4 妃宮に呼ばれた理由
「雪欄様、雪花が参りました」
「入るがよい」
冠帝国の皇帝陛下とその后妃が住まう王宮。その中にある後宮の“妃宮”の主である冬 雪欄様の許可を得て、わたくしは室内に足を踏み入れる。
雪欄様はわたくしのおじい様のご兄弟夫婦の娘で、現皇帝陛下の后妃として“妃”の地位を賜っていた。
四大家門の娘が皇帝陛下の后妃になると上から皇后、皇貴妃、貴妃、妃に振分けられる。つまり、四大家門の中では一番位が低い妃だ。因みに、皇帝陛下が四大家門以外から妃を娶る場合、その下の賓の位が与えられる。
「掛けなさい」
許可を得て雪欄様の向いの椅子に腰を下ろすと、一緒に着いてきた鈴莉が部屋の隅に控える。すると、薄浅葱色の衣を着た雪欄様付きの宮女によって机の上にお茶が用意された。
薄浅葱色の衣は、後宮において冬家の妃やお妃候補に仕える者に与えられる色だ。雪欄様付きの女官たちが控える場所に鈴莉が並んでいるのを見て、少し不思議な気分がした。
「何故ここに呼ばれたか分かるか?」
「……分かりません」
いつもより低い声の雪欄様に、わたくしは緊張を覚える。呼ばれた理由を考えたけれど、すぐ思い付くことはない。
──いいえ。あると言えばあるわ。
先日の万姫様とのお茶会のこと。
けれど、まさか……?
「皇后陛下から苦情が来ました。そなたのことで万姫が相談に来られて、心を痛め嘆いておられたと」
「え? 相談? 嘆く……?」
どういうことか分からず、キョトンとしていると、雪欄様が声を張り上げる。
「そなたが起こしたことであろう!? 雪花! 惚けるのはよしなさい!!」
「!?」
あまりの迫力に、わたくしはビクッと肩を跳ねさせた。
雪欄様がこんなに怒っていらっしゃる姿を見るのは初めてだった。
「………………と、説教するよう皇后陛下に言われたが、大方あちらの娘が大袈裟に伝えたのでしょう」
ボソッと雪欄様が付け足して「はぁ……」とため息をつく。わたくしも無意識の内に息を止めていたようで、安堵した途端ホッと息を吐いた。
「雪花、そなたにも思うところがあるだろう。だが、万姫の言い分も一理ある。年長者や位が上の者は敬うものです」
「……はい、雪欄様。分かっております」
「ただでさえ、後宮において冬家は他家の者から下に見られている。そなたの振る舞いは、そなただけでなく、わたくしにも影響を及ぼす。そのことを心得てもらわねば困る」
「……申し訳ありません」
「今の冬家の当主がそなたに何を期待しているのか、大体想像は付く。自分の娘が後宮入りを拒んだからそなたを寄越したこともな。だが、冬家の娘や冬家縁の娘を後宮に送ったところで、後宮の序列において冬家が下位から動くことはない! あの馬鹿はそれを知らぬのだ!!」
雪欄様が叔父様を“馬鹿”とお呼びになったわ……
意外な一面に目を丸くしていると、それまでプンプンと怒っていらした雪欄様の目元が、ふっと優しくわたくしを見つめた。
「雪花、この冠帝国300年の歴史で、冬宮から皇后に選ばれたのは初代皇帝の時代だけだ。……一人だけ皇貴妃になった者もいると聞くが、どんなに頑張っても精々貴妃止まり。つまり、わたくしたちがここで穏やかに暮らしていくためにはどうすべきか、分かっているな?」
どんなに努力しても、冬家または冬家縁の娘の運命はほぼ決まっている。雪欄様は遠回しにそう仰った。
わたくしも雪欄様と同じ考えでここにいる。
「はい。目立たず、騒ぎを起こさず、静かに暮らすことを目標に日々過ごしています」
