されましたか?」
「全然揃っていません。最初からやり直して下さい」
こんな感じで指導係の女官から指摘が飛んできては途中から、もしくは始めからやり直すことを繰り返した。
名指しで指摘されるのは主に万姫様と香麗様だった。皇后宮の女官、それも筆頭女官だからてっきり冬家のわたくしは目の敵のように指摘されるのかと思ったけれど、違ったようだ。彼女は夏家の万姫様に甘いこともなく、寧ろ的確な指示でわたくしたちの駄目なところを指摘している。
皇后宮の女官だからと言って、決めつけるのは偏見よね。
そう反省しつつも、わたくしは皇后陛下の命で北の離れに軟禁されたことがあるので、やはり警戒してしまう。
「雪花様、腕が下がっていますよ」
「あっ、申し訳ありません」
考え事なんてしていたから、舞の動きに集中できていなかったようだ。わたくしにも初めて名指しの指摘が飛んできた。それにしても、梨紅様の舞は素晴らしい。一切無駄のない彼女の動きは見るも者の視線を釘付けにしていた。基本的に女官たちは自分の宮の主を眺めているけれど、気付くと梨紅様に視線を奪われている。
わたくしも負けていられませんわ。もっと舞のお稽古を頑張らなくては。
幸い、舞は好きだから稽古自体は苦ではない。けれど、夏の暑さがわたくしたちの体力を奪っていった。
「ふうっ……。全く。……どうしてこんな熱い時期に雨乞いの舞なんて行うのかしら? 舞わされるわたくしたちの身になって欲しいものですわ」
稽古終了後、万姫様が女官たちに扇子で風を送られながら、そんなことを呟いた。
それは、この時期辺りから日照りで雨の降らない地域があるからでしょうね。と、わたくしは心の中で呟く。
「あら? ご存知あらしませんの? 日照りが続いて雨が降らへん地域があるさかいですよ」
梨紅様が反応すると香麗様が頷いた。
「特に南部は気候も暑いですから、作物も影響を受けやすいですものね」
「夏家出身の万姫様やったら、ようご存知のはずやと思っておりましたけど違うんですねぇ」
梨紅様が先程まで舞で使用していた扇子で口元を隠す。どうやら梨紅様はわざと煽るような言葉を掛けていらっしゃるようだ。
「お二人に言われなくても、わたくしは十分承知していますわ!」
ムッと万姫様の機嫌が悪くなったのがよく分かる。
梨紅様はともかく、香麗様はただ思ったことを口にされただけで、悪気はないのでしょう。それを裏付けるように万姫様と梨紅様を見て困ったように眉を歪めている。
「まぁ、日照りが多いのは南部というだけであって、他の地域でも起こることですから」
また言い合いになってしまっては大変だと思って咄嗟に口を挟む。すると、フィッと梨紅様から顔を逸らした万姫様が香麗様を見る。
「それよりも香麗様? きちんと舞の動きを覚えてきて下さいませね? 貴女がきちんと舞えていないから合同稽古が長引きましたのよ?」
「それは、……申し訳ありません」
香麗様の表情が一気に暗くなる。指導役の女官にも次の合同稽古までにしっかり覚えてくるよう言われていたばかりだから無理もない。それに、その件については香麗様が一番よく分かっている筈だ。
そんな香麗様を見兼ねてかは分からないけれど、梨紅様が万姫様に問い掛ける。
「万姫様こそ、きちんとお稽古されてはりますか? 何度も指摘されとったのは万姫様も同じやと思いますけど?」
「あら、わたくしは夏の宴の準備で忙しいのですよ。皆さまよりも稽古に時間が取れないのですから、指摘されても仕方ありませんわ」
夏の宴の準備がないわたくしたちは出来て当然で、万姫様は出来なくて当たり前と言いたいようだ。
だけど、それは違うわ。
わたくしは「万姫様」と彼女の名を呼ぶ。
「ご自分のことを棚に上げて、香麗様にあの様な発言をされるのは違うと思います」
「何ですって?」
万姫様の鋭い視線がわたくしへと向く。一瞬、怯みそうになったけれど、わたくしは構わず続ける。
「雨乞いの舞は、後宮で行われる大切な儀式の一つです。夏の宴の準備が忙しいからと疎かにして良いものでわありません」
「雪花様は、わたくしに意見なさるの? 貴女、どの立場でわたくしにその様な口を聞いているのか分かっていますの?」
「えぇ。わたくしは同じお妃候補として、万姫様に意見しています」
万姫様の所の女官や宮女達が先程からの険悪な空気を感じ取って、どうして良いか分からずオロオロしている。ただ1人、彼女の筆頭女官だけが「万姫様、その辺りでおやめくださいませ」と声をかけていた。けれど、それを無視して彼女が言葉を続ける。
「同じお妃候補ですって? その前にわたくしは夏家の人間で、雪花様は冬家の人間ですのよ? 冠帝国で最も広い土地を治める夏家と、ちっぽけで作物の育ちにくい土地を治める冬家とでは夏家の方が序列として格上であること、認識なさっていませんの?」
またお家のことを引っ張り出されたわ……と、わたくしは内心ため息が出そうになる。
「万姫様、以前も申しましたけれど、家門は関係ありませんわ。この後宮では、わたくしたちお妃候補の間にまだ序列はありませんもの」
「雪花様の仰る通りですねぇ。わたくしも以前、治める土地の広さでお決めになるのは如何なものかとお伝えしたと思いますけど? お忘れですか?」
梨紅様がわたくしの肩を持ったことが気に入らなかったのか、万姫様の表情が険しくなる。
「雪花様も梨紅様も何も分かっていらっしゃらないようですわね!!」
バッと万姫様の手が振り上げられる。
え? まさか……わたくし、ぶたれる?
避けなくてはと頭では分かっているのに、思ってもいなかった万姫様の行動に、わたくしは動くことが出来なかった。
だけど、その手がわたくしに届くことはなかった。直前でわたくしの目の前に人が割り込んできたからだ。
パチンと小さく乾いた音が室内に響いた。