3 万姫様からお誘い
「雪花様、夏宮の万姫様から文が届いております」
わたくしは窓辺の長椅子に座りながら、鈴莉から渡された文を広げて中を確認する。最後まで読んで「はぁ」と、一つため息を付いた。
「明日のお茶会に呼ばれたわ」
「では手土産を用意しませんとね」
「そうね……」
呟いて外の景色を見る。一昨日降っていた雪は止んだものの、気温が低いため外はまだ雪景色のままだった。
「気乗りしませんか?」
心配そうに尋ねてくる鈴莉に「えぇ」と頷く。
「だって、万姫様とは後宮の催し以外でお目にかかったことがありませんもの。お話ししたのだって、たった数回……。あの方のこと、何も知らないわ」
「ですが、お優しそうな姫君でしたよね? 雪花様のこと気にかけてくださっていますし」
「だからよ。まだ彼女の上辺しか見ていないでしょう?」
優しいと思っていた叔父様は虎視眈々とお父様やお母様、そしてお兄様の命を奪う機会を狙っていた。
あれ以来、わたくしは他人に良いところしか見せていない人を直ぐには信じられなくなった。
「それに、まだ公式的な場でしか会ったことがないもの。二人で会ってうまく話せるか不安だわ……」
「雪花様……」
わたくしが叔父様の家で養女として過ごした日々は、後宮に上がるための稽古漬けの毎日だった。王家の歴史や後宮のしきたりに作法、それから一般的な教養に読み書き等、それらは多岐に渡った。
だから誕生日の宴以外、わたくしには他の家との交流が殆どなかった。
叔父様はわたくしを後宮に上げるため、上辺は優しくしてくれたけれど、内心は厄介に思っていたかもしれない。現にわたくしは叔母様から厄介者扱いされていた。
衣衣は最初こそ昔のように接してくれたけれど、両親の態度で悟ったのだろう。次第に家の中でわたくしの扱いは雑になっていった。
満たされない日々だった。本当の両親が恋しかった。
生前のお父様にも一度「後宮へ上がるか?」と聞かれたことがあった。けれど、わたくしの意志を尊重して“他を当たる”と言って下さったのだ。
お母様もお兄様も、わたくしのことで何かを始める時はわたくしの気持ちを尊重して下さったものだ。勿論、全てが思い通りになる訳ではない。けれど、ちゃんと訳を話してくださった。
「雪花様にはこの鈴莉が付いております。気持ちを強くお持ちください! もし、お茶会で万姫様とお話されるのが辛く感じるようでしたら、今後は無理にお誘いに参加される必要はありません」
「……鈴莉、貴女にはいつも心配掛けるわね。ありがとう」
鈴莉のお陰で少し気が楽になる。
そうだわ。もし万姫様と気が合わなかったら、少しの間お誘いをお断りすればいいのよ。まぁ、流石にいつまでも全てのお誘いをお断りするわけにはいかないけれど。
「鈴莉、明日の手土産、何が良いか一緒に考えてくれる?」
「勿論です!」
鈴莉の気合いが入った返事に頼もしさを感じる。
「何やら楽しそうだな」
低く透き通った声がしてそちらを見る。
スッと鈴莉が後ろに控えた。わたくしも立ち上がってその人物を迎える。
「煌月殿下、お越し下さりありがとうございます」
「何の話をしていたんだ?」
「明日、万姫様からお茶会のご招待を頂きまして、鈴莉と手土産の相談をしておりました」
わたくしの隣に並んで長椅子に腰掛けた殿下に合わせて、わたくしも腰掛ける。
「万姫が茶会を?」
「はい」
「それは良いな」
「初めてのお誘いで緊張していますが、楽しみたいと思っております」
「私はそなたたちが仲良くしてくれることを、そなたらを妻として迎える身として嬉しく思う」
スッと殿下の手が伸びてきて、わたくしの頭を撫でた。
「で、殿下……?」
その行動に戸惑いながら殿下を見上げると、彼が微笑む。
「して? 手土産は決まったか?」
「いえ、まだこれからです」
「では、私も一緒に考えよう」
「え!? 殿下がですか!?」
「こう見えて贈り物は得意なつもりだ」
そう言って、側仕えの宦官に目配せすると花を手に取る。それは髪飾りの前にも送ってくださった白のマーガレットだった。
「ありがとうございます。殿下」
「煌月だ。また忘れているぞ?」
指摘されてハッと気づく。気を抜くとつい“殿下”とだけ呼んでしまう。
「煌月殿下、その……まだ呼び方には不慣れでして。申し訳ありません……」
「ゆっくり慣れてくれればよい。して、万姫への手土産を考えるのだったな」
その後、煌月殿下は時間の許す限り一緒に万姫様への手土産を考えてくださった。
*****
「万姫様、本日はお招き頂きありがとうございます」
「ようこそおいでくださいました。雪花様」
にこやかな笑顔とともに万姫様はわたくしを出迎えてくれた。
「こちら、つまらないものですが私の故郷で流行っている菓子をお持ちしました」
告げて目配せすると、鈴莉から万姫様付きの女官に手渡してもらう。
「まぁ! お気遣いありがとうございます! ではこちらの菓子も机に並べて一緒に頂きましょう!!」
万姫様と向かい合って座る。早速緊張しているわたくしは何を話して良いか分からなくなっていた。
「雪花様とは一度こうしてゆっくりお話ししてみたかったんですの!」
万姫様はふふふっと笑みを浮かべると、嬉しそうに茶を一口啜った。
「ありがとうございます」