「そう。分かっているならそれで良い。そなたもこの一件で分かったであろう。夏家は欲の強い者たちだ。どんな手段で他家を陥れるか常に戦略を巡らせている。早速、そなたには後宮の奥にある北の離れで一週間の軟禁が命じられている」
「へ……?」
予想外の沙汰に間抜けな声が漏れる。
軟禁!? そもそも、そんなことで罰が下だされることも驚きだわ。
「これでも軽い方なのだ。夏家の者からの申し出とはいえ、皇太子殿下は皇貴妃の子。皇后陛下はご自分の子ではないが故に、後宮の品位を乱したことに対しての罰を軽くされたのでしょう」
「そんな……! わたくしは何も!!」
わたくしが声を上げると、部屋の隅でこの状況を見ていた鈴莉が少し前に出て、慌てて口を挟む。
「恐れながら雪欄様! 私もあの場におりましたが、雪花様は決して品位を乱すような発言や振る舞いはなさっていません! 何かの間違いです!!」
「黙りなさい! 女官ごときが皇后陛下の決定に異議を唱えるなど! 身を弁えよ!!」
雪欄様が鈴莉を嗜めて立ち上がると、落ち着いた声でこう告げた。
「雪花、そなたは万姫に目を付けられていることを忘れてはならぬ。万姫はそなたが年長者や位が上の者を敬うことを拒否したと申したのだ」
「!」
確かに、わたくしは胸の内ではお妃候補として、まだ同じ立場の万姫様を特別敬ったり気遣ったりすることは出来ないと思った。けれど、肯定と受け取れる返事をしましたのに……
わたくしは慌てて立ち上がって雪欄様の傍に寄る。
「雪欄様! わたくしは品位を乱すようなことなど……!!」
「同じことを言わせるでない!!」
「……っ!」
雪欄様の瞳は本気だった。怯んで何も言えなくなったわたくしは、力なく腕を落とす。
わたくし、万姫様に嵌められたんだわ……
サァッと冷たい何かが、わたくしの心に流れてくる。
「兎に角、これは決定事項だ。この一件で後宮内でそなたを見る目は厳しくなるだろう。暫く離れで頭を冷やして考えなさい。……これからどうやってここで生きていくのか」
雪欄様がわたくしに一歩近づくと、こっそりわたくしの衣に何かを忍ばせながら耳打ちする。
「わたくしの時と似ているわ。気を付けなさい」
え? と驚きで口を開けるわたくしに雪欄様は身を離す。
「話は以上だ」
雪欄様がそう言うと、雪欄様付きの女官が外に待機していた宦官に声をかけた。
「雪花様をお連れして」
藤紫の衣……
藤紫は皇帝陛下と皇后陛下付きの者に与えられる色。この宦官はきっと皇后陛下付きの宦官だわ。
「こちらへ」
声を掛けられ、腕を掴まれて歩き出す。
「雪花様っ!!」
鈴莉が別の宦官に押さえ付けられ、身動きが取れないままわたくしを呼んだ。
「鈴莉! 一週間なんてあっという間よ! わたくしは大丈夫だから! 冬宮で待っていて!!」
*****
宦官に連れられて北の離れに着くと、わたくしは直ぐに部屋に閉じ込められた。
部屋の中は質素で小上がりの畳の上に机と布団が置かれているだけだった。随分と埃っぽいことから暫く使われておらず、手入れも行き届いていないらしい。
下級女官と同じか、もしくはそれ以下の扱いかも知れませんわね。
その証拠に、薄暗い部屋の隅にはあちこちに蜘蛛の巣がある。けれど、仕切りを隔ててすし詰め状態の狭い個人スペースで過ごす彼女たちに比べれば、一室丸ごとわたくし一人で使えるだけ有り難いのかもしれない。
ここは仕置きや罰で隔離するための部屋のようだ。外にはわたくしを連れてきた見張りの宦官が二人。暖を取れる物といえば布団ぐらいかしら?
