27 訪問者と怪しい宮女
「雪花様、夜分遅くに申し訳ありません。至急、お話があります」
香麗様と万姫様がそれぞれのお部屋に帰ったあとのこと。夕食を済ませて暫く経った頃、そろそろ眠ろうかしら? と寛いでいると天佑様が訪ねて来られた。
声は落ち着いているようだけれど、言葉からして急ぎの様子。わたくしは控えていた鈴莉に頷くと「どうぞ」と声をかける。
「失礼致します」
天佑様が挨拶と共に部屋へ入ってくる。
「雪花様、以前から私の他にもう一人の宦官が雪花様の護衛に当たっているとお伝えしていた件、覚えておいででしょうか」
「ええ。もちろんです」
「本日、その宦官が冬宮に怪しい者が入り込んでいるのを発見しました」
そう言うと、天佑様が部屋の外に声を掛けた。
薄緑色の衣を纏った宮女が後ろ手に縛られた状態で、二人の宦官に両腕を掴まれながら部屋に入ってくる。衣の色からして、宮仕えではない宮女のようだ。抵抗する様子がないところを見ると、逃げられないと観念したのかも知れない。
「この者は本来、夏宮付きの宮女です。しかしながら、この様に薄緑色の衣で宮仕えではない宮女に混じって冬宮の廊下で掃除に当たっていたところを発見し捉えた次第です」
宮女の腕を掴んでいる宦官の一人がそう答えた。つまり、この方がわたくしに付いてくださっているもう一人の宦官なのでしょう。
「この宮女は本当に夏宮の者なのですか?」
「はい。銀朱色の衣で夏宮を出入りしている姿を何度も確認しております。間違いありません」
「そうですか」
わたくしは腰掛けていた椅子から立ち上がると、宮女の前まで歩く。
「顔を上げて」
声をかけるとゆっくりと宮女が首を動かしてわたくしを見た。
強張った表情。その瞳はわたくしを睨み付けていて、そこには不安も滲んでいるように見えた。それでも薄緑色の衣を用意してまで、冬宮に入り込んでいたということは、計画的に冬宮に入ってきたことになる。
「貴女、お名前は?」
わたくしが尋ねると即答で「言いたくありません」と答える。
「おい! 雪花様の前だぞ!! さっさと名乗らないか!!」
もう一人の宦官が宮女を怒鳴り付けた。まだ何か続きそうだった彼の言葉を「良いのです」とわたくしは制止する。そして、目の前の宮女に向き直ると改めて問いかける。
「名乗りたくないのなら他の質問に答えてください。……貴女は万姫様に仕えている宮女なの?」
「……」
認めれば咎められると思っているのか、彼女はプイッと顔を逸した。あくまで黙りを決め込むつもりらしい。
「貴女は元々この後宮には宮女に志願して入ったのかしら? それとも万姫様といらして宮女になったの?」
問いかけても彼女はそっぽを向いたまま答えない。代わりに、わたくしの後ろから様子を窺っていたいた明明が声を上げる。
「あっ、あのっ! 雪花様!! 私、この者を知っています!」
「明明? それは本当?」
振り返ると少しおどおどした明明が「はいっ!」と頷く。
「私と同じ日に宮女として入って来ました! 間違いありません!!」
「そう。では彼女は万姫様と共に来た訳では無いのね」
ちらりと視線を宮女へ戻すと図星を突かれたからなのか、表情が少し歪んでいた。
「貴女は、万姫様に宮仕えとして拾って頂いたのかしら? ……けれど、冬宮に忍び込む危険な真似をするぐらいだもの。もしかしてお金で雇われたの?」
ピクッと目の前の宮女の肩が跳ねた。自分でも反応してしまったことに気づいたのでしょう。彼女の顔色が段々と悪くなっていく。
「なるほど。……良くわかりました」
はぁっとわたくしはため息をつく。
「“今のお給金の倍出す”とでも言われたのでしょう? そんな端金で貴女はわたくしの宮に忍び込んで何をしていたの?」
「………………貴女みたいな恵まれた人にとって、私の給金なんて端金でしょうね」
ここへ来て初めて宮女が言葉を発した。ボソッと呟かれたのは言い捨てるかのような小さな声だった。
「ようやく話す気になりました?」
「ええ、そうよ!! 私はお金で雇われたの!! それのどこが悪いの!? 私にとって給金は大金よ! それを万姫様は給金の3倍の報酬を約束してくださったわ!! 例え私が失敗して捕まったとしても、報酬は必ず実家に送り届けてくださると!! だから私を罰するなら好きにすればいいわ!!!!」
「まぁ……」
この方、無茶苦茶だわ。
「どうしてそれをわたくしに話したのかしら? 今のお言葉、貴女が万姫様に雇われたと認めているも同然なのですよ? そんな事をすれば、どうなるか分かっていますか?」
「何よっ!! 何が言いたいの!?」
「まず万姫様は貴女をお金で雇ったとお認めにならないでしょう」
「当たり前じゃない! ご自分が不利になる発言をされるわけがないわ!!」
「ええ。ですから、この件は下級宮女の戯言として処理されるでしょうね。当然、報酬は貴女のご実家に届くこともありません。何故なら、貴女は咎められる身だからです」
「そんな筈ない! 万姫様は必ず実家に送り届けてくださると仰っていたわ!!」
「いいえ。報酬が届くことはありません。そんなことをしたと何処かから漏れれば、万姫様は貴女と関わりがあったと認めてしまうようなもの。そうなれば万姫様のお立場が悪くなりすから」
「なっ! ……そんなっ!そんな筈は……!!」
彼女の目が揺らぐ。自分でも薄々分かっていたことをわたくしに指摘されて、動揺しているのだわ。