「ほら、わたくし一番最初に後宮入りましたでしょう? 早く誰か来ないかと待ち侘びていましたのよ。そしたら雪花様がいらして!! でも雪花様ったら、待っていても中々お声がけしてくださらないんですもの。我慢しきれなくてわたくしの方からお誘いしてしまいましたわ」
「え……」
スッと万姫様の目が細められる。
これは、どちらの意味かしら? 言葉通り受け取って良いのかしら? けれど、”あとから入ってきたのだから、貴女からお誘いすべきでしょう?“と言う意味にも取れるわ。
「……それは気が利かず、申し訳ありませんでした」
「わたくしは良いのですよ? けれど、ねぇ。……ほら長幼の序という言葉がありますでしょう?? 年長者は敬っていかなければ、きっとこれから後宮入りされる方の中には気になさる方もいらっしゃると思うの」
年長者……。わたくしは十四歳、万姫様は十七歳。つまり、わたくしは万姫様を敬う立場にあると言いたいのですね。ですが、それはわたくしも分かっているつもりです。
考えている間も彼女の言葉は続いていく。
「勿論、身分やお家柄も大事ですわ。ですから今後はお気を付けくださいね?」
夏 万姫様。南部地方を納める夏家のご息女で彼女の祖母は大長公主。つまり、現皇帝陛下の伯母であり、王家とは親族に当たる。
桜家、夏家、豊家、冬家の四大家門の中で一番広い土地を納めている彼女の実家はとても裕福で力があった。
皇太子の妃選びの名目で集められるのは、四大家門に縁のある娘のみ。それぞれの家門の当主や皇太子、または現皇帝の妃たちからの推薦によって選ばれる。だが、この中で皇帝陛下の隣に立つ皇后に選ばれるのは、ただ一人。
中でも歴代で最も皇后に選ばれてきたのは夏家の娘だ。次に豊家、桜家、そして最後が冬家。
この皇后選びは家門の持つ財力や権力が一番に影響を及ぼす。それ以外にも当主の王家に対する忠誠心や信頼、それから姫君の品格等、様々な要素が評価に繋がる。
最終的には皇太子のお心に寄るものとされているが、やはり一番は家門の財力と権力がモノを言う。つまり、万姫様は年齢と家柄を理由にわたくしに“自分を敬うように”と、遠回しに忠告していることになる。
万姫様、貴女はそういう方なのですね。
彼女は皇太子の妃として、皇后の座に一番近いのは自分だと言葉で表しているのだわ。
「万姫様、お心遣いありがとうございます。同じお妃候補としてしっかり心に留めておきますわ」
わたくしは“同じ”という言葉を強調して笑顔を作る。
夏家のご息女とはいえ、まだ彼女は何者でもない。年長者としては当然敬う。けれど、ここで「はい、分かりました」なんて言えば一生彼女の言いなりにされてしまうでしょう。ですから、皇后が誰になるか確定するまで、わたくしはどのお妃候補にも過剰にへりくだるつもりはない。
後宮では様々なことが起こる。今からそんなことに気を配るのは疲れるだけだわ。
そんな意志を込めて返事をした。すると、一瞬目を見張った彼女が「まぁ! 雪花様ったら分かりやすいお方ですわね!!」と笑った。
この瞬間、お互いに皇后の座を巡る戦いが”始まった“と悟ったに違いない。互いに愛想笑いを浮かべながらわたくしもお茶を啜る。
だから後宮は嫌だった。こんな争いに巻き込まれたくは無かったのに。と、胸のうちにモヤモヤが広がる。
煌月殿下は素敵な方だ。初陣で“逆らった敵国の女や子どもを惨殺した”との噂から、帝国外での評判は良くない。国内でもその賛否は分かれている。
“帝国のために心を鬼にして戦う良き皇太子だ!”と言う者もいれば、影で“冷酷無慈悲な皇太子”と呼ぶ者もいる。何を隠そう、わたくしの叔母様もその一人。
それでもわたくしは、煌月殿下を噂の冷酷慈悲な皇太子とは思えなかった。
四大家門の中では最も底辺で、財力も権力もないわたくしの冬宮を毎日訪ねて下さる殿下。例えそれが皇太子としての義務だとしても、わたくしに花の贈り物や髪飾りを贈ってくださる。
こんなわたくしに優しく話してくださる煌月殿下が、力のない女や子どもを惨殺するようには思えない。
ここで過ごすうちに、わたくしはそう感じる様になっていた。少なくとも良い噂しかない人だったら、殿下は何か裏がある人ではないか? と疑っていただろう。
この王宮で悪い噂があることは、必ずしも悪いことばかりではない。噂が嘘なのか本当なのかは分からない。そして、それが悪意を持って流されたものなのか、はたまた故意に流されたものなのかも定かではない。けれど、それだけこの王宮や後宮に人々の思惑が入り乱れているということだ。
両親と兄が亡くなってからのわたくしに優しくしてくれたのは、鈴莉しか居なかった。そこに、ひと月前から煌月殿下が加わった。
わたくしには帰りたくても帰る場所がない。それに、後宮は一度入れば滅多なことがない限り出ることが叶わない場所。
わたくしはここで生きるしかないのだ。たとえ煌月殿下の一番になれなくても。
……いいえ、寧ろその方がひっそりと後宮で暮らせて都合が良いかもしれませんわ。
煌月殿下が皇太子から皇帝陛下になれば、四大家門以外からも妃を迎えることが可能になる。その妃たちに混じって、目立たずに生きていこう。そうすれば、今日みたいな面倒事もなくなるでしょうから。
それまでの間、少しだけわたくしは煌月殿下の優しさに甘んじていたいと願った。