はぁ、とため息を付くと、わたくしは履物を脱いで布団の上に身を預ける。いつものふかふかのベッドとは違い、薄く硬い。
コロンと寝返りを打って天井を見上げると、煌月殿下の顔が浮かんで、今朝のことを思い出す。
いつもは昼餉のあとの二〜三時間後に訪ねてくる殿下が、今日は珍しく朝から冬宮を訪ねて来たのだ。
「煌月殿下。こんなに朝早くにどうされたのですか?」
「午後から東部地域の東上灯へ向かうことになってな」
東上灯は、秋宮に入ることを許される豊家の治める地域だ。
「近頃、国境は落ち着いているが、南部との境の街で暴動が頻発しているらしい」
「では、煌月殿下が自ら仲裁役を?」
「そうだ。ついでに豊家の者と顔を合わせることになっている」
つまり、まだ来ていない秋宮のお妃候補者を早く決めるよう、催促も兼ねているということだ。
そのうち後宮に人が増えるかもしれない。そう考えると、一瞬モヤッとした気持ちがわたくしの中に生まれた。
「馬で三日かかる距離だ。あちらに四日ほど滞在するので、十日ほど留守にする」
「……そうなのですね。長旅、どつかお気を付け下さい」
「ああ、ありがとう」
わたくしが後宮に入ってから、殿下が長らく留守にされるのは初めてだ。
暫くは煌月殿下がこうして訪ねて下さることもないのね……
そうと思うと、お妃候補として試されているわたくしとしては開放感があった。けれど、同時に寂しさも感じた。
わたくしの中で煌月殿下がこうして毎日顔を合わせに来てくださることが、習慣になっているからかしら?
「ところで雪花、昨日の茶会はどうだった? 万姫は菓子を喜んでくれていたか?」
「はい。煌月殿下が仰った様に、わたくしの故郷の菓子を万姫様に差し上げました。折角だからとお茶菓子に加えて頂き、そのままご一緒しましたよ。昨日は万姫様と初めて沢山お話ができました」
「そうか。それは良かった。冬家と夏家は…………いや、そなたと万姫は歳が離れているが故にぶつかるかもしれぬと考えていたが、杞憂だったか」
「……? ……殿下?」
今、煌月殿下が何かを言いかけていたような? それに、冬家と夏家は……何でしょうか?
「何でもない。私が勝手に案じていただけだ」
煌月殿下の手がわたくしの頭を軽く撫でて、そのまま頬に滑り落ちてくる。
何だか、擽ったい。
「髪飾り、よく似合っている」
煌月殿下の視線が先日殿下から戴いた白い椿の髪留めに向けられる。
“似合っている”なんて、人から褒められたのは家族を失って以来、煌月殿下と鈴莉にしか言われたことがない。髪飾りを贈ってくださった時も褒めてくださったけれど、今回は前回のような社交辞令とは違う。改めて褒められるなんて思っていなくて、少し擽ったかった。
「……ありがとうございます」
ほんのり恥ずかしさを感じていると、煌月殿下が柔らかく微笑んでわたくしを見つめた。
「用が済んだらなるべく早く戻る。少し寂しくさせるかもしれないが、帰ってきたらまたそなたの話を聞かせてくれ」
「はい。お気を付けて行ってらっしゃいませ」
そんな会話を最後に殿下は出発された。
まさかこんなことになるなんて…………
煌月殿下が戻る頃には、わたくしは冬宮に戻っている。けれど、とても驚かれるでしょうね。
もしかすると、軽蔑されるかもしれませんわ……
あの優しい眼差しを向けてくださることも、頻繁に冬宮を訪ねてくださることもないかもしれない。
衣の襟をぎゅっと握る。
わたくしの望みはこの後宮で目立たず、騒ぎを起こさず静かに生きること。殿下に嫌われようと、その目的が果たせるならそれで良い。そう思っていた。
それなのに、どうしてこんなに苦しく思うのかしら? 久しぶりに鈴莉以外の人に優しくしてもらったから?
脳裏に家族と過ごした日々が浮かぶ。喧嘩して言い合うこともあったけれど、思い出すのは温かくて楽しくて、幸せな日々ばかりだった。あの頃のわたくしは家族を愛していたし、家族からも愛されていた。
……今更、また誰かに愛されたいなんて思っているのかしら?
後宮は権力と欲と嘘で塗り固められている場所。
後宮での優しさや愛なんて、……ただの心地よい幻だわ。
それにしても……と考える。
煌月殿下が言いかけていた“冬家と夏家は…………”という言葉。あの続きは何だったのかしら?
何もすることがないわたくしは暫く天井を見上げながら、そんなことを考えた。