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5 北の離れ

 北の離れでの一日は退屈だった。そうでなくても行事や宴のない日は退屈な後宮。けれど、普段なら読書や刺繍に励んだり、冬宮の庭園の散策、たまに舞の稽古をしたりと何かしら暇を潰す方法がある。

 だがこの離れには何もない。窓は板で塞がれ、隙間から僅かな光だけが溢れている。


 今は陽が出ている時間のようですわね。


 時間を知らせてくれるものといえば、僅かな陽の光と日が暮れて運ばれてくる夕食だけ。

 身の回りを世話してくれる女官も宮女も誰一人いない。水を汲むのもわたくしがやらなければいけない。


 不便だけれど、それ自体は大した苦ではなかった。けれど、一日一食では直ぐにお腹が空いてしまうことと、僅かな光しか届かず、時間の経過があまり感じられないこの部屋の一日はとても長く感じた。


 最初のうちは少し体を動かしたりしていたものの、それが三日目になると何もする気が起きなくなってしまった。

 ここへ来る前に雪欄(シュェラン)様がこっそり渡してくださったのは、砂糖菓子だった。小さな包の中に入っていたそれは全部で七つ。一つ一つ丁寧に包装されているそれを、起きた時に一つ食べている。

 口に入れると、甘く溶けていく砂糖菓子は夕食までの貴重なエネルギー源だった。


『わたくしの時と似ているわ。気を付けなさい』


 雪欄様は確かにそう仰っていた。この菓子を下さったのも、同じ経験をしたことがあるからかも知れない。


 あの日、わたくしを大きな声で叱責されたのは、恐らく控えていた皇后陛下の宦官に聞かせるため。そう考えると、所々小さな声で話されていたことにも納得がいく。


 当たり前だけれど、警戒すべきは万姫(ワンヂェン)様だけではない……


 薄暗い部屋の中、そんなことを思う。


 わたくしは今、後宮内でどんな噂をされているのかしら? 暫くは冬宮に閉じ籠もって、ほとぼりが冷めるのを待つしかないのでしょうね。

 と言っても、それはこれまでの過ごし方と大して変わらないのだけれど。


 暫く人が集まる行事や宴は控えた方が良いのかしら? そもそも参加することを禁止される可能性もありますわね。でも、それでも良いかもしれません。


 出来れば、今は鈴莉(リンリー)たち以外の誰とも会いたくない。


 ああ、ダメね……。こんな薄暗いところにいるせいか、後ろ向きなことばかり考えてしまう。


「……」


 殿下は今頃、東上灯(トウシャントウ)に着いた頃かしら?



『用が済んだらなるべく早く戻る。少し寂しくさせるかもしれないが、帰ってきたらまたそなたの話を聞かせてくれ』


 最後に会った時、殿下はそう仰っていた。

 そっと、殿下が下さった椿の髪飾りに触れる。


 何故かしら? 早く帰ってきて欲しいと思うわたくしと、帰ってこないで欲しいと思うわたくしがいる。


 殿下はわたくしのこと、お妃候補の一人として大切にしてくださっている。けれど、それ以上でもそれ以下でもない。

 この後宮で目立たず、静かに生きていきたいと考えている筈なのに、殿下にこんな姿を見られたくないと思ってしまう。


 こんなわたくしが、殿下にお話しできることなんて、何もないのに……


 そう思いながらわたくしは目を閉じた。



 *****


 四日目、この日は目覚めると体が重く感じた。どうやら、やることがなさ過ぎて少し眠りすぎたようだ。

 よく見ると何時もより部屋に入ってくる陽の光が弱い。そっと板の隙間から外を覗くと、雪がちらついていた。


 道理で、何時もより寒い筈だわ……


 水瓶に入っている水を汲んで一口飲めば、冷たさが身体中に広がっていく。寒さで体を震わせながら、布団に戻ると掛け布団を羽織る。


 この離れには部屋を温める火鉢も木炭もない。そして、わたくしは火の起こし方も知らない。

 わたくしの故郷ほどではないけれど、冠帝国の冬は冷える。今日までは何とか寒さに耐えていたけれど、雪の日ともなればそうはいかない。火が無いと体が凍えてしまうのは明白だった。


