50 【番外編】雪欄の宝物
雪欄16歳の夏。まだ煌凱皇帝が皇太子だった頃のこと。
「ご懐妊おめでとうございます!」
風邪か病気か!? と騒いだ女官や宮女が心配して連れてきた目の前の医者が満面の笑みで告げた。
当時のわたくしは皇太子妃の中で誰よりも先に子を身籠った。安定期に入るまでその事実は秘匿され、情報が解禁されると、それを聞きつけた夏宮の者たちは、何故冬家の人間が……と陰口を叩いたが、無理もない。
お妃候補として争う時期は終わり、夏家が時期皇后に決まっていたが、皇太子のお渡りは冬宮と春宮の割合が遥かに多かったからだ。
わたくしは皇后争いには負けてしまったが、煌凱殿下から寵愛されているという事は誰の目にも明白だった。
煌凱殿下は昼間、ほぼ毎日のように冬宮を訪れては日に日に大きくなっていくお腹を撫でた。まだ、何の変哲もない頃からそれをやりだしたものだから最初は可笑しくて、だけど殿下のその行動がわたくしも母親になるのだと自覚させた。
煌凱殿下が皇帝になったら、わたくしは妃宮でこの子と静かに暮らす。この後宮において悪くない話だ。どうせ皇太子には皇后の産んだ子が成るだろう。皇后が皇子を産めなかったとしても皇貴妃か貴妃が産んだ子が皇太子に成る。それで良い。冬家縁の子が皇太子になったら、命がいくつあっても足らぬからな。
わたくしはそう考えていたし、夏家もみなそう思っていたのだろう。だが、あと3ヶ月で子が産まれるという頃、定期的な医者の診察でお腹の子が皇子である可能が高いと分かると、煌凱殿下は宣言したのだ。
「雪欄の子が皇子だったら、その子を次の皇太子にする」
誰もが驚いた。時期尚早だ。皇太子にはまだまだ皇子を授かる可能性だって沢山にある。
煌凱殿下が皇帝に就任後、他にお産まれになっているであろう皇子たちの力量を見て皇太子を選定しても遅くはないのでは?
そんな声が王宮で飛び交っていた。
だが、わたくしには何も出来なかった。
そうして日々を過ごし、予定日の2ヶ月前になった頃。
突然の腹痛がわたくしを襲った。まだ陣痛が来るには早い時期。みなが懸命にお腹の子を助けようとしてくれた。勿論、わたくしも必死だった。だが、産まれてきた子は産声をあげることはおろか、息をすることすらなかった。
────死産だった。
わたくしは血の気の失せたピクリとも動かない我が子と対面することになった。死んでしまった子は生きて産まれていれば皇子だった。
あとから分かったことは、わたくしの食事に妊婦が口にすると早産や死産となる可能性が高い食べ物が混ざっていたらしい。
一体、いつから? 誰が? 詳細は何も分からなかった。だが、夏宮の妃が上機嫌でわたくしの見舞いに訪れた事で、犯人が誰かはすぐに検討が付いた。しかし、証拠は何一つない。それでもこういった場合、誰が責任を負わねばならない。
結果としてわたくしの食事を任されていた料理人が処刑された。
わたくしは暫く立ち直れなかった。食事も喉を通らず、ただボーッと一日を過ごすことが多くなった。
冬宮の空気は暗く沈んでいた。煌凱殿下も暫く落ち込んでいたが、数ヶ月すると元気を取り戻し、皇貴妃の元に通い始めた。
更に数ヶ月すると、皇貴妃が懐妊したという知らせが入った。あと2ヶ月で産まれるらしい。わたくしの時と同じ事が起こったら……という懸念があったのか、懐妊の発表は遅かったが、おめでたいことに変わりはない。
煌凱殿下が立ち直った理由も、皇貴妃の元に通い始めた理由もそういうことだったのだと理解した。
わたくしもいつまでも落ち込んでいる訳にはいかない。暫くして、煌月が産まれた時に皇貴妃と皇子に会いに行った。
愛らしい姿がそこにあって、皇貴妃も愛おしそうに子を抱いていた。
わたくしも、もしかしたらこんな風に……
そう思うと心が痛かった。
▽▽▽▽▽
数年の月日が流れた。わたくしはあの日のことを今も忘れてはいない。この世に生を受けることなく旅立った皇子を毎年皇帝陛下と共に弔っている。
そして、わたくしも再び子を授かることが出来た。
今度は失わせない。絶対に守って見せる。そう誓って、大切に大切にお腹の中で育てて、無事に公主が産まれた。
「あの子の分まで、この子を幸せにしよう」
皇帝陛下とそんな約束したからなのか、公主に会いに来る度に陛下は秀鈴を甘やかした。
秀鈴が産まれてから約7年。わたくしはまた子を授かることが出来た。
わたくしにとって、子は宝物だ。
秀鈴の時のように、今度もわたくしはこの子を守ってみせる。
そう決心を固めた。
いつも読んでくださり、ありがとうございます!
今回は本編とは少し話が違う為、番外編として雪欄の過去を書きました。
漸く50話目に到達です。
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