41 頼み事
煌月殿下をお部屋にお通しすると、わたくしの姿を見つけるなり「雪花、大事ないか?」と彼は心配そうに眉を歪めた。
「煌月殿下」
名前を呼べば、目の前に来た殿下がわたくしの右手を掬って大事そうに包み込む。
「ここへ来る途中で煌運に会ったのだが、その時の様子が何やらおかしかったのでな。……先程、鈴莉から事情を聞いた」
「……では、ご存知なのですね。煌運殿下がわたくしに直接好意を伝えに来られたこと」
「あぁ」と頷く煌月殿下。
これは、今まで煌運殿下からの好意をのらりくらりと誤魔化してきたわたくしへの罰なのかもしれない。煌月殿下の弟君とは言え、他の男性に色目を使ったなどと思われてしまったらどうしましょう……と、心の中に言い知れぬ不安が渦巻く。
「そなたは何も心配することはない。煌運は暫く東宮への出入りを禁止することにした。ずっと、煌運がそなたに気があることを分かっていながら、策を講じてこなかった私の責任だ。……すまない」
「そんな……煌月殿下のせいではありません。わたくしも煌運殿下の気持ちに薄っすらと気付いていながら、まだあどけない殿下を傷付けたくないからと、はっきりお伝えして来なかったせいです」
「そうか。では私たちは互いに煌運を思うが故に過ちを犯していたということだな」
そう告げて、殿下は憂いを帯びた笑みをわたくしに向けた。
「煌月殿下……」
どちらか一方ではなく、お互いの過ちにすることでこれ以上わたくしが気にやむことが無いようにしてくださったんだわ。殿下はなんとお優しい方なのでしょうか。
「もう気分は落ち着いたか?」
「はい。鈴莉たちのお陰もあって、何時もとは違う部屋ですが、寛ぐことができています」
頷いたわたくしに「それは良かった」と煌月殿下の表情も和らいだ。
「一先ず、煌月殿下もお寛ぎ下さい。今、お茶を用意させていますから」
「では、少しだけ頂こう。……実はここへ来る前に香麗の所でも茶をよばれて来たばかりなのだ」
「まぁ、そうでしたか」
明霞が殿下を椅子へ誘導する。
こうして、わたくしたちは机に向かい合って座った。少しして香りの良いお茶が運ばれて来る。
「宴の席でそなたの元気がないように見えてな」
恐らく、話が続かなくて何もできずにいたわたくしの顔が暗く見えたのでしょう。
「……ご心配をお掛けしてすみません。大したことではないのです。単に宴の席で気の利いた会話を続けることが出来なかった自分自身が不甲斐なくて、少し気落ちしていただけですから」
「そうか。だが、焦ることはない。まだ始まったばかりだ」
「はい。わたくしなりにここから頑張りますわ」
にこっと笑顔を見せると、煌月殿下も微笑み返して下さる。
「思っていたより元気そうで安心した。……宴の直後で疲れている所に申し訳ないのだが、そなたに頼みたい事があるのだ」
「頼みたい事……ですか?」
煌月殿下がわたくしに頼みたい事なんて。こんな風に直接頼りにされるのは初めてだわ。と、わたくしは身を引き締める。
「先程、雪花の元へ来る前に香麗の所へ寄って来たと言っただろう」
「はい」
「彼女も宴の席で元気がないように見えたのでな」
「まぁ、煌月殿下もですか? 実はわたくしも宴の席での香麗様の様子は気になっていました」
「そうだったか。そのことで何か悩んでいるのかと思って本人を訪ねてきたのだ」
煌月殿下が仰るには、香麗様にもわたくしと同じ様な質問をされたようだ。
『ご心配をお掛けしました。ですが、大丈夫です。わたくしは何としてでも煌月殿下の正妃になりたいので、落ち込んでばかりいられませんし。それよりも殿下にお願いがあります。殿下が冬宮へ毎日通われているように、わたくしの春宮にも毎日通っては頂けませんか? お忙しいのは分かっています。 ですが、一目で良いのです! どうか!! お願い致します!!』
香麗様は煌月殿下に縋るように頼んで、それから土下座までされたそうだ。
「そんなことが……?」
「あぁ。憂龍や春宮の女官である深緑と共に直ぐ辞めさせたが、香麗が必死に訴えてきたのだ。焦りからなのだろうが、何処か思い詰めているようにも見えてな」
確かに、お妃候補であれば誰もが煌月殿下の正妃の座を手に入れたいと願っているでしょう。
けれど、土下座をしてご自分の尊厳をかなぐり捨てるようなことをされるとは、よっぽどのようだ。
「本来、同じお妃候補の雪花に頼むことでは無いのだが、この後宮で香麗と一番仲が良いのはそなただと思うのだ。問題を解決してくれとは言わない。だが、香麗の心の内にある重い荷物が軽くなるよう、共に時間を過ごし、出来ることなら話を聞いてやってはくれないだろうか?」
「……」
今、わたくしたちお妃候補は正妃の座を懸けた争いを始めたところだ。香麗様を元気付けることは敵を援護する様なもの。やらない方が賢明な判断でしょう。
けれど、これは煌月殿下からの頼みでもある。それに、香麗様とは刺繍を通して何度かお茶をご一緒している。その時間はわたくしにとって楽しい時間でもあった。
「分かりました。わたくしに何処まで出来るかは分かりませんがお引き受けします」
「ありがとう雪花」
答えると煌月殿下はホッと表情を和らげた。
「ところで煌月殿下、少し気になったのですが……」
「何だ?」と殿下が首を傾げる。先程の香麗様と殿下のやり取りを聞いていて、一つ疑問に思ったわたくしは勇気を出して確かめる。
「煌月殿下が毎日宮を訪ねてくださっているのは、冬宮だけなのですか? その、……他のお妃候補の宮へは…………?」
ドキドキと緊張からなのか、胸の鼓動がうるさい。わたくしが自意識過剰なだけかもしれないと思うと、恥ずかしくもある。
「あぁ、そのことか」と殿下が呟く。
「雪花の思っている通りだ。私が毎日宮を訪れているのはこの冬宮だけだよ」
「ほ、本当なのですか……?」
驚いて聞き返すと、「本当だ」と返事が返ってくる。
わたくしはてっきり、他の宮にも毎日訪れていらっしゃるものだと思っていましたわ。
「あの、煌月殿下? ご無理をされているのでは? ご公務も忙しいでしょうし、無理に毎日お越しくださらなくても良いのですよ?」
「前にも言ったと思うが、私がそうしたいのだ」
そう言いながら、殿下がいつも下さる白のマーガレットの花をわたくしに差し出す。
“前にも”……あぁ、そう言えば雪が降っていた冬の日に似たようなやり取りをしましたわね。
「ありがとうございます」と花を受け取りながら、頬が熱くなっていく。
「雪花は何も気にすることはない。私がそなたに会いたくて来ている」
「嬉しいです。……そこまでして煌月殿下がわたくしに会いたいと思ってくださっていることが、とても嬉しいです」
素直な気持ちを口にすると、煌月殿下が少し照れたように視線を外した。
「あ、あぁ、そうか。…………それはそうと、マーガレットはそろそろ時期が過ぎるからな、次に来る時は別の花を用意する」
スクっと立ち上がった煌月殿下が急に話題を変えた。何時もとは様子が違う。本当に照れていらっしゃるようだ。
「では、楽しみにしています」
お戻りになるのが分かったので、わたくしも立ち上がると煌月殿下を見送った。