「貴女は利用されたのです。そして、そのまま見捨てられる」
「っ! 違う!! あの方は夏家の立派なお方!! そんな方が南部出身の私を欺く訳がない!!」
ぐっと彼女の顔が強ばる。自分の出身地域を治める夏家の万姫様を信じたいのでしょう。
「では、確かめてみましょうか」
「は……?」
わたくしの言葉に目の前の宮女が顔を顰めた。
「貴女、女官になりたくはありませか?」
「な、何……?」
わたくしの言葉に側に控えていた鈴莉が「雪花様?」とわたくしを不思議そうに呼ぶ。明明や天佑様たちも困惑した顔を浮かべて、顔を見合わせていた。
「冬宮の宮女としてわたくしに仕えるのなら、貴女が女官になるための試験を受けさせてあげます。勿論、試験を受けるための教育もこちらで面倒を見ましょう」
「雪花様!!」
鈴莉が人前で珍しく大きな声でわたくしの名を呼んだ。
「私は反対です! この者は身を偽って冬宮に忍び込んでいたのです! 危険です!!」
「鈴莉様の仰る通りです。万姫様の命令を受けて冬宮に入り込んでいたんですよ!? 信用出来ません!!」
鈴莉と明明がわたくしに詰め寄る。
「二人とも落ち着いて? だからこそ利用させてもらうのよ」
「どういうことですか?」
「このままだと彼女は罰を受けることになるわ。後宮からの追放……それで済むならまだ良い方でしょう。けれど、そうとは限らない」
「それは雪花様がお気になさることではありません。冬宮の筆頭女官として、この宮女を庇うためにそのような提案をされているなら、却下致します」
口調からして鈴莉が怒っているのがよく分かる。
「鈴莉、わたくしの話を最後まで聞いて。この宮女の行いは今はまだここにいる者しか知らない筈よ。……そうですよね? 天佑様?」
言いながらわたくしは天佑様の顔を見た。
「え? ……えと、はい。しかし、私も鈴莉様と同じ意見です。雪花様は被害者なのですから、彼女を庇う必要はありません」
「庇うわけではありません。万姫様がそうされたように、わたくしも彼女を利用させてもらうのです」
戸惑う天佑様にニコリと笑いかけると「り、利用……?」と更に困惑される天佑様。すると「勝手に決めないで!!」と、この件の当人である宮女が叫ぶ。
「貴女、まだ分かっていないようですね。貴女の行いはわたくしの意思一つで東宮の主である煌月殿下のお耳に入るのですよ?」
「だから! 私を罰するなら好きにすればいいと言っているじゃない!!」
「……」
彼女は自分の身が危うい今の状況を諦めている。もうなるようにしかならない。現状を変えることはできない。それでも報酬が手に入るならこれでいい、と。
わたくしも少し前までは、冬家に戻ることなくこの後宮で静かに暮らせるならそれで良いと諦めていた。事情も状況も違うけれど、彼女は少しわたくしと似ているのかもしれない。
「好きにすれば良いのですよね? では、わたくしは貴女を冬宮の宮女として迎えます」
「なっ! バカなの!? 私は万姫様に仕えているのよ!?」
「雪花様、いくらなんでも無茶です」
「いいえ。鈴莉、そんなことないわ。彼女にはわたくしの宮女として仕えてもらいます。そして、裏では万姫様に仕えていることにしてもらうわ」
告げると、鈴莉が顔を顰めて「どういうことですか?」と尋ねてくる。
「彼女が冬宮に紛れ込んでいたのなら、わたくしが彼女に目をつけて冬宮の宮仕えに引き上げたことにするのよ。万姫様には彼女が“上手くわたくしに取り入った”と伝えれば、彼女は万姫様から報酬を受け取りながら、冬宮付きの宮女として女官になる試験を受けられる。そして、わたくしは万姫様が何かわたくしにとって良くないことを考えていらっしゃる時に彼女から情報を得ることができる」
「……なるほど。この状況を逆手に取るのですね? 万姫様には雪花様を探らせていると思い込ませ、逆にこちらが万姫様の動きを探る」
天佑様の問いかけに「そういうことです」と頷く。
「ですが、この者は信用できません。万姫様の情報を教えてくれない可能性もありますし、逆にこちらの動きを万姫様に漏らされるのではないですか?」
「ですから、煌月殿下には事情を全てお話します」
「えっ?」とどよめきが走る。
「わたくしに何かあれば煌月殿下の命で直ぐにこの宮女を捕らえてもらえるでしょう? それと、万姫様にこちらの動きを教えること自体は問題ありません。寧ろ教えないと怪しまれるでしょうから。……まぁ勿論、情報の選別は必要でしょうけれど」
「……雪花様、貴女というお方は突拍子もないことを考えつかれましたね」
天佑様が参ったと言うように笑う。
「煌月殿下のお傍にいるためには、今まで通りのわたくしではいけませんから」
天佑様に笑い掛けてから宮女に向き直る。
「どうかしら? 貴女もわたくしと万姫様を利用してみるというのは?」
宮女の顔をジッと見つめる。彼女は少し黙って考えたあと、わたくしを見つめ返してきた。
「…………万姫様が私を見捨てるかなんて、どうやって確かめるおつもりですか?」
彼女の中でわたくしと万姫様、どちらの言葉を信じるかまだ決定打に欠けているのでしょう。それでも先程までより口調が少し丁寧になっていることからして、わたくしに仕えることも選択肢に入ったようだわ。
「そうですわね。……一つお芝居をしてもらいましょう」
告げてわたくしはその場にいた者たちに話を始めた。