37 雪花と香麗の心境
儀式も食事も終えて会がお開きとなり、わたくしは真っ直ぐ冬宮へ戻ってきた。
何も出来なかったわ…………
わたくしも少しばかり皇帝陛下や煌月殿下とお話したけれど、会話はすぐに終わってしまった。失敗するようなヘマもしなければ、梨紅様のように煌月殿下や皇帝陛下のお心に残るようなお話も出来なかったわたくしは焦りを覚える。
今日は梨紅様がとても目立っていたわ。その次は万姫様ね。……といっても、万姫様は少し悪目立ちしたような印象もあるけれど、どうかしら?
そういう意味では香麗様もわたくしと同じ様に静かだったわね。彼女も今頃、わたくしと似たような心境なのかしら……? そう言えば、時間が経つに連れて何処か暗いご様子だったし、相槌を打つばかりでご自分のお話は一つもされていなかった気がするわ。
「雪花様、難しいお顔をされているようですが、何かありましたか?」
明霞が眉をハの字にして心配そうにわたくしを見つめていた。流石、明霞は自ら志願して冬宮付きの宮女になっただけのことはある。まだ冬宮に来て間もないのに、わたくしの変化を見逃さなかった。
「何もないの。……いいえ、何も出来なかったから焦っていると言った方が正しいわね」
それを聞いて、鈴莉が「雪花様」と小さく呟いた。一緒にあの場にいた女官たちはみな一様に、複雑そうな表情を浮かべる。
「何か気分が軽くなるような香りの良いお茶をお持ち致しましょうか?」
明霞の提案に「お願いするわ」と答えると、一礼した彼女が奥へ消えていく。
「……雪花様、もう過ぎてしまったことは仕方ありません。これからどうするか考えましょう」
鈴莉が冷静に提案すると、蘭蘭と麗麗がそれに続く。
「そうです! 梨紅様はまだ後宮入りされたばかり。だから皆様気になって仕方なかっただけですよ!」
「不安になることはありません! 煌月殿下と過ごされてきた時間は雪花様の方が長いのですから!!」
元気付ける言葉を掛けてくれる二人。この先どうなるのかは誰にも分からない。けれど、重く沈んでいた気持ちが少し軽くなる。
「そうですわね。このくらいで凹んでいてはこの先、煌月殿下の正妃なんて目指せないものね」
空元気ではあるものの、安心させるように笑顔を浮かべる。それだけで冬宮に帰ってきてからのわたくしたちの様子に、宮女たちが何かを察して重くなっていた部屋の空気が少し軽くなった気がした。
「雪花様、お待たせしました」
奥から戻ってきた明霞がわたくしの目の前に淹れたてのお茶を置く。お茶の香りがふわりと鼻腔をくすぐって、ホッと心が落ち着いていく。
少しの変化にも気付いてくれる者、わたくしを元気付けてくれる者、そしてわたくしの側に長くいてわたくしの事をよく分かってくれている者。
わたくしは周りの人に恵まれているわね。
そう思うととても心強かった。
*****
同じ頃、春宮へ戻ってきた香麗は暗い顔をしていた。
後宮へ来た以上、わたくしは煌月殿下の正妃になることを目標に頑張ってきた。
──────つもりだった。
ご実家が大きな権力を持つ夏家で、後宮においては後ろ盾が実質のところ皇后陛下である万姫様。そして、ご実家の権力は小さいものの、煌月殿下が毎日お会いされるほど、大切にされている雪花様。
思い出すのは、煌月殿下と雪花様の3人で冬宮の庭を散策した時に聞いた雪花様の言葉。
『お忙しい時でも毎日会いに来て下さるので、遅い時間での訪問は少し心配になりますけれどね』
嬉しそうに笑う雪花様に胸が痛んだ。煌月殿下はわたくしの元には2、3日に一度しかいらっしゃらないのに、雪花様の元には毎日通っていらっしゃるの? と。
お二人だけでも手強いと思っていたところに、始まりの儀で今日初めてお会いした梨紅様はそれ以上に手強いお方だった。
このままでは駄目だわ。わたくしは負ける訳にいかない。何としてでも、煌月殿下の正妃の座を手に入れなければ!
永福……
心の中で呟けば、脳裏に浮かぶのは大好きな幼なじみの笑顔だった。わたくしは永福への気持ちを諦めてまで後宮入りした。正妃になれないのなら故郷へ帰りたい。けれど、桜家の代表として後宮へ送られた以上、当主様はお許しにならないでしょう。
はぁっとため息を吐いて、わたくしは自身の後宮入が決まったばかりの頃を思い返した。