39 秘密の恋人
沢山思い出を作ろう! と決めたわたくしたちは、永福と二人で日帰り旅行へ行った。
朝早くに“今日一日出掛けます”と置き手紙を残して、こっそり本家を抜け出して行った永福との旅行はとても楽しくて。『このまま二人で逃げ出そうか?』なんて彼が言って、夕日を見ながら永福と初めて口付けを交わした。
ずっとこの時間が続けば良いのに。そう願った。
本家の屋敷に帰ると、ご当主様にそれはそれは怒られた。お父様とお母様も泣いて怒って、それからわたくしをぎゅっと抱き締めてくれた。
昼間、桜家はわたくしを捜す為にバタバタとしていたようだった。沢山、心配を掛けてしまって申し訳ない気持ちになったけれど、後悔はなかったわ。こうでもしないと、永福と出掛けることは出来なかったから。
わたくしと永福の関係は誰にも言えない秘密だった。お妃候補として後宮へ上がることが決まっているわたくしが、他の男性とお付き合いしている事実は知られてはいけない。
こうして秘密を守りながらわたくしたちは週に3~4回の頻度で逢瀬を重ねた。けれど、わたくしの後宮入が近づく程、それも難しくなっていった。
『香麗、毎日夕方に出掛けることは構わんが、度々帰りが遅いのはどういうことだ?』
ある日、とうとうご当主様から呼び出しされてしまった。永福と会っている日を誤魔化すために、彼と会わない日も出掛けていたわたくしだったけれど、どうしても永福と会う日は時間が過ぎるのが早くて帰りが遅くなってしまう。
『申し訳ありません。……つい時間を忘れて過ごしてしまうのです』
『以前、そなたが行き先も告げずに一日家を空けて、家門総出で探し回った件もある。あまり遅いとこちらも心配だ。そなたは後宮へ上がる身。これからも続くようなら、人を付けさせることや外出を禁止することも考えなくはいけない。何方にせよ、心しておくように』
今まで自由が許されていた夕方の自由時間。それがなくなってしまうかもしれない。ある程度の自由を与えてくださる寛大なご当主様に目を付けられるぐらいには目立ち過ぎてしまったようだ。
自由時間の外出に使用人が付いて来ることになっては、たまったものではない。ましてや外出禁止だなんて以ての外だわ。永福との関係は長年わたくしに仕えてくれている深緑にも秘密にしているのだから。
このままでは永福と会えなくなってしまう。
翌日、わたくしはご当主様に言われたことを永福に伝えた。相談した結果、一緒に居られる時間が限られているわたくしたちは、少しでも長く二人でに過ごすために、いつもはバラバラに帰路を目指していたけれど、途中まで一緒に帰ることにした。
少しずつ、けれど確実に季節は過ぎていった。そして、遂にわたくしが後宮へ向かう日がやってきた。つまりは永福とのお別れの日だった。
『香麗様、これを』
出発前、本家に幼なじみとして見送りに来てくれた永福は、わたくしに細長い小さな紙を渡した。
『栞を作ったんだ。香麗様は花が好きだし、本をよく読むから、後宮へ上がってからもずっと使えるかと思って』
そこにはあの日、永福がわたくしに贈ってくれた小さくて可愛らしい薄桃色の花が押し花にされていた。
“好き”、“貴方を想っています”そんな永福の気持ちが込められているのが伝わってくる。
『ありがとう。……ずっと、ずっと大切にするわ』
“貴方へのこの気持ちを”
そんな想いを込めてわたくしは答えた。
『わたくし、必ず幸せになります。後宮へ上がるからには正妃の座を手に入れてみせるから、見守っていてね』
最後にそんな約束をして永福と最後の別れを終えた。
*****
「深緑、読みかけの本を取っくれる?」
寂しさと心細さが込み上げてきたわたくしは、自然とそう口にしていた。頼むと深緑はすぐに目当ての物を持ってくる。
「香麗様は集中されたいようだから、貴女達は下がりなさい」
深緑が部屋にいた他の女官や宮女に声を掛けると、みな部屋を出て行く。
「え? どうして人払いを?」
いつもなら、彼女はこんな事しないのに。と不思議に思っていると、他の女官や宮女が部屋の外へ出たのを確認して、彼女がため息をつく。
「香麗様が本当に用があるのは本ではなく、本に挟んであるその栞だからですよ」
「え……」
どうして分かったのかしら?
「後宮へ来てからというもの、元気が無いときの香麗様は必ず本を手に取って栞を眺めていらっしゃいますから」
「元気が無い? ……わたくしが?」
「永福様の事ことを思い出しておられるのですよね?」
言い当てられて少し動揺してしまう。
「な、何で……」
「私が何年香麗様にお仕えしていると思っておいでですか? 旦那様も奥様もお二人の関係はご存知でしたよ」
「えぇっ!?」
驚くわたくしを他所に深緑はさも当たり前のように語る。
「幼い頃から香麗様と永福様が一緒におられる姿を見てきたのです。当然ですよ」
「では、お父様とお母様は……わたくし達の関係を知っていて黙ってくださっていたの?」
「はい」
「でも、そんなこと……」
直ぐには信じられなかった。後宮へ上げる娘が内緒で恋人を作っていると知ったら、両親は本家のご当主様に知られるこを危惧して、別れさせようとすると思っていたからだ。
困惑するわたくしに深緑が話を続ける。
「旦那様と奥様は恋愛の末に一緒になられたとお聞きしています」
「えぇ。わたくしもそう聞いているわ。とても珍しいわよね」
4大家門の分家筋とは言えど、婚姻を自由にするのは難しい。両親か、ご当主様が決めた相手と政略的に婚姻を結ぶことが、昔から当たり前に行われてきたからだ。
まれに幼なじみとして育った二人の仲の良さを見て決められることもあるようだが、それは相手の家柄が申し分ない場合の話だった。
「旦那様と奥様は、本当は香麗様にも好いた方と一緒になって欲しかったんだと思います。香麗様が永福様と一日外出された時、旦那様と奥様は桜家のご当主様を説得されていました。“娘は必ず戻るから、一日だけ許して欲しい。どうか信じてやって欲しい”と」
「お父様とお母様が……」
そんなこと、知らなかったわ。わたくしの為に当主様を説得してくださっていたことも、永福とのことを分かっていて黙ってくれていたことも……
脳裏に優しく笑うお父様とお母様が浮かぶ。
「お二人は香麗様をとても大切にされていましたから」
両親の温かい思いに触れて、じんわりとした優しさに包まれている気分になる。わたくしは目尻に浮かんできた涙をそっと指先で拭った。
「感謝しなくてはいけないわね……」
ポツリと呟いた言葉に深緑が「はい」と頷いた。その直後、控えめに部屋の扉がノックされる。
「香麗様、お取り込み中に申し訳ございません。煌月殿下がいらっしゃいました」
「え? 煌月殿下が……?」
今日は儀式で一度お会いしていたから、わざわざ春宮を訪ねていらっしゃると思っていなかった。それに、儀式後の食事の席でわたくしは殿下と何もお話できなかったのに、どうしてかしら?
「お通しして」と声を掛けて、わたくしは殿下を部屋の中へ招き入れた。