55 梨紅の考察
「それにしても、夏の宴で国中から商人を呼ぶなんて凄いですよね! わたくし、今からとっても楽しみですわ」
冬宮で行われている刺繍の会に参加している梨紅は、手を止めて夏の宴で商人が出店を出すことを心待ちにしている様子の香麗を見た。
彼女が心から嬉しそうに話すことは滅多にないからだ。
「香麗様はお買い物がお好きなんですか?」
雪花様の言葉に一瞬、キョトンとした香麗様。それから慌てたように多くを語りだす。
「え? あ、それは……そのっ、特別好きとかはないのですよ? 今回は何時も春と秋に開催される小さな出店とは違って、大きな催しですし、国中から集められるということは、珍しい物も見られるかもしれません。何より、故郷のお店も出店するかもしれないと思うと、楽しみなのです」
何時になく饒舌な香麗様はどこか気恥ずかしそうで、思わず雪花様を見ると、どうやら彼女も同じことを感じていたようだった。
香麗様は故郷からやって来るかもしれへんお店がそないに楽しみなんやろか? それとも他に何かあるんやろか? とにかく、何か隠してはるのはたしかやね。と、そんなことを考える。
「では香麗様、出店が並んだらわたくしと一緒に回ってくださいませんか? 香麗様の故郷で売られている物を教えてください」
雪花様が香麗様にそう願い出た。
「へっ?……あ、構いませんよ」
苦笑いで答えた香麗様。
どうやらお一人で回りたい理由がおありのようですねぇ。でも、このままやったら雪花様と香麗様のお二人。わたくしだけ仲間外れになるのは、色んな意味で避けたいところ。
「いややわぁ。雪花様と香麗様お二人だけなんて、わたくしも一緒に回らせてくださいな」
にこにこと冗談交じりにわたくしは声を上げる。
「では、梨紅様も是非ご一緒に」
作った笑顔で答える雪花様。
雪花様の方も香麗様に関わるんは何か理由があるんやろか?
「えぇ。是非3人で回りましょう」
頷いた香麗様もぎこちない笑顔で答えていた。
各々、何かしら隠してることがありそうですねぇ。かく言うわたくしもその一人ですけども。
付け加えると、わたくしは知りたい情報を手に入れるため、一度嘘を付いたこともある。それは以前、雪花様とお茶会を開いた時のこと。
『それはそうと、雪花様はもう煌月殿下と何処まで進まれました?』
わたくしの尋ねた言葉に雪花様はキョトンとして、わたくしを見ていた。
『え? ……何処までと言うのは?』
『もう口付けは済まされました?』
告げた途端、お茶が気管に入ったのか、雪花様がゴホゴホと咽た。
「雪花様!」と控えていた彼女の女官と宮女が駆け寄る。まさかの反応に「雪花様、大丈夫ですか?」とわたくしも尋ねた。今のご様子からして、お二人がまだ口付けされていないことは明白だった。
そして、雪花様が婚姻前の口付がしきたりで禁止されていることについて触れられたので、わたくしは「ふふふっ」と笑う。
『雪花様ったら、そんなんは破るためにあるんですよ?』
『え? い、いえ、ですが………』
どうやら真面目な雪花様。面白そうな展開にわたくしは彼女にこう告げていた。
『現に今の皇帝陛下は婚姻前に今の后妃である皇貴妃様や妃様とされとったそうですよ』
『えっ!?』と驚く雪花様。勿論、そんなことをわたくしが知るはずもない。何しろ、後宮での出来事。それもしきたりで禁止と定められていることだ。けれど、禁止だと言われれば、破りたくなるのも人間の性というもの。実際はどうだったか分からないが、恐らく歴代の皇帝と后妃たちはこっそりしきたりを破っていたに違いない。
現に母の話だと、わたくしの曽祖父の兄であった皇帝はしきたりを破っていたそうだ。だから完全に嘘というわけでもない。それにその他に雪花様に話したことは母が曾祖父から聞かされたことで、全て事実だった。それでも一つ嘘をついたので念のためだ。
『あ! これは煌雷殿下から内密に聞いたお話やさかい、くれぐれも内緒で』
わたくしはそう付け加えた。后妃様方のお耳にでも入れば大変なことになると考えたからだ。だけどそうなれば面白そうな展開でもある。それと、煌月殿下には話して欲しいという思惑も少しあった。
煌月殿下の寵愛を受ける雪花様から、現皇帝がしきたりを破っていたと知れば、きっと殿下は我慢できなくなる。そうなれば、きっとわたくしに対してもしきたりへのハードルは下がるに違いない。
色仕掛けで煌月殿下の関心をわたくしに向けることも可能になるかも知れない。そんな考えからだった。全ては夏家に一泡吹かせるため。わたくしは正妃の座が欲しいのだ。
「梨紅様、手が止まっていますが、どうかされました?」
雪花様の声にハッと我に返る。考え事をしていたらいつの間にか手の動きを止めてしまっていたようだ。
「いえ。ただ、お二人と出店を回れるのが楽しみやと思ってただけです」
答えると、納得したらしい雪花様が「そうですか」と返事をしてまた刺繍と向きあい始めた。
もし夏家に一泡吹かせられるなら最悪の場合、正妃はわたくしやのうても良いかもしれませんねぇ。……まぁ、負ける気はあらしませんけど。
その為には雨乞いの舞で爪痕を残し、秋の宴も成功させなあきませんね。
目の前で刺繍をするお二人のお妃候補を眺めながら、わたくしはそんなことを考えた。