45 煌運の変化
煌運が久しぶりに冬宮を尋ねた日の数時間後。父である皇帝陛下から東宮への出入り禁止が煌運に言い渡された。
どうやら兄上が父上にその様に言伝てされたようだ。
「煌運、そなたの気持ちも分からないではない。だが、雪花は皇太子である煌月のお妃候補なのだ。想うだけなら止めはしないが、立場をわきまえろ」
話から察するに、私が東宮への出入りを禁じられることになった経緯を兄から聞いたのだろう。
立場をわきまえろとは何だ?
私は冠帝国の皇子だ。兄上より5年遅く生まれた。ただそれだけ。だが、そのたった5年は私にとってとても大きな5年だった。
『煌運殿下、お初にお目にかかります。煌月殿下のお妃候補として北部から参りました冬家の雪花と申します』
雪花様が初めて挨拶に来たあの日、私の心は彼女に奪われてしまった。
最初は素敵な姉上が出来たような感覚で、単純に嬉しくて彼女に憧れを抱いていた。けれど、会うたびにそれは憧れから少しずつ恋心へと変化していった。
完璧で美しい所作に佇まい。長く綺麗な髪、白く美しい肌、光を反射して揺らめく大きな瞳。上げればキリがない程、彼女の存在は私を虜にした。
雪花様をもっと知りたい。もっと彼女と話がしたい。 もっと彼女に近づきたい!
もっと、もっと……!!
そう願うけれど、彼女は兄上のお妃候補としてこの王宮へやって来た。ゆくゆくは兄上の后妃となるお方。だから私と結ばれることはない。
それでも何度も願ってしまった。
雪花様とずっと一緒に居たい。私の隣に居て欲しいと。
それが叶いもしない願いだという自覚はあった。私は兄上の弟として雪花様に接し、彼女と同じ時を過ごす。それで良いのだと。自分に何度も言い聞かせた。だが心とはそう単純に出来ておらず。それは簡単なことではなかった。
日に日に増していく雪花様への気持ちは膨らむばかり。いつしか、どうにかして雪花様を兄上から奪って私の側に迎える方法はないものかと考えるようになっていた。
『煌運。そなたはいずれ立派な冠帝国の皇太子となり、ゆくゆくは国を背負う皇帝となるのですよ』
幼い頃より母上から聞かされていたこの言葉。最初はそれがどういうことなのか、私は理解していなかった。だが、歳を重ねるに連れて少しずつ理解した。
兄上が皇太子に決まった時、母上は父上に猛反対した。だが、父上は『既に決まったことだ。この決定が覆ることはない』と皇后である母上の考えをはね除けた。それでも母上のお考えは変わらない。
『煌運、待っていなさい。今すぐは無理でもそなたを皇太子にしてみせます。そして、ゆくゆくは国を背負う皇帝となるのですよ』
それを聞いて、私は母上はいつまで皇太子に拘るのだろうか。と呆れていた。
私は皇太子や皇帝には興味がない。ただ雪花様と一緒に居られればそれで十分なのだ。
『母上、皇太子の役目は兄上が立派にお勤めされているではありませんか』
『何を言っているの! そなたは夏家縁の皇子ですよ! 皇帝に相応しいのは煌月ではなくて、煌運! 貴方よ!!』
『私は皇太子の立場に興味はありません』
いつもそうやってキッパリと母の話を断り続けていた。だけど春の宴の後、私の考えは少し変わった。
「煌運、冬家のお妃候補に関わるのは今後一切お止めなさい」
雪花様たちの輪を抜けて、別の場所で母上や万姫様と宴の続きをしている時に、母上に言われた言葉だ。
「何故です? 母上に私の交友関係をとやかく言われたくありません」
「万姫や他のお妃候補ならまだいいわ。けれど、雪花は駄目です」
「………それは、雪花様が冬家の人間だからですか?」
「勿論です。冬家は夏家のご先祖様の人生をめちゃくちゃにしたのですよ。決して許してはなりません。仲良くするなんて以ての外です」
昔から母上は冬家に対してとても冷たく、厳しいお方だった。雪欄様にだって、他の后妃様方とは違ってあからさまに冷たく対応されてきた。
いつだったか、宮女が噂していた。母上が冬家の人間に冷たく当たられるのは、初代皇帝の后妃であった夏家の皇貴妃様の呪いのせいだと。本当は皇貴妃様が皇后になるはずだったのに、冬家の娘に皇后の座を奪われたのだと。
くだらない。
そんな300年も前の出来事を未だに根に持っているなんて、夏家も母上もどうかしている。そんなものを引き合いに出されたって、私には何の意味もない。
「嫌です」
「煌運!」
「私は皇太子の座なんかより雪花様の方がよっぽど欲しい!! だから嫌です!」
勢いのまま言ってしまってから「あっ」と気が付く。
母上や万姫様の前でマズいことを口走ってしまったと後悔した。また母上たちが雪花様に何か仕掛けてしまうかもしれない。雪花様に迷惑を掛けてしまうかもしれない。
私は何をしているんだ。
兄上に“私なら、兄上のように雪花様を危険に晒すようなことはしない。雪花様を兄上より上手く守れます!! 大切に出来ます!!”などと宣言しておいて、その結果がこれか……
何を言われるか怖くて母上の顔は見れなかった。
だが、母上の答えは何時だって揺るがなかった。
「では尚更、皇太子になりなさい」
「はい?」
予想外の言葉に混乱しながら母上を見た。
「煌運が皇太子になって、雪花を貴方のお妃候補にすればいいわ。そして、そなたが皇帝になった暁には后妃の一人として、”妃“の地位を与えるのです。そうすれば、そなたの望み通り雪花が手に入る」
「なっ! それはいけまけん!! 雪花様は兄上のお妃候補です。第一に皇太子は兄上です。今更私が皇太子になれるわけがありません」
「手段はいくらでもあります」
そう告げた母上の目は恐ろしいほどに冷たかった。
「例えば、煌月に皇太子を降りてもらうように仕向けるのです。或いは力尽くで奪うとかね」
「っ!?」
仕向ける? 力付くで奪う?
母上は一体何を……?
恐ろしい考えが浮かんで背筋がゾクッと震える。
「母上、まさか! 兄上を──!?」
「少し脅すだけです。それであの子が皇太子を降りると言ってくれれば良いだけのこと」
本当に少し脅すだけで済むのだろうか?
母上は時々、恐ろしいことを考え付かれるお方だ。雪花様を北の離れに連れて行ったときだってそうだった。
「さぁ煌運、暫く頭を冷やしてよく考えなさい。皇太子となって雪花を手に入れるか、それともこのまま第二皇子として時が来たら煌月に仕えるか、はたまた王宮を去るか」
母上の提案は最初こそ恐ろしかった。だが、こんなこと誰にも相談などできるわけがなく、一人で悩んでいると何だか全てが上手くいくような気がして、そうすると少しずつ己の欲が強くなっていった。
──兄上には申し訳ないが、雪花様は私が幸せにする。
そう心に決めた。