53 覚悟
翌日、皇帝陛下の名の元に夏の宴で王宮に商人を呼び寄せることが発表された。女官や宮女たちは今までとは違う大規模なものに浮足立っている様子だった。
この件は国民にも同時発表されたらしい。どの様にして王宮に呼ぶ商人を選ぶのか、わたくしにはわからないけれど、今頃商いをしている者たちは王宮で商売をするために張り切っているのかもしれない。
お妃候補のわたくしとしては、“夏家に一歩先を越されてしまった”と言うのが正直な感想だった。
わたくしの元にはその日のうちに雪欄様から文が届いた。冬の宴の相談を早めにしておきたいとのことで、わたくしと同じ考えをお持ちのようだった。直ぐにお返事をして、2日後にわたくしたちは再びお茶の席を設けた。
「数日前に訪ねてもらったばかりなのに、短い期間で呼び立ててすまぬな」
「いえ、わたくしも丁度ご相談したいと思っておりました」
告げると、雪欄様が真剣な眼差しを向ける。そして人払いをすると、室内はわたくしとそれぞれの筆頭女官の4人のみとなった。
「今回の件、発表の前に皇帝陛下がわたくしの元にいらした」
「皇帝陛下が?」
雪欄様がスッとお腹を撫でる。
「予定日は雨乞いの舞が行われた後と言われているが、早まる可能性もある。いつ発表するか陛下と調整していたのだが、先々週頃に皇后陛下が例の提案をしてきたそうだ」
「夏の宴のことですね」
「そうだ。最初は皇帝陛下も却下されたのだが、皇后陛下が強く頼んできたそうだ。何でも万姫のためでもあるのだとか。……皇后はこちらの事情を知らぬからな。本当は王宮への人の出入りを極力なくしたかったのだが、皇帝陛下も懐妊の件を公表していないが故に、断ることが出来なかったそうだ」
「そうでしたか」
雪欄様の予定日が近かったことは、わたくしも考えておりませんでしたわ。今回の夏の宴はわたくしたち冬家の者にとって、中々の試練になりそうですわね。
「まさかこんな事になるとはな。お陰で冬の宴も何か新たな催しを始めねば、嫌味を言われそうだ」
雪欄様の呟きにわたくしは苦笑いを浮かべる。
「そもそも万姫のためにと言うが、お妃候補が居るのはこちらも同じこと。……そなたは序列など興味ないと思うが、ある程度の体裁は必要になる。これはそなたのためでもあるのだ」
「雪欄様……」
わたくしのことを考え下さっていたなんて。そう言えば、わたくしが煌月殿下の正妃を目指していること、雪欄様にはまだお伝えしていませんでしたわ。
「あの、雪欄様。その件について、大切なお話しがあります」
わたくしは全て話した。わたくしが煌月殿下の正妃になりたいこと。そして、冠帝国300年の歴史の中で初代皇后のみが冬家の人間として成し得た皇后の座に就いて、煌月殿下をお支えしたいこと。
「正気か?」
驚いたお顔の雪欄様に「はい」と頷く。
「……雪花、皇后の座に就いた途端、命を狙われるやもしれぬのですよ? そなたは知らぬと思うが、過去にも冬家の人間で皇后になったものは居る」
「はい。不審死を迎えたと聞いています」
「分かっていながら皇后になると言うのか? 何故だ?」
問われて、皇后を目指すと決めた時の気持ちを思い出す。
「煌月殿下がわたくしを必要とされたから。……わたくしを皇后にと望んでくださったからです。そして、わたくしもそうありたいと望んだからです」
雪欄様の瞳を真っ直ぐに見る。
何を思ったのか、雪欄様がそれ以上問い詰めてくることはなかった。変わりに、わたくしに語りかけてくる。
「雪花、知っているか? 冠帝国の皇后は夏家出身の者が多いが、皇帝になるものは桜家や豊家縁の妃嬪から産まれた皇子が多いのだ」
「それは初めて知りました」
「それから、冬家縁の皇帝は数が少ない。その事もあり、冬家の妃嬪はみな妃の位を賜るものが多い故、陛下の通いが少ないと思われがちだが、そうではない」
雪欄様の仰りたいことが分からず、わたくしは首を傾げる。
「実は歴代を見ても皇帝陛下は冬家と桜家の妃の元へ通われることが多いのだ」
「えっ?」
「わたくしも位は妃を賜ったが、皇帝陛下の通いは皇后よりも多い」
「本当ですか? ですが、だとしたらそれは何故です?」
普通に考えれば皇后に近いものから順に皇帝の寵愛を受け、通いが多くなると思うのだけれど?
そう考えていると、雪欄様の口から思わぬ事実が告げられる。
「……煌凱皇帝も最初はわたくしを皇后にしたがっていた」
「えぇっ!?」
あまりのことに、わたくしは思わず大きな口を開けて、驚きの声を漏らした。
「だが、わたくしが皇后になれば、わたくしの命は直ぐに燃え尽きてしまうと陛下は恐れたのだ」
「……何かそう思われるきっかけがあったのですか?」
わたくしの問いかけに、雪欄様は顎に手をあてながら記憶を辿る。
「いや、特にないとは思うが……、わたくしが知らないだけで何かあったのかもしれないな。まぁ、何が言いたいかというと、歴代冬家の妃嬪たちが代々妃の位を多く賜っているのは、夏家の怒りを買って、寵妃を失わないようにするためだったりするのだ」
「……つまりは、初代皇貴妃様の呪いと呼ばれるものですね?」
雪欄様が「そうだ」と頷く。その後、シーンと部屋の中が静まり返った。それを最初に破ったのは雪欄様だ。
「雪花はもし、煌月殿下が“やはりそなたを正妃にすることを諦める”と言ったらどうする? それに従うか?」
その問いかけに「えっ?」と声を上げる。そんなこと、考えたことがなかった。
もしも、煌月殿下がわたくしではない誰かを正妃にすると仰ったら……
想像するだけでショックだわ。わたくしのことを嫌いになってしまわれたのかと、きっと心を痛めるでしょう。けれど、わたくしの身を案じてその様な道を選ぶと仰るのなら、答えは一つだ。
「いいえ。それでもわたくしは煌月殿下の正妃を目指します。煌月殿下がわたくしに想いを寄せて下さっている限り、わたくしは正妃の座を諦めません」
言い切ると雪欄様の口元が優しく弧を描く。
「純愛だな。それほどまでに煌月を好いているのか」
言われて恥ずかしさから頬が熱くなる。
「自らの安全よりも、煌月を選ぶ……か。そなたの気持ちは分かった。では、わたくしもそなたの為に頑張ろうではないか。だが今のままでは、そなたはまだまだ頼りない。雪花、もっと覚悟を持つのだ。でなければ正妃が務まるどころか、その前に消されてしまうぞ」
雪欄様の脅しにヒュッと喉が鳴る。だが、その言葉は嘘でも冗談でもない。今より強くならなければ、わたくしは歴代で束の間の皇后になられたご先祖たちと同じ運命を辿ることになるだろう。
少しの恐怖を抱えながら「は、はい!」と返事をする。
「では、何が何でも冬の宴は夏の宴に負けるわけにはいかないな」
こうしてわたくしたちは、早い時期から冬の宴の準備を始めることになった。