 わたくしは外へ続く戸を叩いて見張りの宦官に声をかけた。


「すみません! お願いがあります! お話ししたいので、ここを開けていただけますか?」


 少し間をおいて、戸の向こう側から返事が返ってくる。


雪花(シュファ)様、申し訳ございません。食事以外は何も施してはいけないと皇后陛下よりキツく申し使っております」

「そんな……! あのっ! 今日は冷え込みそうなので、火鉢を用意していただきたいのです!! 出来れば火の起こし方も!」


「どうする?」と相談するような声が聞こえてくる。


「確かに今日は冷える。雪花様に何かあれば俺たちが怒られるんじゃないか?」

「だが、皇后陛下の言いつけを破ることになるぞ……」


 暫く相談する声が聞こえたあと「確認して参ります」と告げて一人分の足音が遠ざかっていった。

 それからどのくらい経ったのか、随分待ってようやく宦官が帰ってきた。


「夕食と一緒に火鉢を運び入れてくださるそうです」


 その回答を得て安心したわたくしは、宦官に礼を伝えて、夕食の時間を待った。


 日が暮れる頃には部屋はすっかり冷え切って、手足はかじかんでいた。

 掛け布団に包まっていると戸が開いて、いつものように食事が運ばれてくる。そうして戸を閉めようとした宮女に慌てて声をかけた。


「お待ち下さい! 食事と一緒に火鉢を運んでもらえると聞いていたのだけれど?」


「火鉢?」と彼女が首を傾げる。


「申し訳ありません。私は食事をお運びするようにとだけ仰せつかりました」

「え? 扉の前にいらっしゃる宦官の方が頼んでくださった筈では?」


 わたくしが尋ねると、?女官が宦官に話しかける。


「今朝の宦官とは数時間前に交代されたそうですが、特に引き継ぎはなかったようです」


 そう答えると、「それでは、失礼致します」と宮女が直ぐに戸を閉めた。


 わたくしは何も言えず、その場に立ち尽くす。


 今朝の宦官は何も悪くないわ。火鉢を手配してもらうよう話を付けてきたのだから、引き継ぎはなくて当然だもの。

 ここに夕食を運んでくる宮女の衣の色で、彼女たちはみな皇后陛下付きの宮女だと分かっていた。


「……わたくしったら、騙されてしまいましたわ」


 ぽつりと呟いて、わたくしは食事に手を付ける。寒さのせいでここに食事が運ばれて来る頃にはすっかり冷えており、心なしかあまり味がない気がした。



 *****


 五日目。この日は少し体が熱くて目が覚めたけれど、中々起き上がることができなかった。


 ああ、これは…………熱があるようですわね。こんなにも体が重くて熱いのに、寒いのはいつ以来かしら?


「……み、ず…………」


 熱でふわふわしている体で起き上がって、ふらつく状態で立ち上がる。

 一度躓いて水瓶の前に辿り着くと、震える手で水を汲んだ。ゆっくりと口に含んで水を流し込む。昨日とは違って今日は水の冷たさが幾分心地よい。


 そのままもう一杯お代わりをして、それから衣にしまっていた刺繍を施した布を取り出すと水に浸して湿らせた。そしてフラフラと布団の上に戻り、湿らせた布を気休め程度に額に載せる。


 一晩眠ればきっと良くなる筈よね?


 そう信じて、わたくしは再び眠りに落ちた。



 *****



「………花っ! ……雪花っ!! …………雪花!!」


 何度もわたくしを呼ぶ声が聞こえてきて、ゆっくり目を開く。薄暗くぼんやりとした視界。そこに殿下のお顔が見えた。


「…………で、……んか……?」


 掠れた声で呟けば「そうだ! 私だ! 煌月(コウゲツ)だ!!」と殿下がホッとしたような表情で答えた。その隣から「雪花様……!! 大事ありませんか!?」と殿下の側仕えの宦官である憂龍(ユーロン)様も顔を出す。


「……これは、夢……? ……それとも、……幻? ……東上灯にいる筈の殿下が…………目の前にいらっしゃるなんて……」

「雪花、体は起こせるか!?」


 そう尋ねてきた殿下の表情は険しく、眉根を寄せて焦っている様子に、まるで心配してくださっているかの様だった。よく見ると額に汗が滲んでいる。


「……?」


 こんなに寒いのに、どうして汗を?


「殿下、……無理をされていませんか? ……熱があるのでは、……ありませんか?」


 そっと腕を上げて確かめようとするけれど、思うように動かない。おまけに少し息苦しい。

 するとわたくしの伸ばしていた手を殿下が取った。


「熱があるのはそなただ!!」

「……」


 言われて、わたくしが? と少し考える。


「…………そう言えば、熱……ありました。……ですが、平気です」

「何を言う! これのどこが平気なのだ!? 憂龍! 雪花を冬宮へ運ぶぞ!!」


 言うや否や殿下が布団を捲る。


「では、殿下は蝋燭をお持ち下さい。……雪花様は私が運びます」

「いや、雪花は私が運ぶ!」

「え? いけません!! 雪花様が伝染病にでも罹患していたら殿下のお体に障ります!!」

「構わん!!」


「煌月殿下!」と制止する憂龍様を無視して、わたくしの背中と膝裏に殿下の手が差し入れられると、わたくしの体が持ち上がった。


「っ……!」


 慣れない浮遊感に一瞬、恐怖を覚える。思うように体に力が入らなかったけれど、殿下がしっかりとわたくしを抱き留めて下さって、直ぐに落ち着いた。そのまま殿下が扉に向かって動き出す。


「おい! そこの宦官!! どちらでも良い! 直ぐに薬師を冬宮に呼んでくれ!!」


 殿下が命を下すとハッとした宦官が二人揃って返事すると、バタバタと駆け出していく。


「雪花、少しの間辛抱してくれ!!」


 焦りの混じった殿下の声。それに小さく頷いて、わたくしは大人しく殿下の腕の中に収まったまま運ばれた。

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